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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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14 二日酔い(2)

 

 天蓋とその柱が、視界を四角い枠に切り取る。


「具合は」


 シックな調度品と並ぶ黒髪の王子様は、額縁の中の絵みたいだ。 私はベッドの中から、平気ですと答えた。


「実は昨夜も倒れたんじゃなくて、ちょっとお酒が効きすぎて寝ちゃっただけでして……ええと、とりあえずその辺に座ってください。お茶とか……」

「いい」


 人形のような可愛らしい顔を気難しげにしかめ、アルス王子はその場で立っているつもりらしい。片や寝床にいるので中々気まずい、あと脇がうるさい。窓からの日差しが爽やかなのに、なんでこの部屋はこんな微妙な空気になってるんだ。

 水読がジルフィーに恨み事を言いながら三度水晶杯を水で満たし、口を付ける。


「はいミウさん。どうぞ」

「…………」

「飲まないと、日が暮れるまで怠いですよ」

「……水読さんが一回飲むのって意味あるんですか」


 嫌がらせの可能性を考慮して一応聞いてみると、勿論ですと言われた。ふーん……。私は例え異性でも食器の共有ってそこまでの抵抗はないんだけど、水読はなんかやだ。それに連続で3杯も水飲みたくない。もうお腹一杯だ。


「応急処置です。ゆっくりでいいので、あと3、4杯は飲んでくださいね」

「そんなに!?」

「ええ、今貴女は水不足ですから。あ、もっと少量で済む方法もありますよ?」


 水読は優雅な仕草でグラスを口へ運び、水を少し含むと顔を近付けてきた。ジルフィーの腕が私の前にバリケードを張ると同時に私は手をつっぱり、水読の顎に張り手をかましつつ押し返す。悲しいかな、これが必要に迫られ培われたコンビネーションだ。

 白い手で顔を押さえ、水読が俯く。


「痛いです。水が鼻に入りました」

「知りませんよ」

「…………」


 あ、これ別にコントじゃないんで。困惑気味のアルス王子に視線で訴える。


 思ったよりダメージが少なかったようで、水読はすぐに復活してグラスに水を注ぎ足した。


「待ってください、自分で飲みます」

「私の手から飲む事に意味があります。ご自分で飲むなら、二度はこの水差しを空ける事になりますよ」

「ええ……」


 じゃあ分かった。もういっそ今日は怠いままでいい。本なら寝てても読めるし。


「では私は、貴女の体が心配ですので日が落ちるまでここに居ますね。ミウさんのお世話をしてくださる方々とも、これを機に親睦を深めておきたいですし」

「……リコ達にちょっかい出したら、絶対許しませんから」


 低く呟いて睨み上げると、水読はパッと表情を輝かせる。


「嬉しいです、妬いてくださるなんて」


 どうしよう。本気で面倒くさい。





 顔を覆ってひとしきり嘆いた後、結局私は水を飲まされた。

 水読が一度口をつけた水を、水読の手から飲む。このメソッドが必要な理由はよく分からないが、水晶杯を空けるごとに体が何かで心地よく満たされていった。でも胃袋はたっぷたぷで、それ以上にそこへ座る胡散臭い笑顔が気に障る。

 水を飲みたくないなら、多分水読から『引け』ば解決するだろう。でもそれを勧められない所を見るに、試してみる価値はなさそうだ。昼間だから上手くいかないとかありそうだし、それならあの儀式はやりたくない。


「……あの、戻ってくれて大丈夫です。元気ですし、結構時間掛かりそうなので……」


 4杯目の半分辺りで流石にペースダウンしてきて、私はドア前で仁王立ちしているアルス王子にやんわりと促した。水読が手を止めて、入り口を振り返る。


「ミウさんでしたら、私が居る限り心配ご無用ですよ。どうぞお引き取りください」

「お前が帰るまで帰らない」

「そうですか」


 警戒の滲む声に微笑み、水読はもうアルス王子の存在など忘れたかのように向き直った。

 アルス王子はアルス王子で、本当に帰らない気らしい。多分、水読の言動によっては助太刀してくれるつもりなんだろう。実際はむっつりと黙ったまま見守る外無いようだけど、その葛藤はよく分かる。変態でも不審者でも相手は『水読』、必要だと言われれば無下にし辛い。何で人智を超えた存在がこんなんなんだろうな。


