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シカト  作者: 東京卑弥呼
9/25

〈8〉正しき者に背を向け、不正を働く者に媚びる

もう、このエリアで砂田の勤務態度に異を唱えるのは中原夏樹、ただ一人となった。

砂田は自分のやり方。端から見ればただのわがまま。それを認めない夏樹が疎ましくてたまらないのか、夏樹をシカトし続けた。

砂田は夏樹に対して何か言いたいことがあるとそれとなく事務所で長嶺に話しかけた。

「あまり、良くないな」

「何がですか?」

「ん、いや、中原君のことだよ」

「……」

「みんな、一つにまとまっているのに、一人だけ和を乱しているように見える。そう思わないか?」

「そうですね」

「中原君は俺の事、ちょっと誤解してるんじゃないか? 俺がみんなが出勤する前に早朝に来てトラックに荷物を積んでいるの、知ってるよね?」

「ええ、知ってます」

「みんなが出勤する前にやってるんだよ。俺がやらなかったら誰がやるの? 長嶺君、みんなより早く出勤してやりたい? 時間まで寝ていたいだろ」

「ええ、まぁ」

「そういうことも俺はやってるんだよ。そういう苦労も知らない癖にガキのように拗ねる奴がいるのはいかがなものかなぁ」

「……」

「俺がわざわざ早朝にきて、勤務時間外に仕事してるっていうのに。俺だって本当は寝ていたんだよ」

「そうですよね」

「体キツイんだよ。仕事中、少しは休ませてほしいよ」

「はい……」

「ほんと、参っちゃうよ」

確かに砂田は早朝、エリアに来たトラックにフォークリフトで積み荷を積んでいる。

しかし、それは今までなかったこと。

砂田が気心の知れたトラックの運転手と画策して早朝にやってくるようになった。

それは仕事の為ではない。

訳アリ品や高級品の作物を横流しして売りさばくために誰もいない早朝に来てもらうようになったのだ。その方が気兼ねなく横流し品を沢山積み込める。

しかし、その事実を長嶺は知らない。

「特に中原君は年下なんだから、もっと年上を敬わなくちゃいけないんじゃないかな。それを俺に対してあんな態度を取るなんてどうかと思うよ」

「そうですね」

「長嶺君はエリアマネージャーなんだから、そこらへんのことも中原君としっかり話した方がいいんじゃない?」

「そうですね」

「いろいろ話した方がいいよ。このエリアの為にも。エリアの長である長嶺君の為にも」

それは暗に夏樹を何とかしろ、と言っているのと同じ。

砂田は長嶺を使って夏樹を吊るし上げようとしていた。

それに対して長嶺は拒むことは出来ない。

「わかりました。今度、話してみます」

「そうした方がいい」

そういうと砂田は立ち上がり一服しに事務所を出た。

長嶺は出て行く砂田を確認してから深いため息をついた。

砂田は決して自分から、やれ、とは言わない。やるように仕向けるのだ。自分の手を汚さず、自分の思い通りにことを勧めようとする。それが砂田のやり口でもある。

そのやり口の最たるものが、シカトなのかもしれない。

シカトすることで相手に歩み寄らせようとする姑息な手を使う。

それゆえ一度シカトされると、シカトされた者が歩み寄らない限り、限りなくシカトされ続けるという始末。

しかし、夏樹は一向に歩み寄ってこない。

砂田もまた、これだけ長くシカトし続けると、シカトの終わらせ方がわからなくなっていた。まして自分から歩み寄ることは断じてない。自分に非があるなど微塵も思っていない。

要は無自覚なのだ。

それゆえ自分を顧みることもしなければ、当然、悔い改めることもしない。そういう概念を持ち合わせていない。してはいけないことに対して全くの無自覚。そういう人は人に言われて初めていけないことに気づく。いや、人に言われても一向に受け入れない人もいる。

