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幾千の夜を越えて、君と  作者: 未宇
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Case005:赤叫

 大きなデスクトップモニターと、周囲を囲むように配置された複数の小さなモニターが、夜の部屋に淡い光を落としていた。

 画面には無数のウィンドウやログが開かれ、まだ作業の熱が残っていることを物語っている。


 その正面。大きなゲーミングチェアに深く腰掛けたまま、テーブルに突っ伏すようにして、雷堂 光斗(らいどう らいと)は寝ていた。

 パソコンを操作する為に特注されたテーブルには、一般人には用途すら想像できない機材が並び、その合間に、使い込まれたゲームコントローラーがいくつも転がっていた。

 静かな寝息に混ざり、ときおり、指先がわずかに動くのは、夢の中でも何かを操作しているからだろうか。


 そんな彼の背後で――


「徹夜?」


 ぽつり、と柔らかな声が落ちた。


 部屋の隅に置かれた大きなソファーベッドの毛布が、ふわりと持ち上がる。

 誰も触れていないはずなのに。

 まるで見えない誰かがそこにいるかのように、人の形を包みながらゆっくりと空中を滑るように移動していく。

 やがて。光斗のすぐ後ろで、空気が揺らいだ。

 輪郭がぼやけ、光が屈折し、淡く色が宿る。


 毛布の内側から、徐々に姿を現したのは薄影 澪(うすかげ みお)であった。

 まだ少し眠たげな表情のまま、澪は静かに微笑む。

 いつも巻いている包帯はなく、やけに整った中世的な顔がパソコン画面の灯りに照らされる。


「……ほんと、無茶するんだから」

 呆れたようで、どこか嬉しそうな声。

 そのまま澪は、羽織っていた毛布ごと光斗を包み込むように、後ろからそっと抱きしめた。

 ひやりとした光斗の体温に、わずかに眉を寄せる。

「風邪、引く……」

「ん……」


 抱き寄せられた感触に、光斗がゆっくりと目を覚ます。

 ぼんやりとしたまま、状況を理解して小さく笑った。


「あぁ……悪ぃ。寝落ちてたっスね」

「“寝落ちてたっスね”じゃないよ……何時間?」

「えーっと……良く分かんないっス……」


 ため息をつきながらも、澪の腕の力は緩まない。

 むしろ、逃がさないと言わんばかりに、少しだけ強く抱きしめる。

 光斗は苦笑しながら振り返り、すぐ近くにある澪の顔を見つめた。

 至近距離でわずかに揺れる瞳が、心配と安堵を混ぜた色を宿している。

 

