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シカト  作者: 東京卑弥呼
17/25

〈16〉過渡期

「新しい公邸を作ろう!」

そう言いだしたのは砂田だった。

「いきなり、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもないだろ! 新婚なのに新婚旅行も行かず、嫁さんは今までと何も変りなくここで働いて、一体何が変わったんだ? これじゃ、結婚もただ婚姻届けを出しただけじゃないのか?」

「新婚旅行は頃合いを見て行くつもりです」

「でも、今はいかないんだろ?」

「はい」

「じゃ、結婚して何が変わったんだ?」

「一緒に住むようになっただけかもしれません。でも、僕はそれだけで十分幸せです。大きな変化です。考えられないことです」

「じゃ、彼女はどうなんだ? 彼女も幸せなのか?」

「それは」長嶺は言葉に詰まった。

「彼女はただの飯炊き女になりさがっただけじゃないのか?」

「……」

「あんな古い家に住んで、ただの飯炊き女じゃ、可哀想だろ。違うか?」

長嶺は何も言えなかった。

長嶺が住んでいる家はエリアSのマネージャーが公邸として使用している屋敷でその屋敷は百年ほど前に豪商が別荘として建てた洋館。別荘といっても6LDKの二階建て。

そこへ結婚した雅も一緒に住むようになった。

二人が住むにはなんの支障もなく充分である。

それどころか時の豪商が建てただけあって、今ではクラシック的な雰囲気を醸し出し、それがかえってお洒落に見えた。長嶺も気に入っていたし、雅も嫁いできたとき屋敷を気に入っていた。

「でも、雅さんも気に入っていってましたよ」

「そりゃ、建前だよ」

「そうですか」

「そうだよ。あの屋敷は古いよ。俺がドライバーをやっていたころから思ってたんだ。他のエリアと比べて、ここのエリアマネージャーは随分、カビ臭い屋敷に住んでるなぁって。まぁ、兼松さんが素朴な人だったからあんまりこだわらなかったのかもしれないが、他のエリアはもっと立派だぞ」

「そうですか。でも、自分はこのレトロ感も味わいがあって、なんか落ち着きますけど」

「落ち着くって。エリアマネージャーの邸宅なんだからさ、来客が来たとき、あの家に泊まらせるのか? 結婚して美人な嫁さんを迎えたんだからさ、これを機にもっと立派な公邸にした方がいいよ。他のエリアと比べても遜色ない立派な公邸を建てた方がいい。あの家だと正直、他のエリアのマネージャーに舐められるぞ! エリアSのマネージャーは嫁さんは綺麗だが住まいはおんぼろだって言われるぞ」

「でも、新しく建てるとなるとお金もかかりますから」

「そんなの百年も前の建物なんだから、老朽化が酷いので新しい公邸を建てるといえば許可は下りるんだろう?」

「下りると思います」

「なら新しい公邸を建てよう。これから、このエリアSは変わっていく。嫁さんばかり他のエリアにアピールしてもしょうがないだろう。それにはまずエリアSの顔でもあるエリアマネージャーが住む公邸を新しくした方がいい。それに彼女だって新しい家に住んだらきっと喜ぶぞ。なんてったって新婚なんだから」

「……」

「これは可愛い嫁さんのためでもあるし、お前のためでもあるんだ。お前もちょっと力のあるところ、ガツンと見せた方がいい。嫁さんにいいとこ、見せたいだろ?」

「ええ、まぁ」

「なら、やった方がいい。大体あの屋敷の修繕費だって馬鹿にならないだろ」

「それなりにはかかってますけど」

「もう潮時だよ、潮時」

「そうですか」

「そうしろって。俺の言うこと聞いといたほうがいいよ。第一、今まで俺の言ったことで間違っていたことあるか? 樋口さんなんかその最たるもんだろ。俺が嶺ちゃんのために色々、骨を折ったから結婚できたんだぞ。そのこと、わかってんのか? 普通ならあり得ないことだよ」