 私はそれから、合計で7杯もの水を飲まされた。ゼイゼイしながら器を空ける間、アルス王子はその場を一歩も動かずじっと見ていて、私は水読の言った通り水っ腹と引き換えに怠さを返上した。




 寝室から男性陣を追い出した後、サニアに紅茶色のワンピースドレスを着せてもらい、花々の刺繍が入った帯を締める。リコがいつものように器用に髪を編み込んで、金のバレッタで留めてくれた。

 客間に出ると、私のお気に入りのソファで水読がまるで自室のように寛ぎ、メイドのお姉さんを口説いていた。ちょっと待て、その人は人妻だ。


「美しい手ですね、と褒めていただけですよ」

「へえ……」


 ドア口で半眼になる私ににっこりして、水読は取っていたその腕を離す。お姉さんは頬を染めながらあくせくと茶器の準備に戻った。腹立たしい事に、タラシっぷりを発揮しつつも水読の態度はどこか慎ましさがあり、どうやらここでは猫を被るつもりらしい。どうしよう、後で皆に「あいつめっちゃ性格悪いんで」って警告するべきか。水読にとって都合が悪いとなれば、私も多少は恥を偲んでもいい。


 離れた別のソファでは、アルス王子が物凄く微妙な顔で座っていた。……すまん少年、悪い大人の見本を見せてしまった。ていうか二人共まだ帰ってなかったんだね。


「せっかくお茶を淹れてくださいましたので」

「一気飲みで」


 そんで早く帰れ。

 私の冷たい視線もなんのその、水読はお上品に陶器のカップを持ち上げる。


「ミウさん、これから昼の水儀ですがご一緒なさいますか?」

「結構です」

「そうですか。……“病み上がり”ですし、あまり長居してはご迷惑でしたね」


 水読はそう言って、アルス王子の方へ意味深に目をくれた。程よい時間を掛けてお茶を飲むと、ようやく席を立つ。長い裾を音もなく捌き、メイドさん達へ物腰柔らかにお礼を言う姿は……被り物が完璧過ぎてムカつくな。これじゃまるで、私の態度の方がおかしいみたいじゃないか。

 水読が出て行くと、申し訳程度にお茶に口を付けアルス王子も立ち上がった。本当に水読が帰ったら帰るらしい。

 見送るため客間から前室へ一歩出ると彼は足を止め、やや正面から逸らして私の前に立つ。


「お前、本当にもう大丈夫なのか」

「はい、お陰さまで。お見舞いありがとうございました」


 あ、そう言えば手紙。

 思い出して、その事を尋ねる。手紙を貰ったのはほんの数日前だけど、私がショボい返事を送った後は特に音沙汰がなかった。


「何か、夢を見たんですか?」

「…………別に。それよりお前、まだあんまり字読めないんだろ」

「そうなんですよ。勉強してはいるんですけど、こっちの文字って難しくて」

「…………」


 床の辺りを見ていたブルーの目が、チラッと私の背後に向けられる。リコ達を気にしてるらしい。相変わらず、知らない人間が居るとめっきり口数の減る子だ。

 彼はやや緊張した様子で伏せがちに視線を迷わせた後、小さく息を吐く。


「じゃ……また呼ぶから、付き合えよ。その……この前の事とか、話したいし」

「ああ。わかりました」


 私はしっかりと頷き返した。多分、あの聖堂での事だろう。前に会った時、あんまり上手く話を聞いてあげられなかったから。

 アルス王子は束の間口ごもると、「いきなり来て悪かった」と言い残して部屋を出ていった。出口に向けてさっと顔を背けた時、掠めるように一瞬だけ合わされた青い目が脳裏に残った。




 室内に戻ると、サニアがすぐ私の分のティーカップを出してくれた。でも、もう水分はいいのでそれを止め、私はぐったりとソファに腰掛けた。リコが合図をして、仕事の無くなった他のメイドさん達やジルフィーを下がらせる。