このエリアで砂田に異を唱える人は夏樹以外、もう誰もない。

そうなると話は別になる。砂田は自分がいけないというよりも、夏樹が生意気としか思っていない。年下の分際で自分にとやかく言ってくると自分の印象に傷がつく。それが許せないからシカトに走る。シカトしてそのまま放っておけばいいのだが、それもまた出来ない。特にこのエリアでお互い、生きている以上、何かにかこつけて目につき、鼻につく。言われたからには言い返したい、と難癖付けたくなる。それが砂田の性分である。

しかし、シカトをしている自分から夏樹に物申すことはしない。自分の印象を悪くしないためにも自分の手は汚さない。根回しして人にやらせるように仕向ける。そこで砂田はエリアの長である長嶺を焚きつける。それら一連の行動が全て本能。それはある意味、砂田の底意地の悪さが天賦の才なのかもしれない。


夏樹は一人、広大なキャベツ畑でキャベツの手入れをしていた。

するとそこへ長嶺が缶ジュースをもってやってきた。

夏樹は長嶺を見上げてから、またキャベツの収穫を続けた。

長嶺は夏樹の傍にしゃがみ、手に持っている缶コーヒーを夏樹に渡した。

「ありがとうございます」

「最近どう?」

「どうって、別に、普通に働いてますよ」

「そうか」

「なんです?」

「いや、みんながね、中原君、どうしたのかなって心配しているから」

「心配って、何を心配するんですか?」

「いや、みんなが言うには、中原君は以前は話しやすかったのに、声をかけにくくなったって。愛想もなくなったし協調性も感じられないって、みんな口々に言うから」

夏樹は呆れた。

「なんです、それ。それにみんなっていうけど、砂田に言われて来たんですよね」

「言われてないよ。みんながそう言うから来たんだよ」

「……」夏樹は黙った。いや、言葉が出なかった。

「ほんと、なんとかうまくやってくれないか?」

「うまくやれって、何を、どうしろっていうんです。俺はこうしてちゃんと働いてますよ。それを心配するのは変じゃないんですか?」

「……」長嶺は夏樹の反論に微動でにせず、冷静に受け止めた。

それに構わず、夏樹は今のエリアの現状を長嶺に訴え始めた。

「井原さんは口動かさずに手を動かせ、と常々言っていました。労働意欲なくして生産性なしとも。でも今は違う。井原さんがエリアを去ってから、タガが外れて気が緩んでいるようにしか俺には見えない」

「そうかな。俺には前よりみんな和気あいあい、楽しく働いているように見えるけど」

「それは職場を引き締めていた人がいなくなったからです」

「でも俺は、農作業は単純作業だから明るく楽しくやっていきたい。井原さんたちのやり方を踏襲するつもりはない。これからは俺のやり方でやっていく」

「……」

「今、このエリアSは過渡期を迎えていると思っている。お前もそれに従ってほしい。俺はお前もエリアSでは大事な戦力だと思っている。だから、もっとみんなに近づいてほしい。みんなもそう思ってるぞ」

「……」

「お前も年下なんだから、もっと砂田さんに歩み寄って仲良くやってくれよ」

夏樹は長嶺がここに来て、本当に言いたかったこと言ったと思った。

「やっぱり砂田さんに言われて来たんですね。それが本音ですね」

「違うよ。俺なりに中原君と砂田さんの仲が悪いのが気になっているんだよ」

「仲が悪いんじゃない。事の発端は砂田さんが仕事中に仕事してないことを注意したら砂田さんがシカトしはじめたんだけです。それなのに、なんで俺が砂田さんに歩み寄らなくちゃいけないんですか? 悪いのは砂田さんだ。それにそもそも歩み寄るって年下がするもんなんですか? そんなことしたら、ここは年長者しかいない。俺はみんなに歩み寄って、へらへら卑屈になって年上に弄られ放題、いびられて生きろっていうんですか⁉」