「そりゃもう、恩に着ります」

「なら、新しい公邸を建てよう。俺がどんな邸宅にするか、業者と話し合って色々やっておくから」

「はい」

「楽しみにしてくれよ。でも、正直、ここだけの話、表向きは老朽化で建て替えることになってはいるが、本当は俺からの嶺ちゃんと雅ちゃんへのプレゼントなんだよ」

「え?」

「我らのエリアマネージャーが結婚したのに結婚祝い一つないなんておかしいだろ。ほら、ここの連中、そういうの、気が利かないだろ。ほんと俺が言わないと何もできないんだから。だから結婚祝いと思って受け取って欲しいんだよ」

「そうだったんですか」

「当たり前だよ。嶺ちゃんはここの長なんだから」

「ありがとうございます」

「嶺ちゃんたちが新しい公邸に引っ越したら、あの古い屋敷は俺が住むから。壊すにはもったいないし、かといって誰も住まないと家は傷むから。だから、その点は安心しろ」砂田はさりげなく言った。

「わかりました」長嶺は内心悟っていた。

砂田はあの風情あるレトロの屋敷が気に入っていることを。

そして、何より砂田はエリアで働く人々と同じ平屋の戸建てに住んでいること自体、自尊心が許さないのだ。そのために新しい公邸を作り、自分たちをそっちに移らせ、砂田が豪商が建てた洋館の主になる。そのことを長嶺はわかっていた。わかっていても何も言えない。

「それともう一つ、作りたいものがあるんだ」

「なんです?」

「やっぱさ、このエリアに来客が来たとき、何かくつろげる売りみたいのがあった方がいいと思うんだよ。ここ、何もないだろ?」

「ええ、まぁ、自然しかありません」

「だろ。楽しみっていうものがない」

「そうですね」

「そこで、川岸にログハウスでサウナ小屋を作りたいんだ」

このエリアの一キロ離れたところに清流が流れている。キャンプやバーベキューをするのにちょうどいい川岸がある。エリアの人々はそこで休日に釣りをしたり、バーベキューを楽しんだりしている。

「サウナですか?」

「やっぱり、何か一つ、そういう施設があると、何かと接待のし甲斐もあるだろう。お客さんにも楽しんでもらえるし。それにエリアの人々とその家族にも使ってもらうんだよ。ここ、そういう福利厚生的なものが何一つないだろ。だから、そのサウナ小屋が福利厚生施設の役割を担うと思うんだよね」

「……」

「それに、こういうことをすることで、嶺ちゃんの評判にも繋がると思うんだよ」

「僕の評判ですか?」

「そう。このエリアSの長嶺マネージャーはここで働く労働者の幸せも考えていますっていうアピールになる。そうだろ?」

「でも、公邸を作って、サウナ小屋も作るとなると、だいぶお金がかかるんじゃありませんか? なんか、そこまでは生活向上庁が許すとは思えないんですよね」

「いや、それは大丈夫。サウナ小屋は俺が作るから」

「え」

「材木ならいくらでもある。エリアの奥にある森林から木を切り倒して作るから材料はタダだ」

「でも、いくらタダでも、作れるんですか?」

「俺が仕事中、動画を見ているのは別に遊びの為じゃない。動画を見てログハウスの作り方を学んでいたんだ」

「そうだったんですか」

「そうだよ! 俺はこのエリアのことを考えて、色々動画で勉強してるんだよ。サウナ小屋だって、自分たちで作ればコスト削減にもなるし、ここの人たちの楽しみも出来るだろ。ほんと色々考えてるのよ」砂田はため息をつく。

「そうなんですか」

「そうだよ。じゃなきゃ、仕事中にそんなことするわけないだろ。それを中原のガキはワーワー騒ぐし、ほんといい迷惑だよ。人の苦労を知らない奴ほどグダグダ言うんだよ。ほんと、勘弁してほしいよ」

「……」

「俺ほど、このエリアSのこと、思っている奴は他にいないよ」

「……」

「兎に角、サウナ小屋はタダだから心配しなくていいよ」

「わかりました」

「でも、何人か手伝ってもらうから。いいよね」

「わかりました」

「こりゃ、忙しくなるぞ!」

「そうですね」長嶺は愛想笑いをした。

砂田は子供のように浮かれた。

結局、長嶺は砂田に何も言うことは出来ない。いや、砂田に物言える人などこのエリアSには誰もいない。誰も夏樹のように砂田から執拗なシカト、嫌がらせを受けたくない。それはこのエリアの長である長嶺も例外ではない。長嶺もただ砂田の言うことに相槌を打つしか出来ないのだ。

