24新しい暮らし
翌日から私は酒場で働き始めた。
夕方に家を出て、夜が更けた頃に店が閉まるとリックが迎えにやってくる。
迎えに来なくていいと言っても聞き入れてもらえないとわかっている。
けれど貴族の彼が大衆の酒場にやってくるなんて目立って仕方がないわ。
だから店から少し離れた場所で待ってもらうことした。
本当は職が決まったらすぐに出て行くつもりだった。
だけど先日のリックの姿を思い出すと出て行きづらいわ。
だって彼のあんな表情を初めて見たから―――――――。
仕事が始まって、最初の頃は注文をミスしたりお酒をひっくり返したりと失敗続きだった。
だけどオリヴィアや常連のお客さんに支えられて頑張れたわ。
この世界の酒場は居酒屋とは違いお客さんとの距離が近い。
個室なんてないし、オリヴィアもお客さんと話しながらお酒を飲んだりと、色々と緩いのよね。
最初は驚いたけれど、慣れれば前の世界よりも楽に仕事できた。
慌ただしい日々が過ぎていく中、リックから杏奈が憔悴していると聞き、私は慌てて手紙を書いた。
色々と忙しくて杏奈の事を考える余裕がなかったわ……。
リックに手紙を託し、その日の夜酒場に迎えにきた彼から杏奈が元気になったと教えてもらった。
酒場で働くようになってから様々な情報を仕入れたわ。
聖女のことだったり、お城のことだったり、貴族や騎士の事だったり、リックからは聞くことはないだろうゴシップネタだったりね。
稀に眉唾物の話も耳にするわ。
エリザベスとして生きていかない、そう決め仕事を探していたはずなのに、知った名を耳にすると、つい反応し聞き耳を立ててしまう。
「そうそう、あのレベッカ様が結婚するらしいぞ」
「まじか、でも婚約者もいなかったよな。相手は誰だ?」
「隣国の王子だとよ。嫁ぐみたいだ」
レベッカ……懐かしいわね。
知った名前に反応すると、思わず立ち止まる。
彼女とはよく稽古の合間にお茶をしたわね。
それよりもあの子……隣国の王子と結婚するの……。
政略結婚かしら……いえ、クリスはレベッカを溺愛している。
政に利用しようものなら、どんな手を使ってでも阻止するでしょう。
ならレベッカがあの王子を選んだというの……信じられないわ。
容姿は確かに整っていたけれど、彼はとんでもない喋り好きで、空気が読めないのよね。
一度捕まったら永遠に話し続けるし、迷惑そうにしても気がつかない。
そのくせ聞き流すと突然怒りだすし、生理的に苦手だったよね。
レベッカも話好きだし……息があったのかしら……?
隣国の王子を思い出すと、ブルっと鳥肌が立つ。
それは間違いなくエリザベスの感情だが、違和感を覚えなかった。
オリヴィアの都合で店が休みになったある夜、リックに出かけようと誘われた。
連れて来られた場所は、昔3人で訪れた聖女の丘。
数百年前に現れた聖女のお気に入りだった場所だ。
定期的に訪れては空を見上げていたと文献に書かれていた。
聖女の召喚方法を探し始めていた頃、コッソリお城から抜け出して、何か手掛かりはないかと3人でここを訪れた。
あの日も今日と同じ、満天の星空で遮る物がないその光景は、言葉では言い表せない。
静かで自然の音だけが耳にとどき、自分が世界の一部になったそんな気がして、硬く手を繋ぐながら3人とも終始無言だったわ。
リックはあの頃を覚えているのかしら。
丘の頂上へ到着すると、彼は立ち止まり振り返った。
「覚えておられますか?」
「ええ、もちろんよ」
心を読んだかのようなタイミングに内心驚いていると、リックはおもむろに空を見上げ、私の手をギュッと握りしめる。
私も彼の手を握り返すと、習うように空を見上げた。
雲一つない星空は幻想的で、吸い込まれてしまいそう。
「リック、今私たちが見ているあの光は、何億光年も前の光なのよ。遠すぎて光がここへ届くまでに時間がかかるの。だから今光っている光はもうないかもしれない。これは過去の光を見ているのよ」
「それは異世界の知識ですか?想像以上に文明が発達しているのですね。そんなことまでわかっているとは」
「ふふ、それにね、あの光に名前までついてるのよ。遠くまで見える望遠鏡というものを使って空の向こうも観察できるの。さすがに原理原則はわからないけれどね」
心地よい風が吹くと、髪が静かに揺れる。
遠くから聞こえる虫の音に耳を傾けていると、リックの顔がすぐそこにあった。
彼の瞳私の姿は映り込むと、そっと口を開く。
「リサ、ずっと聞きたかったことがあります。あなたはどうしてエリザベスだと隠しているのですか?ここ数か月過ごしあなたがエリザベスという人物を受け入れていないとは思えない。両親やクリス、あなたと親しかった者を気に掛けるその姿。今のリサを見ると、3年前にいなくなったあなたそのものです。隠す必要があるとは思えない。正体を明かすべきではございませんか?」
リックの言葉に目を逸らせると口を閉ざす。
彼の言う通り、私は自分がエリザベスだと自覚している。
エリザベスに戻りたいそう思ってしまう事もあった。
ここへ来て、ここが私の居場所なのだと心が叫んでいたから。