「歪んでるなぁ。誰もいびらないよ。そう考えることが卑屈なんだよ。みんな、お前のことが心配なんだよ」

「心配って。倉持さんに俺を定時で上がるように言わせて、その後、みんなで俺の事、好き勝手にしゃべってるんですか? まるで欠席裁判じゃないですか」

「卑屈だなぁ」長嶺は苦笑した。

しかし、夏樹は止まらなかった。堰を切ったように言葉が溢れ出した。

「砂田を中心に俺の悪口を言って盛り上がってるでしょう? そんなの、ただのパワハラじゃないですか? そもそもなんで砂田さんの勤務態度を正さないんですか? 長嶺さんが話さなくてはいけないのは俺ではなく砂田さんじゃないんですか?」

「ちゃんと事務所で話しているよ。このエリアの方向性とか、どうしたらみんな楽しく働けるとか」

「楽しくって⁉」

「どうしたら最年少の中原君がその和にうまく溶け込めるか? そのことで頭を悩ませてるよ」

「な、頭を悩ませるって。ずっと砂田さんがシカトしてるだけじゃないですか!」

「そうか、俺にはお前が避けているようにしか見えない」

夏樹は絶句した。

「みんな、お前が砂田さんのことをこんなに長くシカトしていることに驚いているよ。倉持さんなんて子供の反抗期だ。駄々こねて構ってほしいだけなんじゃないかって言ってるよ」

「どうしてそうなるんですか! 大体なんで俺が砂田さんをシカトしていることにすり替わってるんですか!」

「みんなは砂田さんとうまくやっている。けど、お前だけが違うだろ」

「俺が話しかけると疎ましく思うから。そうしたら自然と口数も減るじゃないですか!」

「でもみんな、お前がエリアSの和を乱していると言っているぞ。あんまり俺の手を煩わせるなよ。頼むよ」

「……」

夏樹は茫然とした。言葉が出なかった。

そんな夏樹に長嶺は夏樹の肩に手を乗せた。

「うまくやってくれよ。頼む、俺の心労を無くしてくれ」

そういって長嶺は夏樹の傍から離れていった。

夏樹は一人、その場にしゃがみこんだままキャベツ畑を見た。

「ダメだ。俺のいないところで砂田がどう振舞っているか容易に想像がつく。長嶺さんもここに来たのは砂田に言われたからだ。俺の前ではなんとか体裁を繕っているも要は砂田のただの使いっぱしり。実態は砂田の言いなり。もう砂田の傀儡に過ぎない」

夏樹は悟った。

もう、このエリアで何を言ってもダメだ。

ここは日和見主義の集まりだ。

エリアの長である長嶺エリアマネージャーを筆頭にみんな砂田に迎合している。

働きもせず不正に給料を得ている者を正すことさえ出来ない。

自浄能力のない職場だ。


〈どうしてこうなってしまったんだろう?〉


そう、あの時。

エリアの誰かが俺のことをシカトする砂田を見て「そんなくだらないことは、やめなさい!」と注意していれば、砂田はこんな身勝手で傲慢な振る舞いを辞めたのかもしれない。

いや、それ以前に砂田が仕事中に仕事のふりをしてさぼっているときに長嶺マネージャーが毅然とした態度で接していれば、わがままを許さないという覚悟をもって接し続けていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。みんなも砂田の態度を許さなければ砂田もさぼるのを辞めて、井原さんや兼松さんがいたころと同じように働いていたのかもしれない。

それをみすみす許してしまったばかりに、ただのわがままが次第に悪へと変容してしまった。

わがままを見過ごさず許さなければ、こんな姑息な悪へと変わることはなかったはずだ。

結局、長嶺マネージャーは悪を許容してしまったんだ。

夏樹は砂田のわがままに屈し、そのわがままを悪に変容させ、その悪を許容したことが全ての始まりで終わりだったと、この時、確信した。

悪は決して許容してはいけない。

断固として戦わなくてはいけないものだと痛感した。

しかし、もう遅い。

長嶺は砂田の傀儡に成り下がり、エリアSは実質、砂田を頂点とした独裁エリアになってしまった。


〈正しき者に背を向け、不正を働く者に媚びる〉


夏樹は心の中で嘆いた。



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