15 酒をよこせ
暖炉の熱で火照った体に、涼しい空気が心地良い。
対談が終わり、私は石造りの廊下の窓辺で溜息を吐いていた。
いや危なかった。栗大臣、伊達に大臣やってない。あれはプロの話術だ。結論を先延ばしに出来たのは、相手のペースに乗せられ易い私にすれば上出来だろう。迂闊に返事をしたら最後、上手いこと言質を取られてあっという間にオン・ザ・レールに違いない。
「私、帰りたいんだけどなあ……」
思わずぼやくが返事はない。斜め後ろには、ジルフィーが控えていた。ガラス越しの褪せた庭から顔を上げ、振り返る。
やっと二人になれた。
「昨日の事、どうして先に言ってくれなかったんですか」
転居要請をしたという話だ。私の視線に、彼は制服の胸に手を当て頭を下げた。
「出すぎた真似を致しました。申し訳ありません」
「ジルフィー」
思わず口を尖らせる。謝って欲しい訳じゃない。
城と塔は、表立って対立を望んでいるのではない。
ただお互い、“泉の乙女”に対しての抜け駆けは見逃せないと思っているだけだ。最終的には出し抜く気マンマンでもね。
ジルフィーは本来、塔の人間だ。
「あなたは、誰の命令で動いているんですか」
「私は貴女の直属です」
「じゃあ昨日の事も、私が誰にも言わないでって言ったらそうしてくれましたか」
「御身の安全が最優先です」
「…………」
相変わらず微妙にずれているような会話に口を噤む。納得出来るような出来ないような。これも少し前までなら、天然かなと思えたんだけど。
変化を見逃さないよう、私は灰色の目をじっと見上げた。一見優しげな、でも感情の読みきれない冷めた色の虹彩は、何となく動物のそれに見える。自分とは別のルールで行動している、別の生き物。
理由を話してくれれば私は大人しく従ったし、不信を抱くこともなかっただろう。反論を封じるように、シーツのまま問答無用で運び込むんじゃなくて。
そっと息を吸う。気になるなら聞いてみろ、と、王様が教えてくれた方法がある。
「あなたを『尋問』すると言ったら、どうしますか?」
「ご所望であれば、どうぞご自由に」
「…………」
淡々と答えられ、私は言葉を失くした。
ジルフィーとハノンさんがどうして私の護衛に付けられたか。
文武共に優秀で、特に腕が立つこと。家柄に問題が無いこと。臨機応変さと人間性。
そしてもう一つ、ぐっと候補者を絞った条件がある。例の『尋問』だ。
目を見て行う『詰問』や『尋問』は通常、例え王様でも、塔兵含む神官に無許可で行ってはいけない。また神官も、安易にそれを許してはいけない。大臣達は忠誠の証として王族と話している時に目を逸らすことを避けるけど、神官は質問された際、逆に目を伏せる。王様の臣下じゃないから。
また古い神官や塔への所属意識……「信仰心」と言って差し障りないと思うけど、それが強い人程、暴かれる事を教えに背く行為として厭う。塔の役割が「夜を守る」事である為だ。
そうでなくても無防備に心の中を覗かれるのは皆怖いし、特に『尋問』は命に関わる。
それでも“泉の乙女”に害が及んではいけないので、塔は王様の目によって衛兵を選出した。これは城を納得させる為にも必要だった。ちなみに家柄は担保になるようだ。
ジルフィー達は優秀な神官である上で、王様による『詰問』と十一夜までの『尋問』を承諾している。
この条件を飲める神官は多くなかったし、幾つもの思想を問う質問に曝され、残ったのが二人という事だ。あの無害善良を絵に描いたようなハノンさんとこのジルフィーとくれば、なんか理解できる気もする。
でも、何か疑念があるなら。
“泉の乙女”は最高権力者に等しい。私が「命じれば」、王様を介してジルフィーの本音を自白させる事が出来る。この人は、「ついうっかり」私への報告を忘れたりする人じゃない。
「……冗談です。そんなこと頼みません」
息を吐くと空気が白く曇った。
「理由を話してくれたら、疑わなくてよかったのに」
ただ、信じたいだけだ。
マロン大臣のように、害意が無くても私にとっては都合の悪い目的を持つ人も多いだろう。私はここでは一般人ではない。一人では何も出来ない。信用していい人なのかそうでないのか、よく考えなきゃいけない。
小さく身震いすると、ジルフィーは静かに上着を脱ぎ私の肩に掛けた。緻密な生地のロングコートはずっしりと重いけれど、持ち主の体温で温かい。
「戻りましょう」
「まだ、お話があるのでは」
綿のシャツとベスト姿の相手に、私は首を横に振った。尋問されても構わないと言われてしまった。僅かな違和感だけを理由に、これ以上追求する気になれない。ただ、――不安にさせないでほしい。
訴えは意図したより弱々しく、情けなく響いた。
「ご帰国なさりたいのであれば」
襟元を合わせてくれる大きな手に、これといった感情は見られない。