「……そんな顔するなら、起こしてくれてもよかったのに」

「気持ちよさそうに寝てたから……」

「優しすぎるのも問題っスよ、それ」

「光斗には、これくらいでちょうどいい……」


 ふっと、澪が小さく笑う。

 その表情に、光斗もつられて笑みを浮かべた。

 そして、力を抜くようにそのまま澪の腕に体を預ける。


「でも、調べ物は終わったっス」

「……ん、えらい。お疲れ様」


 少しだけ誇らしげな光斗の声に、澪は、一瞬だけ目を細めてぽつりと、優しく言った。

 その一言に、光斗の表情が緩む。


「だから、もう少しだけ……」

「うん。いいよ」


 即答だった。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 光斗は完全に体重を預け、再び目を閉じる。

 澪はそのまま、彼を支えるように抱きしめ直した。


「あぁ……おやすみ……光斗」

「……おやすみ、澪」


 静かな声が、重なる。

 やがて言葉は途切れ、部屋には再び電子機器のかすかな駆動音だけが残った。

 モニターの光が、ゆらゆらと不規則に瞬き、夜の静寂を淡く照らしている。

 その光の中で、二人の輪郭が、ゆっくりと一つに溶けていった。



 ◇ ■ ■



 薄暗い部屋に、規則的な電子音だけが響いていた。

 デスクに並ぶ数台のパソコン。その一つだけが、誰も触れていないにもかかわらず、ほのかに光を放ちながら稼働している。


 ――そこに、誰かがいた。


 椅子の前。画面と向き合う位置に、わずかに空気が揺らいでいた。

 光が歪み、背景がかすかに波打つ。注意して見なければ気づけないほどの、透明な輪郭。

 時折、カチリ――とマウスの音が鳴る。

 何もないはずの場所で、確かに操作が行われていた。


 画面には、オフィスへの入退室記録と従業員名簿。

 データが盗まれたとされる時刻に人の出入りはない。

 では犯人は内部か。

 それとも、外部からのハッキングか。


 再び、カチリ。

 見えない指に押されるように、画面が切り替わる。


 そこには、無数の名前が整然と並んでいた。

 正社員、アルバイト、派遣――分類ごとに分けられたタブ。さらにそれぞれに、詳細な個人データが紐づけられている。

 社員だけではない。

 このオフィスを訪れた来訪者ですら、例外なく記録されていた。


 画面がゆっくりとスクロールしていく。


 データ消失の前後。

 辞めさせられた者。新たに入社した者。

 条件を絞り込むように、いくつもの情報が抽出されていく。

 カチ、カチ――と小気味よいクリック音。

 そのたびに別のデータが開かれる。

 だが、その操作に迷いはない。

 あらかじめ目的が定まっているかのように、必要な情報だけを正確に拾い上げていく。


 ――そして。

 動きが、ぴたりと止まった。

 画面に表示された名前。

 情報セキュリティエンジニア、九十九 朔(つくも さく)

 その記録には、不穏な文字が並んでいた。


 無断欠勤。音信不通。行方不明。


 誰が見ても、異常としか言いようがない。

 空気の揺らぎが、わずかに強くなり、微かにその存在が息を呑んだ。

 そのとき。


「あそこの店、当たりだったな」

「また行きたいですね」


 廊下の向こうから、賑やかな声が近づいてくる。

 カチカチカチ、と急ぎ足のクリック音が足音を追い抜いてく。

 開かれていた複数のフォルダが、手際よく閉じられていった。

 そして、最後の一つが消えた瞬間。

 ガチャリ、とドアが開いた。


「あれ、誰だよパソコン付けたまま出かけたやつは?」

「すみません。……おかしーな、ちゃんと切ったはずなんだけど」


 社員たちが何気ない調子で会話を交わす。

 だが、そのすぐ傍を誰にも気づかれずに、何かが通り過ぎていった。

 光を歪めるだけの、存在しない影。

 空気が動いた微かな気配に、振り返るがその視線は誰の姿も捕えられない。


 静かに、音もなく。

 ドアの隙間をすり抜けるようにして、誰かは外へと出ていく。

 その場に残ったのは、わずかな違和感だけだった。

 


 ◇ ■ ■



 ――九十九 朔。

 情報セキュリティの要を担うその男には、際立った特徴が何一つない。

 むしろ、異常なほどに気配がなかった。

 陽の光を避けているような不健康な顔色と、極限まで存在感を消した地味な立ち振る舞い。彼はただ静かに、誰の記憶にも残らない影のような存在としてそこにいた。

 ほとんどの時間を、彼はパソコンの前で過ごしている。キーボードを叩く音だけが、彼の存在をかろうじて証明していた。

 人と会話する姿は、ほとんど見かけない。親しく言葉を交わす相手もいなければ、雑談に加わることもない。

 気づけば、いつも同じ場所にいる。

 昼も夜も関係なく。まるで会社そのものに取り込まれたかのように、彼は、そこに棲みついていた。


「パソコンの前から離れるのは、朝と夕方の2回。トイレとかシャワーが目的みたいなんスけど、途中で必ず倉庫に立ち寄ってるんス」


 そう言って、光斗はキーボードを叩き、朔が行方不明になる前の行動記録を表示する。


 光斗の部屋は少しチグハグだ。

 壁にはスケートボードやロードレーサが掛けられ、スポーツウェアが飾られている。

 そして反対側には、壁一面の棚に様々なゲームやアニメのキャラクターグッズが並んでいた。


「何か、また増えてるわね」

「そんなことないっスよ。この辺りには、澪のもあるんス」


 十六夜 枢(いざよい くるる)の言葉に、光斗が憤慨するが、澪が集めたと思われるゆるキャラの食玩はほんの僅かだ。


野菜(やさ)ぐれん隊ですか? 中々ユニークですね」

「……憎めない」

「そうですね。私はこっちのキャベツが好きになりそうです」


 理解出来ない枢を放って、天ヶ瀬 玲(あまがせ れい)と澪は盛り上がっていた。


「まぁ、いいわ。それで、何が問題なの?」

「それが、思ってたよりヤバいかもしれないんス」


 光斗は素早くモニターに、複数の情報を表示させていく。

 

