悪女になれない妻は強烈な責めを繰り出しながら夫の過去も愛します(後編)
「はあああっ?あんた中々クレイジーな頭だと思っていたけど、人に向かって悪女とかどういうつもり?」
セラフィーヌは、誰が悪女よ!と明らかに不満げな顔をして、店にあった塩を掴んでパトリシアに投げつける準備をした。
「あら?だって……私、色々調べましたのよ。セラフィーヌ様の過去とか……」
お義母様ごめんなさい。
セラフィーヌ様の過去は、私の調査にしてしまいますわ。
私は、にっこり笑ってセラフィーヌに伝える。
ちらっとセラフィーヌを見ると、表情が固まり、掴んだ塩はわなわなと震えた拳からこぼれ落ちた。
「そのお顔は知られたくないというお顔ですわ。でも、ミレーは気づいてしまったようですけど……
私がご相談したいのは、たいしたことで無いのです。悪女のセラフィーヌ様に、悪女になるための手ほどきを受けたいということなんですから」
私は、そう言ってにこにこ微笑む。
セラフィーヌはその私からの話を聞いて、今にもお前を刺してやるという勢いで、睨みつけてくる。
「十分、今、あんたが悪女に見えるけどね」
「それが、ミレーってば、君は悪女にはなれないっていうんですの。酷いですわ」
私は、にこにこと、セラフィーヌを煽り続けた。
セラフィーヌ以外、自分が考えつかないような悪どいことを考えつきそうな人はいない。
セラフィーヌは、ふーっとため息をつき、奥の部屋に案内する。
「何が聞きたいのよ」
あら?やっぱり、セラフィーヌ様は面倒見がいい。
ミレーは色々いうけど、セラフィーヌ様が持っているツンデレな優しさを、ミレーは、ちゃんとキャッチしたんだと思うんだけど……
あ、ダメダメ!
今日は悪女、今日は悪女。
かつての愛人を悪女は褒めないわ。
「セラフィーヌ様は、ざまあしたい人はおられますか?」
「あんた以外誰がいるのよ!」
うーん、会話が続きません。
悪女は、コミュニケーションが成り立たないわ。
どうしましょう?
そうだ!
「では、私をどうやってざまあします?」
「はあっ?私が聞きたいわ。鈍感なあんたが、どうやったらざまぁ出来るのか?」
突然、セラフィーヌは無表情になった後、少し考える。
「あんたみたいなのは精神的な嫌がらせは全く効き目なかったのよね。精神的な嫌がらせは、理解ができないお馬鹿な女には効かないって悟ったわ」
「なるほど……でも、私がざまぁしたい相手は、お馬鹿かどうかはわかりません。むしろセラフィーヌ様のように悪知恵が働きますから」
私は前のめりになって、精神的ざまぁの成功率が不明であることを訴える。
「私みたいな女にざまぁするの?お馬鹿なあんたでも、ざまぁしたいことがあるのね。まあ、あんたの代わりにお茶会に出たけど、ろくな人間が貴族にはいなさそうだったしね……どのくらい、ざまぁしたいの?」
「どのくらい……悪女は、ざまぁのレベルまで持っているんですか?」
「ほら、たとえばお茶に何か仕込むでしょ。その時に、下剤入れるぐらいでいいのか?自白剤いれるのか、媚薬いれるのか、毒薬いれるのか?」
セラフィーヌは、立ち上がって怪しげな薬瓶を持ってくる。
「すごいですわ。まるで本当の悪人みたい……」
私も、その怪しげな瓶を覗き込む。
それを見て、はあーっとため息をつく。
「相変わらずお花畑ね。怪しげな薬が、怪しげな瓶に入っているわけないでしょ。これは、ただの植物療法よ。」
「植物療法?」
「うちは薬屋じゃないもの。そんな物騒なものは扱わないの。これは植物から抽出したものよ。心や体の不調を整えるの。もし、薬でも盛るならと練習用に出しただけ。こういうものを紹介して、相手に選ばせる」
セラフィーヌは、瓶を開けて、私に匂いを嗅がせる。
匂いはあるものもないものもあるが、飲み物に一滴、健康のために入れる液体で害のあるものではないそうだ。
「ふんふん」
怪しげな瓶には効能が貼り付けてある。
気分が落ち込む時、華やかにしたいとき、集中したい時……
「悪どいことを考えたい時というのはないのかしら?」
「今考えているんだから必要ないでしょ。とにかく、薬を飲ませる時には選ばせるという行為をさせる。すると、人は自分が選んだものは、安全と思いがちよ。」
そうセラフィーヌから聞いて、そういえば、ミレーも意図しなかったとはいえ、自分でそれを代わりに飲んだのだったと思い出す。
だから、お茶に入った媚薬のせいで、自分がおかしいのだと気づかなかったのよね。
「たしかに……自分で選んだものは、安心な気がしますわ」
私はそう頷いた。
しかし、それを見たセラフィーヌは渋い顔をする。
「それだけじゃないのよ。今だって、この瓶に書かれた効能がその通りかわからないのに、あんたは信じてしまってるでしょう。つまり、何かを信じ込ませたい場合も相手に選ばせるの。相手が信じるのは、相手の勝手でしょ」
「セラフィーヌ様、悪どいですわ。さすが!」
もし、公爵か公爵夫人に飲ませたいなら、多くの瓶から自分で選ばせたらいい。
そう思っていると、セラフィーヌが目の前で瓶をちゃかちゃか動かし始めた。
「さあ、このなかから、先ほどの開けた瓶はどれだったかわかる?」
じーっ……
じーっ……
「手品ですわ……どれかわからなくなりました」
セラフィーヌの顔がスンとする。
「そう、自分が目印にするものがわからない段階でコレは無理ね」
「そうですわよ……ね」
入れて、すぐどうぞしないとダメなのだ。
関係ない人も巻き込めない。
「ほ、他にはありませんの?」
「今の植物療法セット、ちゃんとお買い上げよ!わざわざ商品出して、開封したんだからね」
「はい。」
私はがっくり肩を落とす。
「あとは……対象を誰にするかよ。でも、男を落とすのは無理よね。あんたは、愛人に夫を寝取られた妻なんだから……」
セラフィーヌは意地悪そうな顔つきで私をフンと見た。
寝取られたのかしら?