 三人だけになると、リコとサニアは自分達のお茶も用意してソファに座り、早速声を潜めて隣室で何があったかを尋ねてきた。……二人共、微笑みがとっても楽しそうだ。私は冷や汗と愛想笑いを浮かべて、ソワソワとクッションのフリンジを弄る。ち、違うんだ。色々と突っ込み所はあるだろうけどあれは水飲まされてただけで、天地が逆さになっても「いい関係」ではないから。かなり不幸な関係だから。

 ひとまず水読は頭がおかしいから気をつけて、という点だけ伝え終わると、興味深そうに聞いた後二人はアルス王子についても言及した。


「突然お見えになったので、驚きました」

「ふふ……あんなに焦って駆け付けてくださるなんて」

「そうですね……」


 そう言えばサニアもリコも、アルス王子に嫌な顔をしなかったな。例の塩湖事件の直後、正式に謝罪もあったらしいし、サニアが怖がらないならそれでいいけど。


「それだけでして?」

「え?」


 ぼんやり考えていると、リコがたおやかに笑う。


「つれないですわね、あれほど気に掛けてくださる殿方に」

「アルス殿下は、以前も何度かミウ様を訪ねておいでですよね。それに、お手紙も……やはり、恋文でしたかしら」

「え」


 ついさっき「別に」とか言われた、慣用句だと解説された、あれ。


 ……え?






 考える事が多すぎる。

 気もそぞろに日記を付けていたら、どこから何を聞きつけたのか栗大臣が対談を申し込んできた。急で申し訳ないと恐縮されつつ当日アポでねじ込まれるのは、実際の所、私が勉強と読書以外ヒマだと知られているからである。いや、いいけどね。リコ達が言うような貴族のご令嬢よろしくあははうふふとお茶ばかり飲んで暮らしてたら、帰還が遠のきそうで逆に焦るし。


 午後から以前のように別室で顔を合わせ、同様に稲作の話などをしたものの(しかもそんなに知らないって言ってるのに)、やっぱり本題はそこじゃなかった。栗大臣は確実に、私と王様が顔を合わせる機会を増やそうと目論んでいる。


「……都合上の契約だって、ご存知だったんですよね」

「ご都合上と言いますと、一体どういった意味でございましょう?」


 婚約話についてである。とぼける栗大臣に、私は一応小声で抗議した。部屋の隅に立つジルフィーには、対談頭から退室を断られ済みだ。いいけどさ……どうせその他にも色々知られてるだろうし。


「しかし、流石はミウ様でございます。昨日は盤戯を楽しまれたそうですな。陛下も大層お寛ぎになられたと聞き及んでおります。またしても、ミウ様がいらっしゃった際にお眠りになられたとか」

「…………」


 誰が言ったんだそれ。

 因みに王様は今、昨日休んだ分の反動のようにバリバリ仕事中らしい。でしょうね。もういいんじゃないかな、本人がその生活に満足してるなら。

 そう考えて、ふと夢の記憶が蘇る。眠る暇が惜しい、と言っていた、少し困ったような微笑。


「全くの私見ではございますが、恐れ多くも述べさせて頂きますれば……ミウ様がお近くで眠られると、陛下もお眠りになられるのではございませんかな?」


 栗大臣はつぶらな瞳をキラキラさせ、私がジェスチャーで訴えるまでもなく声を潜めてそう言った。私はうんでもなければすんでもなく、じっと絨毯の柄を見つめる。

 なるほど。なるほどね。

 その推測が当たっているとすると、導かれる答えがどうも、私にとって有難くないものの気がしてならないんですが。

 その事象と、その後の夢について。また“ミナ”と“悲恋”について。

 収穫があるかどうかは分からないけれど、取り敢えず全部、水読には尋ねてみようと思っていた。なのに昨夜から今朝まで、なんやかんやとチャンスを逃してしまった。

 そしたら、私も逃げるしかない。


「今すぐには、何も判断出来ません。少しお時間頂けますか」

「勿論でございます」


 こんなに人好きのする笑顔なのに狸とか。大人って怖い。


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