「この倉庫自体には怪しいとこはなかったんスけど、ここにある荷物搬送用のエレベータが実は秘密の地下室に繋がってたんス」

「秘密の地下室?」


 画面には見取り図が表示され、サーバールームとは別に広大な地下施設が表示される。


「たぶん外からは、地下駐車場のどこかが繋がってると思うんスけど……問題はこの施設なんス……覚悟するっスよ……」


 神妙な面持ちで光斗が、あの会社が隠してる本当の映像を流し始める。

 それは、現代的なIT企業の風景とは対極にある、異常な光景だった。


 窓一つない、白一色の無機質な部屋に、揃いの白い防塵服で頭まで覆った者たちが、まるで感情を失った機械のように無機質に動いている。

 無機質な照明の下、IT企業のはずのこの場所には不釣り合いな、メスがゆっくりと寝かされている何かへと沈んだ。

 粘膜を引き裂く生々しい音がスピーカー越しに聞こえてきそうな錯覚に陥る。

 麻酔が効いていないのか、それとも痛みを感じる神経さえも調整されているのか。メスが走るたびに、固定された四肢がビクンと跳ね、剥き出しの組織からどろりとした暗赤色の体液が溢れ出した。

 そこでやっと、人が寝かされているのだと頭が理解する。


 カメラが切り替わる。

 緑の皮膚を持つ筋肉の繊維が剥き出しのまま、脈打つ機械のコードと複雑に組み合わせられていく。

 ピンセットが肉をかき分け、露出した神経の束を一本ずつ基盤の端子へと縫い付けていく。

 それは医療などではない。命を単なる「部品」として扱う、冒涜的な作業だった。


「……何、これ……こんなこと……」


 枢の背筋に冷たい戦慄が走る。喉の奥から込み上げてくる不快な酸味を、彼女は必死に飲み下した。


「……無理に見なくていい」


 玲は静かにそう言い、わずかに視線を逸らすよう促しながらも、画面の情報を淡々と追っていく。


「生命反応と身体状態から判断するに……ここにある個体は、すべて妖し返りの類だ。人工的に引き戻され、利用されている」

「これが……実験の実態……」


 枢の声はかすれていた。

 その横で、光斗はキーボードを叩き続け、心配そうに澪が包帯の隙間から見つめる。


「九十九朔は、この施設のセキュリティと記録を管理し、改ざんしてたんスよ。外に情報が漏れないように……たぶん普通の方法じゃなくて、俺と同じようなやり方っス……」


 つまり、妖し返りの力でデータに働きかけており、書き換えた痕跡が全く残ってないのだ。

 光斗は一瞬だけ手を止め、低く続けた。


「そして、何らかの理由があって、九十九朔はこれを外に出そうとしてた。告発のために」

「……っ」


 枢は息を呑む。


「だったら、どうして自分が書き換えたデータを消すなんて、こんな手間のかかることを……」


 部屋の空気が、わずかに重く沈んだ。


「……そうするしかなかった、と考えるのが自然でしょう」

「だけど、外から調べるのは難しいっス! だから、ちょっと直接聞いてみようと思うっス」


 玲の言葉に、光斗は椅子に深く座り直すと、軽く肩を鳴らし伸びをした。


「その間、俺の身体のこと頼むっス!」

「うん……ライト、護る」


 澪は小さく頷く。枢と玲もまた、その意図を察して互いに視線を交わした。

 それを確認した光斗は、再びパソコンへと向き直った。

 パリッと、微かな青電が光斗の身体に奔り、パソコンに流れ込む。


「お邪魔しまーっす」


 次の瞬間――

 遠く、巨大オフィスの地下に眠る無人のサーバールーム。

 その内部を、光斗の電気が一瞬、駆け抜ける。


 そして――


 まるでモデルルームのように、無機質に整えられたモノクロのオフィスが、果てしなく並んでいた。

 そこに人影はなく、当然ながら人の気配もない。

 窓の外を見れば、さらに同じようなオフィスが広がり、同じ光景がどこまでも続いていた。

 ――これが、今回の電脳空間だ。


 ふわりとこの世界に降り立った光斗は、迷いなく通路を進み、ひとつのオフィスへと足を踏み入れた。

 そして、何もない広い壁の前に立つ。

 やがて、その一面にそっと手を触れ、不敵な笑みを浮かべた。


「おかしいと思ってたんス、綺麗すぎるって!」


 髪がわずかに逆立ち、光斗は全身に雷を纏う。

 次の瞬間、特大の放電を一気に叩きつけた。


 壁は稲妻に撃ち抜かれ、焼け焦げながら崩れ落ちる。

 その奥からは、ダストシュートが姿を現した。


『さぁ、今度は負けないっスよ!』


 どこへ続いているのか分からないダストシュートを覗き込み、光斗はためらいなくその中へと飛び込んだ。

 勢いよく滑り落ちたかと思うと、次の瞬間、広い空間へと放り出される。

 そこに広がっていたのは、何もない果てしない闇。

 着地の瞬間、足元に波紋が広がらなければ、そこに水面があるとは気づかなかっただろう。


 その直後、ざわり、と空間が揺らいだ。


『「お客さんが来たっス!」』


 現実と電脳世界、二つの世界で光斗の声が響いた。

 その瞬間、空気そのものがひっくり返った。

 