あれ?恋人同士だった二人なのに、私が、結果的に妻という立場を使って奪ったような……
いえ、あえて口にしたら追い出されそうだわ。
「私はミレーに一筋だから、男の人を落とすのはできないわ。だって、少しでもミレーにヤキモチを妬かせたくないの」
私は、それ以外の方法がいいわとセラフィーヌに伝えると、再び顔がスンとする。
「もうっ!私はあんたに色々教えてあげたわよ。あのね、あれもコレもダメなんて言っていたら、ざまあなんて無理に決まってるでしょ!」
「そ、そうよね……でも、お色気は……無理」
それが出来ていれば、もっと堂々としてミレーの隣を闊歩している。
「じゃあ……女ね。」
「へっ?女……」
「あんた、人の懐に入るのがうまいでしょ。しかも、女の……だからやるなら女をおとせばいいの。」
「私が……」
公爵夫人を襲う……
どうやって??
「責めるのよ!目当ての女を!」
「責める……」
攻撃は……最大の……防御⁉︎
「セラフィーヌ様、なんにも方法は思い浮かびませんけど、私、責めてざまぁしますわ!」
「ええ、そして、二度とここにはこないでちょうだい」
セラフィーヌは、はぁーっと大袈裟にため息をつく。
「わかりました!成功した暁には絶対報告にきますわ!」
私は笑顔で店を後にする。
「あれ?パトリシア夫人、もうお帰りですか?」
番頭が声をかけてくる。
「ええ、また来るわね」
「来なくていいわよ!塩と砂糖振りかけといて!全く!」
セラフィーヌの叫び声の中、私は大きく手を振った。
◇
私が着るドレスは、ラッシュマダムの新作だ。
今まで、痩せてはいるが、出るところが出ていないので、可愛らしい膨らむドレスが多かった。
すると、もともと10歳年齢差があり、なおかつ、大人の魅力を放つミレーと共に立つと子供っぽく見えてしまう。
更には、愛人を連れ歩いていた印象と女遊びが激しい噂がつきまとうミレーと私は、ますます仮面夫婦の噂がたっていた。
「今回は、ミレーが悪く言われないドレスにしたいわ」
そうマダムに伝えると、俄然やる気になったらしい。
「パトリシア様の体型を最大限に活かして作って見せますわ」
そうして出来たのは、今までは可愛らしいパステルカラーだっだのから、深みのあるワインレッドへ。
更に生地も、今までのようなレースの重ねではなく、マットなシンプルな体型のラインがそのまま見える生地に変更。
胸の無い部分は大きな装飾でカバーしつつ、大きく開いたデコルテとぱっくり開いた背中が見えるドレスで、細い体をアピール。
更には、足が長く見えるように、腰より上のラインに、実家の色ガラスをキラキラさせて強調しつつ、足元にかけてはラインが広がるようにした。
これだけで、ぐっと少女から大人の女性に脱皮した印象に変わる。
「私としては、やっぱり美しい妻を知られたくないなあ。大体そんなふうに、髪をアップにして、うなじを見せられたら、舞踏会中でも、部屋に連れ込みたくなるじゃないか。
パトリシア、今までの可愛い路線で行かないか?」
ミレーは、キスマークをつけちゃダメかな?とつぶやきながら、首元に、大きな宝石が散りばめられたネックレスをかけた。
「これは?」
私は、その宝石の大きさにギョッとする。
こんなでかい宝石を首にかける人たちの中で、確かにガラスのネックレスはつけられない。
セラフィーヌ様、その慧眼、流石ですわ!
私は、鏡に映った自分の首を、呆然と見つめる。
「こんなに愛している妻なのに、何も妻を綺麗に見せるアイテムを贈ってなかったから……でも、やっぱり、美しい君を誰にも見せたくないね」
そうミレーはため息をつく。
「綺麗とか美しくなくてもいいわ。でも、ミレーに似合っている妻だと思われたいの」
私が唇をとがらせて、お似合いになりたいのだと言うと、ミレーは目を細めて言った。
「似合っても似合わなくても、私の唯一の人だよ」
そして、かるく紅がついた私の唇に口付ける。
◇
「あら、パトリシア夫人、あ、ああ……ミレーも……久しぶりよね」
あら、ミレー21才の10月の元カノ、ナタリー様だわ。
「やあ……久しぶりだね。ナタリー」
「ナタリー様、先日ぶりですわ」
私はにこやかにナタリー夫人に声をかける。
「もう、ミレーったらこんな可愛い奥様を迎えられて。あなた、本当に大事にしないとダメよ。あなたより、パトリシア様の方が、ファンが多いんじゃないかしら?」
ナタリーは、ミレーをわざとらしく軽く睨む。
「私にはもったいない妻だよ。妻が何か窮地に陥った時には、助けてやってね」
「ええ、頼まれるまでもなくね。パトリシア様、今度美味しいお店を見つけたからお土産に持っていくわ。元カノ会、また開きましょうね」
「まあっ!どんな美味しいお店なのかしら?ふふっ、楽しみにしてますね」
私は、前に比べるとミレーの元カノのおかげで知った顔が増えて、少しホッとする。
少し歩いては、ナタリーと同じような元カノ会のメンバーが、手を振りながら声をかけてくる。
ミレーは気まずそうだが、私はむしろ、親睦を深めては手を振る行動を繰り返していた。
そうこうしていると、最初は好奇の目だった人たちも、そこに、険悪な駆け引きもないと知り、自然と声をかけてくる。
そこには、ミレーの若かりし頃からの友人たちも――
「ミレー、噂に聞いていたが本当に若くて美しい奥様だな。君の女性関係にも寛容だと聞いたけど……紹介してくれよ」
「嫌だよ。私の美しい妻に視線を送らないでくれ」
ミレーは、私の腰をぐっと抱きしめ、絶対に離さないとばかりにこめかみに口付けを見せつける。
その度に、キャッという歓声が上がっていて、私は恥ずかしくなるのだった。
「パトリシア、王家の主催だから変なものを飲まされることはないけど、君は酒に弱い。絶対にアルコールは禁止だよ」
絶対、君のことを狙っている奴だらけだから、私は心配だと耳元で囁かれる。
「分かっているわ。ミレーから渡されるもの以外は飲まない」
私も自分の酒癖の悪さを知っているので、しっかりと頷く。
さて――公爵夫妻はどこかしら?