砂田は何もかも思い通りになったのか上機嫌。

「新しい公邸とサウナ小屋のことは、明日の朝礼で俺が言うよ。なんせ、これは嶺ちゃんと雅ちゃんへのプレゼントなんだから」

「ありがとうございます」

「明日まで嫁さんには黙ってろよ」

「はい」

「こりゃ、面白くなるぞ」

「ところで、中原君には伝えましたか?」

「何を?」

「僕と樋口さんのこと」

「なんだ、気になるのか?」

「いや、実は今朝、中原君から電話がありまして。どうもお母さんの体調がよくないから、もう少し休ませてほしいって言ってきたんです。腰の方はだいぶ良くなったらしいんですけど、お母さんの体調が良くないっていうから構わないとは言ったんですけど。それで話は終わって、結婚とかなんも出てこなかったから」

砂田は面倒くさそうに言った。

「大丈夫だよ。吉岡に伝えるよう言っておいたから」

「何か言ってました?」

「いや、何も言わなかったらしいぞ。俺はてっきりあいつのことだから、ネチネチ言ってくると思ってたけど、何もなかったらしい」

そう砂田は言うも実際は何もしていない。

砂田ははじめから夏樹に伝える気など微塵もなかった。

夏樹がゴチャゴチャ言って来たら、相手にしなければいいと思っていた。

しかし、夏樹は雅と長嶺の結婚を知っていた。

披露宴の夜に佐野が夏樹の家に見舞いも兼ねて伝えに行ったのだ。

「余計なことでしたかね」

「……」夏樹は穏やかな目で佐野を見た。

「中原さんは雅さんと付き合っていたっていうから」

「そうだったかな。そんなときもあったのかな」それは強がりでもなく夏樹の本心だった。

確かに夏樹は雅のことが好きだった。

疎遠になる前までは、砂田の素行に対して固執する夏樹と意見が食い違うことはしばしばあったがそれでも二人は付き合っていた。

そして今、理由はどうあれ雅は長嶺と結婚した。

その結婚を裏で糸を引いてるのが砂田なのは明白。その砂田に雅は迎合したのだ。追従したのだ。そんな砂田に追従する者を夏樹は信用しない。

雅への想いはもう完全にない。

夏樹は佐野の報告を冷静に自然体で受け止めた。まるでそれは他人事のように。

もうここに雅が好きだった青年の姿はない。

そこにいるのは人間不信に陥った青年がいるだけだった。

夏樹は佐野に微笑んだ。

「なに、砂田さんに言われて、わざわざそれを伝えに来たんだ」

「砂田さんは中原さんに伝えるつもりはありません。倉持さんとそう話してましたから」

「だろうね」夏樹は微笑した。

「ほんと、別に他意はありませんよ。今日、会いに来たのは見舞いも兼ねたエリアの近況報告です」

「ありがとう」夏樹は佐野に微笑んだ。


いつもの朝礼の見慣れた風景だが今朝は違う。朝礼の終わりに長嶺が砂田を見た。

砂田は頷いた。

「最後に砂田事務官からお話があります。砂田さん、どうぞ」

砂田は一歩前に出た。

「おはようございます」

一同「おはようございます」と返答した後に、砂田が声を張ってみんなに言った。

「エリアSは長嶺マネージャーを迎え、もう一年が過ぎました。そして今、エリアSは過渡期を迎えています。これからのエリアSは長嶺マネージャーのもと、さらなる発展を遂げていきます。その新しい時代への第一歩として、今まで使用してきた公邸に変わる新しい公邸を作ることになりました。そもそも今の公邸は古く老朽化が酷い。これからますます発展していくエリアSにふさわしい立派な公邸を建てるつもりです。また、公邸と共に、みなさんが余暇を過ごしたりしている川岸にサウナ小屋を建てることになりました。そのサウナ小屋は来客をもてなすためと、みなさんが仕事の後や休日にサウナを楽しめるよう福利厚生の一つとしてサウナ小屋を作ることにしました。公邸は業者に頼みますがサウナ小屋は自分たちで作ります。みなさんの中から数名、手伝ってもらいます。その人選はこちらでします。ですので、その間、他の方に農作業の負担が増すかもしれませんが、何卒ご理解ご協力のほどよろしくお願いします」