 水面が大きく波打つ。

 いつの間にか、足元に広がる浅い水の下には、無数の壊れたマネキンと、武器の残骸が沈んでいた。

 異様な光景に目を走らせた、その時――轟音とともに、赤い電流が鳥の姿をとって一直線に突っ込んでくる。


『――っ!』


 咄嗟に光斗は、自身の電気を解き放った。

 青と赤の電撃が正面から激突し、激しく弾ける。

真っ赤な怒りとも、悲鳴ともつかない電流の塊が、音を引き裂きながらなおも迫る。

 光斗は歯を食いしばり、再び雷を迸らせた。


 ――その瞬間。


 現実世界で、椅子に身体を預けていた光斗が声を上げた。

 空間を裂くように、パソコンから赤い放電が奔る。


「なんだ……!?」


 玲が低く声を落とす。

 次の瞬間、光斗の部屋中に、放電が溢れ出す。

 それに抵抗するように、光斗の身体からも青電が発せられた。

 パソコン、モニター、配線、金属製の棚。

 すべてが赤と青の電気を纏い、狂ったように震え出す。


「くっ!?」

「ライト!」


 ぶつかり合った電撃の衝撃で、光斗の身体が弾き飛ばされる。

 咄嗟に澪が飛び出し、その体を受け止めた。


「大丈夫!?」


 枢は即座に大鎌を顕現させ、警戒するように一歩前へ出る。

 光斗とパソコンを庇うように、その前に立った。


「……問題ない」

「澪、すまないっす」

「怪我ないか?」


 刹那、光斗と澪の視線が交わる。

 しかしその間にも、溢れ出す赤い電流はさらに勢いを増していく。

部屋の中にあるあらゆる物が、次々と宙へ浮かび上がり始めた。

 スタンドライト、テーブル、除湿機――

本来なら持ち上がるはずもない質量の物体までもが、軽々と空中に浮かんでいる。

 それらを止めようと、枢が血液より生み出した緋色の長刀を振るう。

だが、まるで意志を持っているかのように、物体はその軌道を避けた。


「物が、勝手に……!?」

「なるほど、物に意志が宿る……これは付喪神ですね」

「付喪神って、こんなに見境なく何でも動かせるものなの!?」


 冷静に分析した玲の言葉に、枢は驚きを浮かべる。

 付喪神――長い年月を経た道具に魂が宿り、妖しへと変じた存在。

 本来は意思を持ち、時に人と交わるとも言われているが、ここまで無差別に、他の物へ影響を及ぼすような力を持つものなのか。

 これほど強大な妖し返りが、存在し得るというのか。


「またくる! 気をつけて!」

「ちょっとぉ! 俺の部屋のもの結構お高いんですけどぉー!」

「善処します……」


 長刀を振るう枢に続き、玲もまた白銀の光を纏う刀を抜き放ち応戦する。

 緊迫した空気の中、光斗の悲鳴じみた声が響き渡った。


 直後、室内に充満した赤黒い電光が猛然と翼を広げ、パチパチと空気を爆ぜさせながら襲い掛かった。

 それが只の放電ではなく、意志を持った力の奔流。狂乱する雷光が部屋中の調度品を飲み込み、渦を巻いた。

 重力という(ことわり)すら無視し、椅子やテーブル、積み上げられた書籍が磁石に吸い寄せられるように宙へと舞い上がる。

 やがて、荒れ狂っていた光の渦が、一点へと静かに収束を始めた。

その中心。赤白い火花を散らしながら電子の粒子が揺らめき、翼を広げた鳥の輪郭から、淡い光を纏った「人型」へと、静かにその姿を形作っていった。


「……澪、任せた」

「あぁ、分かってる。ライト……」


 その瞳と思しき部分が開かれた瞬間――澪は光斗の手にそっと重ねる。

するりと宙にほどけた包帯が流れ、そのまま静かに空間を真横へと切り裂いた。

 次の瞬間、世界から光が消えた。

 光斗の部屋は跡形もなく塗り潰され、視界は深い闇に沈む。