◆
結局、その後、影さんにも聞いてみた。
「影さーん、悪どい人たちにざまぁする方法を教えてくれないかしら?」
しかし、私とセラフィーヌ様のやりとりを見ていたためだろうか?
【奥様、あっさりセラフィーヌ様に引っかかって、今回も訳わからないものを買わされてたでしょう。セラフィーヌ様に、あっさり騙されてる段階でざまぁは無理だと思いますよ】
「あら?確かに買わされたけど、あれは、植物療法でいろんな効能があるんですって」
【騙しているセラフィーヌ様からも、効能なんてあるかわからないのに、自分で選んだものは信じるもんだって言われていたでしょう。つまりは、効き目なんてないのにね……ですよ】
「えーっ!そう言う意味なの?信じるものは救われるって意味かと思ってたわ」
じゃあ、あの怪しげな瓶は、やっぱり効き目はないのか……
【止めはしなかったですけど、アレ飲まないようにしてくださいよ。とにかく、奥様は、全くざまぁのセンスがないので諦めてください】
そう言われた上に、私が良からぬことを考えていると、ミレーにチクられてしまう。
「パトリシア、私は君に復讐をさせたいなんて思ったことは一度もないよ。傷は癒えてないけど、君に癒やされている。それ以上は求めない。そして、あの公爵夫婦は狡猾だ。余計な接点は持たないように……」
そういって、
「いつも、セラフィーヌから騙されて、色んなものを押し付けられすぎだよ。とりあえず、口に入れるものは廃棄だね」
そういって、せっかく買った怪しげな植物療法セットも廃棄されてしまった。
「ああっ!薬を混入する練習に使うのに!」
「不要だよ!余計なことはしてはダメ」
よって、何か薬を混入させるような練習も出来ないまま、本日を迎える。
ここで出会っても……下剤ひとつ混入させられない。
よって、私はミレーを支えて、慰めることしかできない。
そのことにシュンとする。
その時――
「おや、今、噂の仲睦まじいというご夫婦かな?」
振り向くと、お会いしたことはない。
でも、私は絵姿で知っている。
この人は公爵夫妻の一人息子――ピアザ様。
そして、今回の婚約発表で主役になる人だ。
「お初にお目にかかります。ミレー=ロッケルベンバー侯爵と申します。こちらは、妻のパトリシアです」
ミレーがそっと頭を下げて、私を紹介する。
こう言う場面は何度もあるが、妻と言われるたびにこそばゆい気持ちになる。
「妻のパトリシア=ロッケルベンバーですわ。お目にかかれて光栄です」
私は、かるくドレスの裾をつまむ。
だが――
「ミレー侯爵は、大人の遊びが好きだと評判のお方だから幼な妻では物足りないので、替え玉の妻がいると言う噂もあったけど嘘だったようだ」
そう下品な笑いをしながら、わたしのデコルテから腰までを舐め回すようないやらしい目でピアザは見つめた。
「あら?わたしの顔は変わっておりませんけど……主人に愛されて、女性としての魅力が加わったせいかしら?」
私は、すっとぼけて扇子を口元に当てて、ほほほと笑う。
「彼女の美しさに嫉妬したものが流した噂ですよ。ふふっ、そう言えばピアザ殿もいい話があるようだね」
ミレーは、大人の貫禄でさらっと話をピアザに振り、半分私をピアザの視線から隠す。
「あ、ああ……そうだね。まあ、後ほど追々に……」
ピアザは少し悔しそうな顔をして、私たちの前から立ち去るので不思議に思う。
ミレーは耳元で囁いた。
「どうも、ピアザ殿は気乗りしない話らしいよ。アンジェ王女はわがままで気性が荒いと評判だからね。どんなに身分が公爵でも、王家には敵わないからさ」
「なるほど……」
嫁のほうが力を持った結婚か……
外では、王家と縁繋ぎが出来て羨ましがられても、内情はそんなに良い話ではないのかもしれない。
その時――
ミレーの私を抱きしめる腕が少し震えるような……硬くなるような感覚が襲った。
これは……来たな、そう思い、少し呼吸を整える。
(私が、ミレーを守る。ざまぁは無理でも、いざとなれば自分が盾になっても、もう苦しい思いをさせない)
私は、一瞬だけ目を閉じて、カッとその目を開き背筋を伸ばした。
ミレーの妻は私だ。
この世に、私一人だ。
私が、ミレーを守る。
そう思い、目の前の女性を観察する。
「あら?お久しぶりだわ。ミレー侯爵、お元気にされていて?」
ねっとりとした女性の声。
お義母様とは、にても似つかない。
年齢から言えば、もう息子に家督を譲り穏やかな老後を過ごしてもいいぐらいの歳だけど……
派手な装い。それも、かなり胸を強調させている。
そこに、強めの香水と、富を最大限にアピールして家中の宝石をつけたかのような装い――
私は、「ミレー」と声をかけて、ミレーの目を見つめた。
(私は貴方のそばにいます)
そう伝えたつもりだけど、届いただろうか。
「おや、ミレー殿、しばらくお会いしない間にすっかり変わられたようだ。お噂では、可愛らしい奥様を娶られたと聞いたが、そちらがその奥方かな?」
でっぷりとした贅肉と光る眼光の男性も現れる。
これまた……
体のラインを隠さない服は、ズボンの折り目が美しくない。
これは、お義母さまの趣味じゃないわ……
更には、男性用の香水だろうか?