「こちらの誰にも心を許さぬ事です」
「……あなたにも?」
「はい」
その目にも声にも、迷いは一切なさそうだった。
◇ ◇ ◇
暖炉の上には天井に届かんばかりの大きな鏡が設えられ、大量の蝋燭が灯るシャンデリアを映し出している。なるほど、これなら倍明るい。
「普通なら、任を外す所だろうな」
「…………」
ゆったりと響く艶やかな声に、私は沈黙する。
夕方の会食後。私は王様の部屋で一人掛けのソファに腰掛けていた。暖炉の前、小さなテーブルを挟んで斜向かいに部屋の主が座る。パチパチと燃える火を見ながら、驚くなかれ、なんと晩酌に付き合っているのである。
王様の見目麗しさは今日も絶好調だ。上品なブラウンの上着に金糸の刺繍がよく映えて、見事な金髪と調和を取っている。服の色だけ見れば地味なはずなのに、この人の場合は本人をを引き立てるプラス要素にしかならないらしい。そんでまた、ウイスキー(推定)のグラスが似合うんだなこれが……。
夕食会をセッティングしたのは栗大臣だ。夕方にいきなりお誘いが来て、思惑を知った今乗っかるのはどうかとも思ったけれど、それ以上に私の目的と合致していたので承諾した。
色々よくわからないこの状況、私が指示を仰ぐべきは王様その人だろう。というか、栗大臣に外堀を埋められる前に接触しておかないとヤバい。
食事中は込み入った話が出来ないので、入室前にあの老婦人にこっそりお願いしておいた。王様の好きなお酒と、私用にポットで温かいお茶を。
経緯はともかく、今の話題はジルフィーについてである。
不信を抱かれて尚且つ否定しないとなれば、解任してくれと言っているようなものだ。
でも“泉の乙女”に忠誠を示し「暴かれる」事を恐れないのは、やましい所が無いとも取れる……いや、実際やったら何らかの理由で現職に相応しくないと判断されるかもしれなくて、本人がそれを望んでいるって可能性もあるけど。多少の心変わりでお家取り潰しという事はないだろうし。もしそうならジルフィー、今まで実は嫌々仕事してた事になるな……うわ何それ凹む。
「ここへ呼ぶか?」
「いえ、それはナシの方向で……」
王様は目を貸してもいいと思ってくれている。でもそうしないという意思表示に、ここまで送ってもらった後、ジルフィーには塔に戻って大丈夫だと伝えた。帰りは適当に城の人が送ってくれるだろう。
我ながら姑息だけど、私には先に腹を見せるくらいしか能がない。
王様が苦笑する。
「心を許すなとは、まあ、それなりの忠心を感じないでもないが」
「えっ」
誰も信用しないのが正しい、って意味? え、どうしよう。
「俺を信ずるが故に、今の言葉に狼狽えるのだろう? 矛盾しているな」
「…………」
うーむ。
パラドクスを吹っ掛けて機嫌良く笑い、王様は悩む私を肴に杯を傾ける。それでお酒美味しいですかね……見る限りは美味しそうだ、余計なお世話でした。おっと、グラスが空きましたか。
次を継ぎ足そうという気配を察し、私は先にテーブルのカラフェを取った。この正しく王様たる王様に、手酌で飲ませるなんてとんでもない。
「それを言うなら、“泉の乙女”に酌をさせる方がどうかしているんだが」
「肩書じゃなくて見た目の問題です」
「お前、その髪と目を忘れているだろう?」
「あ。……いや、まあその辺は」
とりあえずスルーしてとくとくと注ぐと、中身が火の明かりで飴色に光る。鏡の光を受けても虹が出ないので、カラフェも杯もガラス製らしい。
……私、やっぱり下々の人間だなあ。この人に「お仕え」する方が、しっくりくるというか充実するというか心の安寧に繋がるというか。
ともあれ一旦置いといて、そろそろ本題だ。
私は昨日ここで寝こけた事を改めて謝った後、質問する。
「不思議な夢とか、見ませんでしたか?」
「夢? 特に見ていないな。俺は、然程の時間眠った訳ではないし」
結構寝ててすいません。
お互いに同じ夢の中で会っていた、という線は早速外れた。もし王様が同じ体験をしていたら話が早いと思ったのに。
仕方がないので、私は夢の内容を語る。”ミナ”を探していると言われた件を説明すると、王様は興味深そうに聞いたものの心当たりが無いと言った。
「少なくとも”ミナ”の語だけで聞いた覚えは無いし、探しているというのも分からない」
「アルス王子の名前は……?」
「継ぎ名を与えたのは確かに俺だが、『イレギア=ミナ』と一綴りだったはずだ。出典が思い出せんな。古語の括りだからそれなりの書物だろう。探すならクラインの方が早いかもしれん」
記憶にないと来たか。昔読んだ本とかなら仕方ないけど、この人に限っては意外に思ってしまう。
しかし収穫無しとは。かくなる上は……。
「このお酒を、私もほんの少し頂いて良いでしょうか」
王様は少し眉を上げる。
「駄目だな」
「ええっ!」
そんなあっさり!