 音も、気配も、輪郭さえも曖昧に溶けていく中――ただ一つ、青白い電流だけが空間を走った。

 闇を裂くように迸る雷が、幾筋も空間を描き出す。

 無光雷域(むこうらいいき)――光を奪い、雷を支配とする光斗と澪による共鳴結界。

 宙に浮かんでいた品々はすべて消え去り、存在の境界すら曖昧になる。

 そこにあるのは、赤い電流で形作られた電子体の人型と、電光の中に立つ光斗たちだけ。

 その場は、外界から完全に隔絶されていた。


 直下にある探偵事務所では、一瞬響いた大きな振動に、真神 悠真(まがみ ゆうま)が、トレーを抱えたまま不安げに天井を見上げた。


「いま、揺れましたか?」

「あぁ……ちょっと、珍しいお客様が遊びに来てるようだねぇ」


 だが、その揺れは即座に収まり、何事もなかったかのように静寂が戻る。

 黒羽 東真(くろば あずま)悠真が運んできたばかりのコーヒーカップを手に取ると、優雅な所作でその香りを愉しんだ。

 もし何かあれば、その時動けばいいのだから。



 ◇ ■ ■



 電脳世界では、逃げる赤電を、光斗が猛追していた。

 そびえ立つビル群の隙間を縫うように、二条の雷光が火花を散らして疾走する。

 光斗は鋭く回り込み、力ずくでその進路を塞いだ。

 不意を突かれた赤電が、驚いたように細かく震えて足を止める。

 光斗はゆっくりと、一歩距離を詰めた。


『やーっと追いついたっス。すごいっスね』


 バチバチと荒れ狂っていた青い電気が、少しだけその輝きを弱める。


『俺は光斗、探偵っス。……君は、九十九朔さんっスよね?』


 ニカッと人懐っこい笑顔を向ける光斗。

 惑うように激しく明滅を繰り返していた赤電だったが、やがてノイズ混じりの途切れ途切れな声を、電子の海へと落としてきた。


『ツクモ……サク……システム……エンジ……ニア……』


 名前を告げるたび、赤電が不安定に揺れながら、いくつもの映像を一斉に辺りに吐き出した。

 それは改ざんされ消されていた、監視カメラの映像。

 いくつもの取引の証拠や、光斗が復元した以上の非情な試験映像の数々。


 それは隔離された結界内の現実世界のモニターにも、勝手に点灯し映し出されていた。


「……これが、本当のデータっス」


 震える光斗の声に、澪が低く息を吸う。

 玲は何も言わず、ただ画面に映し出された凄惨な映像のひとつひとつを、射抜くような眼差しで凝視していた。

 そして枢は、込み上げる怒りを抑えつけるように喉を鳴らす。


「データ……ヌスマレテ、ナイ……イホウ……ショウコ……ケシタ……」


 揺らめいていた赤電の輪郭が、ゆっくりと九十九朔の姿を(かたど)っていく。


「あなたが消したのね。なのに、どうして?」

「シュウフク……コクハツ……ノタメ……」

「そう……なぜ、こんな方法を取ったの?」


 枢の問いに、朔の身体が苦しげに歪んだ。

 過剰に電力を放出した反動か、その輪郭は保つことさえ危うい。何度もノイズが走り、砂嵐のように崩れては揺らいでいる。


「……ウゴ、ケナイ……」

「動けないって、どういうこと?」

「……ボクノ、カラダハ……モウ、ウゴカナイ……」

「それって……っ!?」


 その言葉の真意に気づき、枢がハッとして息を呑んだ。

 朔は、かつて人間であったはずのその男は、力なく、かすかに頷いた。


 映し出されていた映像が切り替わり、枢たちが降りていったサーバールームよりさらに下に隠されてた、秘密の中枢サーバー。

 部屋の中央には、捻じれながら咲き誇る冷たい花を思わせる、異様な造形の巨大なオブジェが鎮座している。その中心部はカプセル状になっており、青白い光を帯びた特殊な溶液で満たされていた。