それも不快なレベルで強く匂い、夫婦二人とも段々鼻がバカになってしまったのだろうと予想された。
おそらく、爵位の立場的にそれを指摘してくれる人もいないし、使用人もマイヤーやテイラーのように苦言を呈してくれる人もいないのだろう。
「ご無沙汰しております。バックミラー公爵ご夫妻」
ミレーは、淡々と、社交辞令も私の紹介もせず、嫌悪感を全面に見せながら返答だけ行なった。
「あら、もっと昔は口数が多かったわよね。若い頃から、女性に対してはお盛んだと評判だったのに……奥様は怖い方なのかしら?」
そう言って、シャトレーヌ夫人は、もっと貴方と話したいとばかりに、ミレーの顔に手を伸ばそうとした。
ひっ!
ミレーは思わず、後ろに下がる。
そして、思わず反射的に私も、シャトレーヌ夫人の手を掴んだ。
「お初にお目にかかりますわ。私、ミレーの妻のパトリシアと申します。ふふっ、私は、怖い妻ではないんですの。ただ、夫の体に触れようとする女性は、年齢構わず嫉妬してしまいますわ。触れるのは遠慮してくださるかしら?」
私は、ミレーを守るために、無作法と言われようとその手を掴んだまま、シャトレーヌ夫人に挨拶する。
「まあああっ!何なのかしら?無作法にもほどがあるわ」
わなわな震えた声で、シャトレーヌが叫ぶので、周囲も何事という視線を浴びる。
「申し訳ありません。ご挨拶の前に、まさか公爵夫人が夫の体に触れようとされるとは思わなかったんですの」
私は、ざまぁ出来なくても少しでも爪を立ててやりたい気持ちでいっぱいだった。
ざわざわとした声が上がる。
本当なら、この場で取っ組み合いになってもいいからこの公爵夫人の顔を張り倒したいぐらいだ。
「おい、ピアザの晴れ舞台の前に、注目を浴びてどうする?」
そう公爵が、シャトレーヌの耳元で囁いているのが聞こえた。
「まあ、若い時だけだよ。そういってヤキモチを妬いてくれるのもね。では、これで失礼」
じろっと、私を睨みつけて、バックミラー公爵は、怒りに震えるシャトレーヌ夫人を誘導する。
「パトリシア、すまない。私が間に入っていたら……」
そういってミレーは私を抱き寄せるが、その手が震えているのがわかった。
「ミレー、少し休みましょう。顔色が悪いわ」
私は、ミレーと風の当たるバルコニーに出て休むことにした。
◇
「すまない……」
ミレーは、人目が少ないとは言え、先ほどの騒動で視線がまだある中で、わたしを抱きしめる。
「ミレー、私は貴方の妻だわ。何を謝るの?嫉妬深い妻は、相手が誰であろうと貴方に触れる人を許さないわ」
私は、ミレーから抱きしめられたままミレーに身を預ける。
外から見たら、嫉妬深い若い妻が、公爵夫人に楯突いたようにしか見えない。そして、それを必死で宥めている夫――
それでもいい。
「ミレー、私は社交界では元々顔は知られていないの。なんてことないわ。これ以上、ロッケルベンバー家の私たちの評判が落ちたところで、何か困ることがある?」
世の中では、仮面夫婦、妻のすり替え、元カノ同窓会と一通りの悪評を得た夫婦だ。
そこに嫉妬深さで挨拶ができない――が加わったところで、どうだというのだ?
「ふふっ、君にかかれば貴族の常識も評判も全く怖くないな」
「ええ、だから気にしないで。それにしても、やっぱり幼く見られちゃうのね。早くミレーに釣り合いたいんだけど……」
ラッシュマダム、せっかくの戦闘服をごめんなさい。
やっぱり、行動が伴ってないと大人には見えないんだわ。
私は、そのことが少し、申し訳ない気持ちになる。
「何言ってるの?今日はいつも以上に君は注目を浴びている。さなぎから蝶がかえったような成長だからね」
そう言って、ミレーは耳元に軽く口付けをする。
その度に誰かの視線を感じるが、むしろ誰かに見られている感覚がドキドキする気持ちを更に高めていた。
「ふふっ、君に守られちゃった。なんか、人に守られるのっていいね」
「私以外に守られたら嫌よ」
そう言って二人で額を合わせて、笑う。
早くさっさと婚約発表してくれたらいいのに。
そうしたら帰って、今夜は……
間違いなく、いちゃいちゃの日になるわよね。
そう、想像して、ぽっと赤くなる。
「そろそろ、王からみんなにお言葉がある頃だね。そうしたらファーストダンス、セカンドも、サードも他の男と踊ることは許さないからね」
ミレーは、そう笑顔を取り戻して私に声をかける。
部屋に戻ると、ミレーが言う通り、間も無く国王が静かに登壇する。
独特の威圧感と、その王を取り巻く周辺の緊張がこちらまで伝わってくる。
参加者は皆、頭を下げて王の言葉を待った。
「皆の者、本日はよくここに来てくれた。今宵は楽しんでほしい。後ほど、王家から皆に発表したいこともある。それまでは、この国を支え合う者同士、歓談を楽しんでくれ」
そう伝えると、弦楽器の音楽が軽やかに流れる。
そして、今日の主役の二人であるピアザ公爵令息とアンジェ王女がファーストダンスを始めた。
もう二人はそういう関係なのだと、あとは発表だけ……
それに合わせて、続々とみんな踊り始める。
「私たちも踊るよ」
そう言って、そっとミレーは私の腰に手を回した。そして、私も左手をそっと肩に、そして、右手は二人で重ね合わせる。
視線が苦手な私のために、端で踊るミレーだったが、そのうち周囲に追いやられるように中心近くに押し出される。
気づけば注目を浴びながら、二人で身を寄せ合い踊っていた。
音楽が静かに終わる時――
ハッと見回すと、明らかに元カノメンバーたちがにやにやしている。
私は、かぁーっと赤くなりながら、壁の花になりたいとミレーに声をかけた時だった。
「ミレー侯爵!」
踊り終わって、すぐ声をかけてきたのは――ピアザだ。
私は、ミレーの横に立つ。
「パトリシア夫人も……先ほどは、母が無礼をしたようだね」
「いえ、どんなに狭量と言われても私、ミレーのことになると嫉妬深くて……申し訳ありませんわ」
私も、扇子で口元を隠し、恥ずかしそうなふりをしておく。
「いや、無作法だったのはこちらの方だよ。ミレー侯爵が子供の時からの知り合いということで、つい子供のように接してしまったらしい」
許しておくれね。
そう引き攣った笑顔で話すのは……
なるほど、確かに挨拶もせずに突然、他人の夫の顔に手を触れようとするなんて、ありえないわよね。
わざと周囲に聞かせているんだわ。
「お詫びに……」
ピアザは、そばを通りかかったボーイから酒のグラスを取る。
「お酒でここはお互いに水に流そう」
そう言って、私たち二人とピアザ自身にグラスを持たせる。
ここは、断れないので、飲むふりだけしておこう。
私はミレーに目配せをして、グラスを少し上げて乾杯をして、口をつけるふりをする。
そこに、軽やかな可愛らしい声がかかった
「ピアザ」
王女殿下だ。
私たちは急いで、グラスを保持したまま頭を下げる。
「今日は堅苦しいことはなしよ。あなたが、ミレー侯爵ね。噂には聞いていたけど……」
ちらっと私を見るのは……愛人に取って代わられた妻でことを聞いているのか、先ほどの公爵夫婦との騒動のことを聞いているのか?