砂田はそう言うも頭を下げることもなくみんなを見渡した。

みんながどんな反応をするか、見たかったのだ。

人々は直立不動のままいつもと変わりなく黙って聞いていた。

そもそもエリアの人々は日和見主義。

波風立てて夏樹のようにハブにされたりするのは嫌だった。

ただ働いて時間がくれば帰る。

それだけでいい。

砂田の言うことに不満を持つ者は見受けられなかった。

砂田は後方にいる雅も見た。

雅はただ俯いていた。

砂田はそれとなく前列にいる倉持を見た。

倉持は満面に笑みを湛え砂田に応えた。

砂田はそれを見て気を良くして下がった。

長嶺が一歩前に出た。

「そういうことですので、みなさん宜しくお願いします。解散」

サウナ小屋作りには、砂田といつもつるんでいる舎弟の倉持と吉岡、倉持の下で働いている佐野が選ばれた。

「やっぱ新しいことを始めるって楽しいですね」倉持は上機嫌で言った。

砂田は顔を綻ばせた。

「だろ。これからこのエリアSはどんどん変わっていくぞ。サウナ小屋はその始まりに過ぎない」

「サウナ小屋の他にも何か考えているんですか?」

「まぁな」砂田は微笑む。

「何を考えてるんですか?」倉持は好奇心をもって聞いた。

「まぁ、楽しみにしてろ。だから、ちゃんと手伝ってくれよ」

「わかってます。それに正直、農作業より、こういう仕事の方が俺は好きですから、しっかり手伝いますよ」

「これから、どんどん面白くなるぞ!」

「期待してます!」

砂田と倉持は盛り上がった。吉岡も黙ったまま顔を綻ばせた。

しかし、佐野は砂田のままごとに付き合わされるのかと、どこか冷めていていた。


その夜、屋敷では雅が長嶺に今朝の朝礼で話した新公邸のことについて話しかけた。

「私はここでいいのに」

「新しい公邸に住みたいとは思わないんですか?」

「別に何の不都合もないし、十分広いし、それにこのレトロ感、私は好きだけど」

「そうですか」

長嶺は少し驚いた。

てっきり喜んでくれると思っていた雅が意外と冷めていたことに肩透かしを食らった感じだった。

「新しい家を作るって言いだしたの、もしかして砂田さん?」

「え、いや、まぁ、そうだけど」長嶺は少し口籠った。

「そっか」雅はさっぱりしていた。

「でも、俺も新しい公邸を建てたいと思っていたんだ。この家は古いし、修繕費もかかる。先のことを考えれば新しくするのにはいい機会かなと思って」

長嶺は自分の体面を取り繕うように新公邸は自分の考えでもあるかのように補足した。

「まぁ、別にいいんじゃないですか」

「乗り気じゃないの?」

「そんなことありませんよ」雅は長嶺に微笑んだ。

そう、雅にとって家なんてどうでもよかった。

雅は披露宴で忍と出会い、忍に恋してから忍の事ばかり考えていた。

〈どうすれば小山田さんに会えるか? 如何にすれば小山田さんのいる東京へ行けるか?〉

 ただそれだけを考えるようになっていた。

だから住まいを新しくするとか、そんなことはどうでも良かった。

そんなにこのエリアSに長居をするつもりは毛頭なかった。

ここから一日も早く出る。そのために長嶺と結婚したのだ。

長嶺に頑張ってもらわないといけない。ここを踏み台にして早く出世して霞が関に呼び戻されるようになってもらわなくては困る。その手助けをするのが私の役目。

長嶺を売り込むことが私の役目であり、それがいち早く東京に行ける手段と雅は考えていた。

勿論、そんな雅の心中を長嶺は知らない。


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