 目を凝らせば、その液体の中に、何かが漂っているのが見える。


「……まさか」


 バチッ、と小さく赤電が弾ける。

 それは、静かに眠るように横たわる、九十九朔の身体だった。


 そして、その光景は電脳世界にも、同時に映し出されていた。


 気がつけば、世界はすでに姿を変えている。

 サーバールームと同じ光景が、そこに広がっていた。


 オブジェクトへと近づいた朔は、その場に立ち尽くす。

 痛みをこらえるように、ゆっくりと中を覗き込んだ。

 そこには、もう二度と目覚めることのない、自分自身の身体が、静かに横たわっていた。


『これ、ハ……ボク、のチカラ、ヲ……ムリやり、引き、出して……つかうタメのもの……』


 ノイズ混じりの声が、かすかに震える。

 光斗は眉をひそめ、視線をオブジェクトへと向けた。


『付喪神の力っスね』

『はイ……ボク、は……デンシの、ツク、もガミ……あラゆる、デンしキキ……ツカえル……』

『電子っスか。俺の力に似てるわけっスね』


 光斗は小さく息を吐き、周囲を見渡す。

 彼の青い電気に混ざり、赤電が時折ぶつかり合い、互いの力の相似を実感させていた。


『ボクは、アのバショかラ……トドクとこシカ、ウゴけナイ……キみが……ツナいデ、クレて……タどッテ、こ、レタ……』

『つまり……身体ごと、あのビルに縛られてるってことっスか』


 朔の輪郭がわずかに揺らぐ。

 その言葉には、感謝と、どこか救われたような響きが混じっていた。

 光斗は苦笑まじりに肩をすくめる。


『ハッキングを仕掛けてみたら、なんか出るかもっておもってたっスけど、まさか部屋にまで、乗り込まれるとは思ってなかったっス』


 苦笑交じりに、青白い電流が、ぱちりと弾ける。

 静まり返った世界で、二人の存在だけが、揺らいでいた。


『たノム……このコトを、つタえて……あノ、こたち、ヲ、たスけて……』


 懇願するような朔の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。それは電子の粒となって、頬を伝い消えていった。


『あんたは、どうなるっス?』


 光斗のの切実な問いかけに、朔はただ、すべてを諦めたように静かに首を横に振った。

 ――その時だった。

 凄まじい衝撃が電脳空間を震わせ、朔の身体が引き裂かれるように激しくのけぞる。無機質なノイズを突き破り、彼の絶叫が木霊した。


『っ、おい、どうしたっス!?』

『あ、アアア、あぁ……ッ!』


 苦悶に満ちた叫びと連動するように、周囲の風景――演算によって構築された電脳世界が、崩落し、ひび割れていく。

 さらに、朔の身体を拘束するように、漆黒の鎖がどこからともなく出現し、その四肢に巻きついた。侵食は容赦なく進み、彼の指先が、足先が、ノイズの塵となって崩れ落ちていく。