「ねぇ、パトリシア夫人。ご主人にダンスをお願いしてもいいかしら?」
王女にご丁寧に聞かれたら、断れないのは当然。
「光栄なことですわ。私は足を痛めましたので、端で休んでおきます」
ミレーは、よりにもよってピアザがいる時に――と言う顔をする。
「アンジェ王女、私はお二人の恋路を邪魔する無粋な男にはなりたくないのですが……」
と微笑みを向けながら拒否する顔をしたが……
「ふふっ、彼は私の願いはなんでも叶えてくれるわ。いいわよね?」
ピアザは、もちろんと手を振る。
そうなると、ミレーも断れない。
「では、アンジェ王女のお時間を共有できる幸せを噛み締めさせていただきます」
さりげなく、ミレーは私の手からお酒のグラスを取り、ボーイに下げてもらう。
私も、飲めと言われることがなくなりホッとする。
「私たちは、端で歓談して待っていよう」
そう促され、肯定とも否定とも取れる笑顔をして、私はピアザと共にするしかなかった。
軽やかな音楽が再び流れ始めると、アンジェ王女とミレーのダンスは注目を浴びる。
アンジェ王女も美しい方だし、ミレーは、やっぱり立ち姿が美しいし、エスコートも上品だもの。
まるで物語の1ページみたいだ。
アンジェ王女から声がかかるのも納得出来た。
もうしわけないが先程のピアザ様とのダンスより絵になっている。
私もみんなからそう見られているのよね……
ダンスをする二人をぼんやりと見つめながら、そう考えると胸が苦しくなる。
「パトリシア夫人は、お酒は苦手なのかい?」
ピアザが、二人を眺めている私に声をかける。
「いえ、こういう場ですので、控えめにさせていただいてますの」
私は飲めるとも飲めないとも言わずにおいた。
どんな弱点が悪用されるかわからない。
「そうなんだ。それなら、ジュースを渡せばよかった」
「いえ、今は喉が渇いてないですし……」
ミレー以外からはもらわない。
そう決めている。
私は手を振って断ろうとした。
その時――
「あなた!なんでこんな女と話して、目立つ場面をミレーに奪われているんだい?」
この声は!
私が、ギョッとする間も無く、私とピアザの間にシャトレーヌ夫人が飛び込んでくる。
「い、いや、アンジェがミレーと踊りたいっていうから……」
セカンドダンスだからいいだろと、その勢いに圧倒されながらピアザが言い訳をする。
だが、シャトレーヌ夫人は、ミレーは、わざと王女と自分の方が似合っているとアピールしているに違いないとピアザに言ってきかせている。
(これは、面倒臭いことになったわ、巻き込まれないようにしなくっちゃ)
そーっと、その場から離れようとしたが、私と話をしているのを確認した上で、怒鳴り込んできたのだろう。
「ちょっと、あなた!ミレーを愛人に奪われているからって、こんな場所くらい夫をちゃんと繋ぎ止めていなさいよ。今日は息子の大切な日なの!」
「母上!そこまでで……」
ピアザは、悪目立ちするシャトレーヌを急いで止める。
私はイライラとし始めた。
「あら?アンジェ王女が、ミレーと踊りたいと言ったのは、それだけ夫に魅力があるからですわ。むしろ名誉なことではありませんか?」
私は、ツンとして言いがかりはよしてくれという態度で通すことにした。
バックミラー公爵家とロッケルバンパー侯爵家の関係はすでに破綻しているのだ。うまく取りなす必要もない。
だが、これが失敗だった。
「まああっ!息子が、ミレーより劣るとでも?」
わなわな震えて、夫人はそばにあったグラスを突然私にぶち撒ける。
真っ赤な液体が、私の頭から降り注いだ。
きゃーっと叫び声が上がる。
「お、おい!なにやってる?」
慌ててバックミラー公爵が飛んでくる。
やばい!
なんか大事になってない?
ミレーも、何か起きていると気付いたのだろう。
踊りながら視線を向けた。
王女に何かを言ってこちらに来ようとしているが、王女が引き留めている。
困ったわ!
「この女が、ピアザを馬鹿にしたのよ!」
「馬鹿になどしておりません」
ぽとぽとアルコールの滴が落ちる。
異様な雰囲気を感じたのだろう。
周辺にいた元カノ夫人たちが急いで止めに来てくれる。
「服を着替えた方がいいわ。あちらに部屋もあるし……」
「ありがとう。でも、大丈夫」
あと少しだ。
ここで一人にならず、ミレーを待ってあげないと……
しかし、セカンドダンスでミレーが息子の代わりに注目を浴びるだけでここまで反応するものなの?