「果蜜酒一口で倒れたお前が何を驚く。火酒だぞ」
「あの、ほんとにほんのちょっと、一滴でもいいので……!」
実は昼間サニアにもお願いしたけれど、断られたのだった。危ないからって。そりゃ一口飲んだらヤバいかもしれないけど、でも大丈夫舐めるくらいだったらきっと大丈夫! と訴えたのにやっぱり断られた。
昨日から色々考えて、私は幾つか仮説を立てた。クラインの言う「77日」まで、まだ二週間以上ある。情報が足りない。現状の私は、自分を実験体にして検証していくしか方法がない。
“泉の乙女”について、私の持てる最大の手掛かりは私自身だ。
私はもう一度あの夢の中の王様に会いたい。だって会話が出来たんだもん。私も、この王様も知らない事を知る不思議なやり取り。
少ない情報から、それが得られる条件を考える。
昨夜は特に不思議な夢は見なかったから、お酒を飲んだら見るというものではないようだ。ただあの水読の夢の時がそうだったように、頭がグラグラする程眠い時の方がいい気がする。またもしかしたら、水読が隣の部屋で眠っていたから水読が出てきたのかもしれない。
となると……いやでも前に王様がお見舞いに来てくれた時は、なんの夢も見なかったから確証はないけど……。
そもそも法則なんて無い可能性もある。とりあえず考えられる方法を試して、この大量の「かもしれない」を一個ずつ潰したい。
そしてもう一つ、栗大臣が言うように「私が近くで寝ていると王様が眠くなるのか」というのも検証しておきたかった。これはどちらかと言うと「そんな事はなかった」という結果が欲しいんだけど。
「そうだった」場合が怖いが、そこは王様に知恵と力を借りよう。大臣達に妙な根回しやらカマかけやらをされる前に、当事者に話を通しておいた方が安全だ。避難経路確保優先。
というわけで酒をください!
「どのくらいの量で眠くなるかも試したいんです」
出来ればグラスじゃなくて、小瓶とかに貰えると凄く嬉しい。王様権限で。そしたらまずここじゃない所で試す。
「言い分は分かったが、誰がお前に酒を渡さぬよう制限したと思ってるんだ? それから、お前が呑むと眠る事は極一部の人間にしか知らせない。部屋でも口止めされただろう?」
私は頷く。実はリコにもサニアにも水読までにも、その事は絶対に言ってはいけないと言われていた。料理はこれまで通り「お酒は好きじゃない」で通し、昨夜寝込んだのは食事とは無関係という事で処理されたようだ。
てかあれじゃん、聞けば聞くほどこの人を通さずにお酒が手に入らないじゃん!
「そう焦るな。お前も酒如きで死にたくないだろう」
「死にませんって。そんなに飲む気ないですって」
力説する私を見て呆れ気味に首を傾げ、王様は手の中で光る液体を眺めた。まだあまり減っていない、飴色の液体……と思ったら、一息にグラスを煽ったからギョッとする。ちょ、大丈夫なのそういう飲み方って!? あなたの方が死にません!?
一家揃って下戸なせいかハラハラする私に、王様はニヤリと口の端を上げた。
「……例えば俺や弟達は、相当量を呑んでもまず酔わない。それが王族の血だ。”水”と相反するというな」
優雅な長い指が、空になった杯を弄ぶ。
「かつての王家は、産まれたばかりの御子に火酒を含ませた。生き残った者が継承権を得る。近年では妾を多く取る事も無いし、毒への耐性を見るに留まるが」
「……?」
ん。つまり昔は国王の子供がじゃんじゃん生まれてて……且つ、選別してたとかいう話? ひえ……。そしてこの王様もクラインもアルス王子も、子供の時に何らかの致死量チェックを受けていると見た。やだもうこの世界怖い!
って違う、なんか話が逸れてるぞ。さては王様、私を脅かして諦めさせようという魂胆だな。
「そこまで察したなら諦めろ」
いやいや。
「お酒、いい線行ってると思うんですが……とりあえず、一回だけでもお試しで……」
「それにはせめて水読の立会が欲しい所だな。今朝は世話になったんだろう?」
「水読さんの居る所でなんて怖くて眠れません!」
切実に訴えたら吹き出された。なんで。
別にジョークじゃない、確かにうっかり色々あったけどあれは事故だ。
「お前の兵が忠告したのは、恐らくこういう事だぞ。お前、俺を何だと思ってる?」
「……?」
何って、「王様」?
形の良い眉を下げ、王様は声を殺して笑う。
「だからお前は、歳を言っても理解されないんだ」
「どういう意味ですか……」
「いや。それでいいよ」
何が。てか酔わないって言ったけど嘘じゃん、絶対笑い上戸じゃん。
笑うばかりで答えがないので、私は仕方なくお茶を啜った。呑んでない時から笑われまくってる事は、記憶の彼方に放り投げておいた。




