誰、背中を押したのは?
次の日の火曜も古着のコートを着て家を出た。三日連続で同じコートを着るのもどうかと思ったけど、やっぱりこのコートが好きだ。
学校で凛が「ちょっと遅れそうだから塾先行ってて」と言うので、一人で先に塾に向かった。教室に着くと、湊が前の席に一人で座っている。
入りづらい……と思って、教室の入り口で躊躇していると――
誰かに背中を押された。
オロオロと前に踏み出してしまい、そのまま湊の隣まで行くと、通路を挟んだ席にストンと座った。いや、座らされた。びっくりして頭の中が真っ白。
湊がこっちを向く。何か言わなくちゃと焦って、
「ここ空いてるよね。早く来たから、前の方座ろうと思って」
湊は「なるほどね」という顔をして、テキストに視線を戻した。その顔にキュンとした。心臓が飛び出しそう。パニックになってはいけない。ゆっくりコート脱いで、スマホでも見て、予習するふりをしよう。
……それにしても、誰? 背中押したの。
なんだかわからないけど、湊の隣(通路挟んでるけど)。しかも教室に二人きり。
昨日の今日だから、「青学行きたいよね」とか話しかけたい。でも、話しかけた瞬間に誰か入ってきたら恥ずかしい。
コッ。
あ、誰か入ってきた。
スタスタと歩いて湊の隣に座ったのは――彩葉だった。最悪。
「湊、早かったのね」
「うん」
あたしはスマホをじっと見る。湊を挟んで、あたしと彩葉が座っている。自分の存在を消すようにじっとしていた。
また誰かが入ってきた。今度はあたしの横に座った。凛だった。
凛、助けて……と目で訴えた。
「珍しいね、こんな前に座って」
と凛がぶっきらぼうに言って、あたしの左隣に座る。湊も彩葉も聞いている。とっさに答えた。
「もう十二月だから」
「えっ?」
と凛が聞き返す。もっと会話続くようなリアクションしてよと思いつつ、
「ラストスパートだから、先生の声聞こえるようにと思って」
きゃー、湊も彩葉も聞いてると思うと顔が赤くなる。
「ほー、感心、感心。三日坊主じゃないといいね」
サンキュー、凛。場が和らいだ気がする。
ドン、と湊の後ろに誰かが座った。振り向くと蓮だった。
「おはよ、蓮」
と凛が業界人みたいに自然に声をかける。蓮が手を上げて応えた。こんな挨拶が自然にできる凛がうらやましい。
そうこうしているうちに他の生徒も教室に入ってきた。いつの間にか、あたしの鼓動は静かになっていた。
***
アップルの店長はゆっくり目を開けた。
「詩ちゃんはきっと湊くんのことが好きなんだな。しっかし、なかなかシャイな子だな」
この店長、売った古着を着たお客さんの行動を覗くことが出来る。そして「止まれ」とか「進め」と念じると、古着がその行動を起こすのだ。昨日の詩の金縛りや、今日の背中を押したのは、実は店長の仕業だった。
「ちょっとお世話を焼こうと思ったけど、これは骨が折れそうだ。高校三年なら彼氏くらいいてもいい年頃なのに」
店長はこれまでもお客さんの世話を焼き、うまくいった場合もあれば、どうしようもない結果になったこともある。やはり本人の行動次第なのだけど、きっかけを与えるだけでもいいと思っている。
そして、二十年前のことを思い出した。
***
二十年前、店長が大学生の時、仲がよかった友人がある女の子になかなか告白できず、店長はいらいらしていた。店長と彼と彼女は同じ大学で、サークルが一緒だった。結局、彼は卒業まで告白できずにいた。
でも、大学卒業までサークルで仲良く旅行に行けたのは、恋愛関係にならなかったからだろうと今になって思う。付き合ったり別れたりすると、サークルの集まりでギクシャクするからだ。
商社に就職が決まった店長に、彼の父親がロンドンで就職祝いにコートを買ってきた。実は後々、このロンドンのお店がきっかけで店長が古着屋を始めることになる。うれしかったが、サイズが小さかった。ロンドンに連絡してサイズ変更するのも面倒だし、春だったのでクローゼットにしまっておいた。
次の冬が来た時、着ないで持っているのもなんだからと、店長はコートを例の彼にあげることにした。彼はサイズがぴったりで、とても喜んでくれた。そして、今度のサークル同窓会で彼は例の彼女に告白すると打ち明けた。店長は応援すると言った。
同窓会当日は寒かった。彼は例のコートを着て来た。みんな社会人になったからスーツ姿で不思議な感じだったが、彼女だけはジーンズだった。研究職だからラフな服でいいらしい。
近況報告で盛り上がった。彼は彼女の隣に座っている。いつ告るのかと見ていたけど、そんなそぶりもなく、お開きとなった。みんなで二次会に向かったが、店長だけは名古屋出張のため最終の新幹線に乗らなければいけなかった。彼に「頑張れよ、またな」と言って駅に向かった。
移動中の新幹線でうとうとして、店長は夢を見た。
彼と彼女が二人で電車に乗っている。いい感じで話していたが、彼女が「次、降りなきゃ」と言った。電車が止まり、
「じゃあね」
と彼女が降りる。彼も「また」と言ったきり動かない。
店長が「あーじれったいな! 電車降りろ」と念じると、彼がオロオロと電車を降りた。彼女がそれに気づき、振り返って立ち止まる。
電車が行ってしまい、静まり返ったホームで、彼が言った。
「こ、今度、二人で……ご飯行こうよ!」
少しして、彼女が笑顔で答えた。
「いいよ」
店長が目を覚ました。ん? 夢か? と思った。
その後、二人が付き合い始めたという噂をずいぶん後になって聞いた。その時、あの夢を思い出したが、まさかあれがリアルだったとは思わなかった。しかし後日、彼から馴れ初めを聞かされた時、店長は驚いた。
――同窓会の後、誰かに背中を押されて電車を降ろされた。そして、とっさに彼女をデートに誘ったのだと。
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