これは……シャトレーヌ夫人の完全な私怨だわ。
夫である公爵が、お義母様に夢中だった。
その息子を襲って傷つけて鬱憤を晴らした。
そのうち、その息子の悪い評判を聞いてざまあみろと思っても、結局、ミレーは幸せな結婚をしている。
更に、息子の婚約者の王女すらミレーに夢中で、注目を浴びている。
だから、許せない!
そんなところだろうか?
私は、そんなくだらない逆恨みのようなことで、ミレーがずっと苦しんできたんだと思うと、腹が立ってたまらない。
ミレーがこの女から傷つけられた過去を、自身を傷つける行為を繰り返すことで乗り越えようとしたことも……この女は知らないのだ
今日、ここに来るまでに、この女のせいでどれだけミレーは不安定になったか?
王女からのダンスの誘いですら断ってでも、私をこの女や公爵たちから守ろうとしてくれたのに……
きっと今日、こうやって、この女からお酒をかけられた私を見て、また優しいミレーは心を痛めるのだ。
私がミレーを守る。
ミレーは何も悪くない!
ミレー、約束破ってごめんね。
私は、そばのテーブルから、グラスを取りぐいっと飲み込んだ。
お酒の力を……借ります!
そして、
そりやあああああっ!
目の前のシャトレーヌ夫人に、アルコールを頭からかけ返す。
「ミレーがあんたに襲われてどれだけ傷ついたと思ってるのよ!」
「な!」
まさか、私がここで全てを暴露するなんて思わなかったのだろう。
私は、お酒の効果で、体がポカポカしはじめた。
「皆さーん!聞いてください。あのお、ミレーはぁ、15歳でこの女に襲われたんですよぉ」
みんなざわっとする。
私は、更にテーブルにある酒を、どんどん飲み続ける。
「夫の初めてをーー!かえせぇ!」
「かえせぇ!!わたしの愛する人の!初めてを返せ!」
周りが慌てて止める。
「パトリシア夫人、どうなさいましたの?」
ナンシー夫人が止めに入る。
わたしはボロボロ涙を流しながら訴えた。
「この女に!」
私は、指をびしっとシャトレーヌ夫人に向ける。
「ミレーは襲われたの!しかも、一方的に襲ったくせに工作までしたの!なにさ!自分の旦那を繋ぎ止められなくて、こーしゃくが、お義母様に復縁して欲しいって結婚したのを迫るのを嫉妬してさ!」
「な、なんて言いがかりを!」
「嘘よ!この子の言っていることは嘘!」
バックミラー公爵夫婦は、訴えてやると大声で叫んだ。
「ふん、意外とホコリを叩いたらまだ余罪があるんじゃないんですかぁ!」
私は、ナンシー夫人や知っている周りの元カノたちに、本当なの、ミレーは傷ついていたのと譫言のように繰り返す。
そこに、慌ててミレーが飛び込んできた。
「パトリシア、大丈夫かい?もういい、もういいから。ね、もう、私を守らなくていい」
ミレーは、譫言のように、お前がミレーを襲った!傷つけた!と叫ぶ私を抱きしめる。
そうすると、元カノたちが、そっとざわざわと噂し始めた。
「そういえば……そんなウワサを聞いたことがあったような……」
「あら、私も実は……」
「そんなまだ15の子供を……ねぇ……」
そうなると、会話は早い。
みるみる間に、私の叫びは誰もの周知の事実のように会話されていく。
元カノさんたち……どうぞ、情報拡散お願いします。
私は、足元から力が抜ける。
「パトリシア、帰るよ。もういいから、ありがとう」
涙をこぼし、私がいうことを否定しないことが、ミレーの答えだとみんなが、悟る。
私を抱きしめるミレーと、そばでわめくバックミラー公爵夫婦、そして、真っ青な顔をするピアザの姿が見えた。
更には、どういうこと?何があったのと騒ぐアンジェ王女も。
結局、私は、ミレーを抱きあげられ、そのまま帰路についたのだった。
◇
「す、すいません。もう離縁案件ですよね。しかも、あんなセンシティブな話を、本人の許可なく……」
アルコールを結局、何杯浴びたのかわからない。
とにかくミレーに謝ったことは覚えている。
その後の記憶は曖昧で、嘔吐して、翌朝は頭痛。
私の中では、シャトレーヌ夫人にお酒をかけ返す。
そして、普通の声で、許せないことを、私は全て知っていると伝えたいだけだったのだが……
「お酒を飲むと、気が大きくなり、声もデカくなります」
私はしゅんとした。
王家の用意した舞台を潰した罪は重いだろう。
「気にしなくていいよ。ふふっ、あの女の顔、わたしは絶対忘れないよ。爽快だったな」
ミレーはそう慰めてくれるけど、何度もミレーは王家に足を運んでいた。
まだ、王家から聞き取りがあるらしい。
ミレーは、数日、王都に行って留守だ。
それだけではない。
お義夫様やお義母様も……王都にずっと行きっぱなしらしい。
賠償金を払う形だろうか?
爵位にまで影響が出るだろうか?
王女の婚約発表の場だもの……
私は、離縁と言われたら出ていく覚悟は決めていた。
「守ってくれてありがとうと、何度もミレーは言ったけど、私は、ミレーの経歴を更に傷つけて、守れてないよね」
王家の舞踏会で、公爵に酒をかけて悪態をつく妻――
「前代未聞だわ」
はぁーっ
元カノたちからの、探りを入れるお便りがたくさん届く。
こちらには、当日のわたしの行動のお詫びを書いて、また仲良くして欲しい旨を綴った。
「実家にも迷惑をかけたかしら?」
父は、ちょうどぎっくり腰になって、あの舞踏会には参加しなかったが……きっと、今頃話を聞いて、目を白黒させて心配しているわね。
何もせず大人しくしていた方が良かったのかしら?
ミレーは、あの被害に遭った時に、隠されたことがショックだったと言っていたけど、別に今、真実をみんなに知ってもらいたかったわけじゃない。
「どうしよう。修道院に出家しようかしら……そうしたら、この罪は丸く収めてもらえるかも……」
呟く声が聞こえたのか、マイヤーがギョッとした顔をする。
「奥様、勝手に早まってはなりません。ミレー様や先代様がいいようにしてくれますよ。それに、ミレー様を傷つけた女に酒をかけたんですってね。私はそれを聞いて、胸の支えがおりましたよ」
日中ぼんやりとしている私を、心配してマイヤーが声をかけてきて、私は、お酒をかけられた話から、しまったと思い出す。
せっかくのラッシュマダムの力作を……
私は台無しにしたんだわ。
いろんな人たちの努力を踏み潰した事実に、顔を覆う。
「ラッシュマダムにお詫びをしないと……」
「ええ、ミレー様と落ち着いたら行かれたらいいですよ。みんな誰も奥様を責めている人はいません。今は奥様は謹慎している身となってます。大人しくしましょう」
私は頷くが、いつでも離縁を受け入れるために、ここにやってきた時のバッグに身支度を始めていた。
「こういう時は、頂いたものは全部置いていくのが正解?」
嫁入りに着ていた服は、二年の時が経ちさらにボロボロに。
そして、肉付きが良くなってきたので、体には入らない。
「どうしよう?今着ている一枚はもらって……あとは、ミレーが私にくれた初めては、貰っていいよね」
そうやって、この服は、ミレーがプレゼントしてくれたもの。
このブラシもアクセサリーも……
私は、なにも困らないようにミレーが全部揃えてくれていたのだと実感する。
「ミレーから、何もかも本当に守られていたんだ」
買ってもらったものは残さないと……
ポツンとバッグに入ったのは、ミレーがわたしのために縫ってくれた刺繍入りのハンカチだ。
私に初めてのものを何とか贈ろうとしてくれた。
涙がボロボロ溢れていく。
でも、カバンには、そのハンカチ以外なにも入れられるものはなかった。
◇
「では、この金額は慰謝料として払われたものか?」
「そうでございます」
ミレーは、父母と共にその時のことを王の前で証言していた。
だが、時が経ちすぎている。
一方で、どんなに女性遊びが激しい過去があったとはいえ、まだ15歳のミレーが、母親の歳の女性を襲うだろうかという疑問の声があった。
更に調べたら、シャトレーヌ夫人の余罪もたくさん出てきたのだ。
また、動機の面でも、バックミラー公爵が、結婚後のロッケルベンバー侯爵夫人に復縁を迫り、先代公爵に申し入れたものがあった。
婚約破棄の原因が、シャトレーヌ夫人との不貞であったのは、周知の事実にも関わらずだ。
王家も、王女と公爵嫡男の婚約発表を延期していた。
そして、嫁がせるに値する家かを精査しているようだった。
「すでに、既成事実のように噂がまわっておる」
「妻は嘘を申してはおりません。確かに、お酒を飲んで大声を出し、公爵夫人に無礼を働いたことは事実です。ですが、王女と私がダンスをしたことで、妻を責めたて、先にお酒をかけてきたのも夫人の方からです」
「それも、周囲の証言からわかっておる」
王は、ふーっと息を吐いた。
「過去のことについては、どちらが正しいことだったのかを証明する手立てはない。だが、世間はもう真実は、貴殿の妻の言い分だと思っておる」
ミレーは頷いた。
自身の冤罪を晴らすのは無理だろうと思っていた。
でも、貴族の世界は真実ではない。
周りがどう思うかなのだ。
皮肉にも、パトリシアが輪を広げた元カノたちが結束して、私とパトリシアを守ってくれた。
「だが、少なくとも王女が嫁ぐに値する家ではないということは断言できる。それが其方たちの名誉回復に繋がれば良いと思っているが……ふふっ、そなたの悪評も耳には入っているが、これからは妻を大切にな」
「私にはもったいない妻だと、生涯大切にしたい妻だとおもっております」
ミレーは、恭しく頭を下げた。
「其方の妻の言動については真偽不明のため罪には問わぬ。また、公爵夫人に対して行った行為も、双方ともに行った行為のため喧嘩両成敗とする」
王は、ミレーと両親にそう告げて退席した。
◇
「ミレー、パトリシアさんのご様子は?」
領地に帰ることになり、ミレーの母、アンバーは心配そうにミレーに声をかけた。
「彼女はとても落ち込んでいるよ。あの子がスポットライトを浴びる絶好の機会だったから可哀想なことをした反面、私はほっとしていますがね……」
そう口でいうが、ミレーは心を痛めていた。
本人は自信なさげだったが、間違いなくあの日一番綺麗で目を引いていたのはパトリシアだったと思う。
自分の男友達の見る目が、若くてかわいい妻を羨む声から、明らかに女性を意識した、いやらしい目で見る顔に変わっていた。
流石に、酒を飲んで暴れた後は、一斉にドン引きしていたので、自ら男避けをしてくれたので、ほっとしたというのも事実だ。
けれども、自己肯定力の低いあの子が花開くチャンスを潰したのは、間接的とはいえ、自分のせいだったことに心が痛くなった。
「ミレー、私たちがあの時、お前の身の上に起きたことを隠そうとしてしまったことが、後々のお前やパトリシア殿まで苦しめることになってしまった」
ミレーは、いつになく落ち込んでいる父を見て、ははっと元気づけるように笑った。
「もう、済んだことですから……それに、私も父上と母上がご存知のように、私も自分を誤魔化して、他の女性に逃げてしまいました。これからは、パトリシアを大切にして暮らします」
そう言って微笑むミレーを、二人は涙を流しながら抱きしめる。
「父上、母上……長くご心配をおかけしてすいませんでした。」
ミレーも、一筋涙を流しながら、父と母と抱擁を交わした。
◇
「パトリシア、帰ったよ」
私は、ハンカチしか入っていないカバンをもって、ミレーに頭を下げた。
「ミレー、謝って済むことじゃないことは分かっているわ。離縁の覚悟はできたわ。この後は修道院に行って、二度と酒は飲まないと神様に懺悔しながら生きていくわ」
「こらこら、マイヤー、止めなかったのかい?」
ミレーは、わたしのカバンを取って、中身を開けた。
「ふふっ、私が作ったハンカチだ。あれ?中身はそれだけ?もっと君のものを増やさないといけないね」
ミレーがマイヤーに中身を見せると、マイヤーも、はあーっと大袈裟にため息をついた。
「今は謹慎中だから、出家も禁止ですと言ったらバッグにハンカチ入れて毎日ため息をついておられたんですよ」
ミレーは、マイヤーにお礼を言い、ハンカチだけ取り出してカバンをしまうようにお願いした。
「今日で謹慎は終わり。お咎めもなしだよ」
ミレーは笑って、私の両手を握った。
「国王にも、妻を生涯大切にすると告げたからね。だから、君の出家も禁止だし、君は私に生涯大切にされないといけない。そうしないと、私は国王を謀った罪になるかも……」
「ええっ!私は、お咎めないんですか?出家も禁止……だけど、私はミレーの過去を勝手にみんなに話したんですよ。しかも、酒を飲んで暴れるなんて……」
私は、顔を手で覆って途方に暮れる。
「うん、そのおかげで私は過去を隠す必要がなくなった。女性関係は褒められたものではなかったけど、その彼女たちが、君と一緒に、私の窮地を救ってくれたんだから、過去も悪いもんじゃないよね」
ミレーは、ハハッと笑って、そっと、私の手を顔から外した。
よく顔を見せてと言い、私の顔を覗き込む。
「そうそう、ラッシュマダムのお店は大繁盛だってさ。」
ミレーはおかしそうに笑う。
「えっ?お酒をかけられたドレスですよ?」
私は、もう二度と着られなくなったシミがついたドレスを見るたびに悲しくなっていたのだ。
やっとミレーの隣に立つのに、釣り合うドレスを作ってもらったのに……
お前はミレーに釣り合わない
そう、着られなくなったドレスに言われているような気持ちだった。
「それがね、愛する夫を守る紅のドレスとして人気なんだってさ。母上が、ラッシュマダムにお詫びをしたら、むしろ話題のドレスとして注文が絶えないとお礼を言われたそうだ」
「愛する夫を守るドレス?」
私は呆然と呟いた。
お酒をかけられても、その場から動かず、ミレーの冤罪を晴らそうとしたからだろうか?
冤罪……そうだ!
「ミレーの過去のことはどうなったんですか?」
私は、それを一番心配していた。
お咎めはないというが、私が言ったことに何の証拠もないのだ。
ミレーは、首を横に振った。
「残念ながら、過去のことを全て明らかにはできなかった。ただ、今回のことで、公爵家に王女が輿入れすることはなくなった。それに値しない家と王家が宣言することは、公爵やシャトレーヌ夫人には瑕疵があると王家が認めたようなもんだからね」
私は、目を見開き、信じられないと、止まらない涙のままミレーの手に触れた。
「じゃあ、事実上のざまぁが出来たってこと?」
私は確認する。
ミレーは、笑って頷いた。
「そう。元カノを味方につけた君のおかげだよ。パトリシア、だから、今度は、君が幸せになるための手伝いを、私にさせてほしい」
「私は、幸せよ」
そう、ミレーから言われて私はキョトンとする。
ミレーから、多くの優しさや誠実さを受けて、私は使用人のみんなや、影さん、元カノさんたち、そしてなんだかんだでセラフィーヌ様も私を助けてくれている。
だから、結婚前の生きていくのに精一杯だった時代を思えば、1000倍ぐらいは幸せなんだけど……
だが、ミレーは、全然足りないと首を横に振った。
「あと1000倍は、自己肯定力を上げないとね。君はすぐ自分を責めてしまうし、自分を二の次にして私のために動いてしまう。私が毎日毎日甘やかし続けて、褒め続けて、君のために尽くす夫になるから、私はすごいって自信をもってよ」
ミレーは、わたしの顎を持ち上げ、唇を重ねてそのまま優しく触れながら、深く長く味わうように口付けを続けた。
「そして、君が、私のためではなく、自分のために動けるようになったら、二人の子供を作ろう。家のためでも、誰かのためでもない。二人のための愛し合って出来る二人の子供だ」
「ミレー……」
私は、ぎゅっとミレーに抱きつく。
ミレーも抱き返す腕に力を入れた。
「そうだ、君と私は平等に愛し合わないといけないからね。君にも本当の責めを教えてあげよう」
ミレーは、おかしそうに私を見て笑った。
「本当の……責め?私はちゃんと責めたつもりだけど……あれは、偽物の責め?」
《頭突き》と《ヘッドロック》は腕だけだったからダメだったのかしら?
もしかして、足技も必要だったのかも?
私は、思わず首を傾げる。
ミレーは私の耳元に、口を寄せた。
「男女の関係の責めはね……」
それを聞いた私は、ボンッと音が鳴りそうな勢いで、真っ赤になりミレーから離れて後退りする。
「わ、私はなんてことを!セラフィーヌ様にミレーを責め立てすぎて昇天させてしまったと言ってしまいました。あわわわ!どうしましょう!」
知らないとはいえ、これは夫の名誉のためにいいのか?
「影から聞いてるよ。あのセラフィーヌを歯ぎしりさせるなんてたいしたものじゃないか。私はそんなかわいいパトリシアが好きなんだ。だけどね、そんなのも全部私が教えてあげたいんだ。どう?責め方、知りたい?」
私は、真っ赤になって俯きつつ、目を閉じてこくんと頷く。
「分かったよ。じゃあ、今夜から少し濃厚な夜になるね。覚悟しておいてよ。ああ、そうそう、夫婦の夜伽の内容は他言禁止だからね」
「わかったわ。セラフィーヌ様にも元カノさんにも相談はしないわ」
私は、恥ずかしくなって頷く。
「よろしい。じゃあ早速夫婦の寝室に行こうかな。愛する奥さん」
ミレーはそう言って、私を抱き上げる。
私も、ミレーの首筋に抱きつき、小さな声で返答した。
「よろしくお願いします。今夜は責めますね」
そう言って、二人で破顔した。
《完》