『くっ……ウイルスっスか!?』


 光斗は迷わず駆け寄り、朔の身体を掴んで電気を流し込んだ。強引にデータ構造を読み取り、変質した領域を書き換えようと試みる。

 だが――。


『……何だ、これっ……!』


 接触した指先から、赤黒い電流が逆流してきた。まるで毒のような強烈な侵食。光斗は激痛に顔を歪める。

 物理層から直接叩き込まれる悪意の前では、遠隔では、もうどうにもならない。

 その間にも、朔への侵食と、周囲のデータの書き換えと崩壊が進んでいく。


 ――その影響は、即座に現実へと波及した。


 光のない無光雷域(むこうらいいき)に、光斗から溢れた電流が激しく奔る。

 電脳空間内と意識が繋がっている光斗から、苦悶の声が漏れる。


「ライト……!?」

「光斗さん!?」


 青電に混じり、赤黒い電気が弾ける。

 それは冷たい鎖へと姿を変え、光斗の身体へと絡みついた。


「何が……」

「向こうで攻撃を受けているようですね」

「なんとかして、助けないと……!」


 事態に困惑を浮かべた枢に対し、玲は淡々と状況を確認していく。


「光斗さん、何があったんです?」

「……九十九朔が消されるっス!」


 その言葉に、浮かんでいた朔の電子体が震えた。


「どういうことですか」


 慌てる枢の肩に、そっと玲の手が置かれ引き留めた。


「推測するに、彼の本体か何かが害されたのでしょう」

「そうっス……」


 手短に説明する光斗の言葉に、はやく助けに行かなければと枢は焦るが誰もが首を横に振った。

 朔の電子体も静かだ。


「枢さん、分かってますよね……この共鳴結界がどういうものか」

「現実世界から、その時を切り取り……!」


 そこまで言いかけ、枢はハッとした。

 共鳴結界の中は、現実から切り取られた一瞬の停滞であり、完全に隔絶された別世界だ。

 発動者と共に特定の時間と場所から任意に人や物を引き込み、因果の連なりを一時的に切り離すことができる。

 だが、それはあくまで結界内部に限った話だ。


 自分たちがこうしている間も、元の時間、元の世界は、止まることなく無情に動き続けている。

 ――つまり、最悪の事態が現実側で進行している。

 その事実に思い至った瞬間、枢の背中に嫌な汗が流れた。


「……ここでは、目の前の九十九さんに目立った異変は起きていません。ですが、共鳴結界を解いた先の現実がどうなっているかまでは……」


 玲が淡々と、しかし残酷な事実を指摘する。

 その言葉の意味を理解しているのだろう。光斗が、青ざめた表情で力なく首を横に振った。

 対する朔もまた、自身の運命を悟っているようだった。

 赤電のノイズに溶けゆくその(かお)からは表情こそ読み取れなかったが、その佇まいは、すべてを受け入れたかのように静謐だった。


 唯一、現実の影響を受けているのは、ハッキングを仕掛け繋がっている光斗のみ。

 こうしている今も、何かが彼を侵食しており朔の身が危険に晒されていることが分かる。


「何とか繋ぎ止めるっス……!」


 苦しそうに絡みつく鎖に光斗が表情を歪め、その鎖を拒絶するように澪が見えない指先で触れ必死に消していく。

 どうやらこの共鳴結界内なら、自分以外にも干渉できるらしい。


 ――だが、長くはもたない。


 電脳空間の九十九朔は、もう消えようとしていた。

 建物はほとんど崩れ去り、広い空間に、二人だけが残る。


『くっそ……止められないっス……なんで……!』


 光斗の声が、震える。

 その時、朔が強く掴み返した。彼の輪郭は、もう保てないほどボロボロだ。


『……ゲテ……ニゲテ……! キミ、マデ……コワレル……!』


 このままだと光斗も侵食されてしまうと、朔は彼の手を振り払い、突き飛ばした。


『なっ……! まだ……』


 光斗が伸ばした手を、赤電が拒むように弾く。


 ――その瞬間。


 光斗の意識は、強制的に現実へと引き戻された。



「……っ、どうして……!」


 悲痛な表情で光斗が、朔の電子体をみあげ叫んだ。

 その反動で共鳴結界内に青電が奔る。


「ライト……」

「……突き放されたっス。まだ、何とかできたかもしれないのに……あいつ……」


 悔しそうに言う光斗は朔の赤電に撃たれた場所を強く押さえ握りしめた。

 その手の中には折り紙で作られたフクロウがあった。


「それは?」

「最後に、無理やり押し付けていったッス」

「ヨカッ、タ……ボクは、ダイジョ、ブ……アリガト……」

「……結界を解く」


 静かな澪の言葉と共に、夜が明けるように共鳴結界が解け光が差し込む。

 その眩しい光が辺りを包み、全てが部屋の中に戻った時、そこに朔の電子体の姿はなかった。


 ――そして。


 地下最深部、秘密の中枢サーバー。

 大輪の花のごとく開いたオブジェの中心で、溶液に満たされたカプセルに横たわる朔の遺体が、力なく揺蕩っていた。

 その傍らには、人影がひとつ。

 手には黒い手袋をはめ、オブジェに直接ノートパソコンを接続し、操作していたその人物はゆっくりと立ち上がった。

 そのまま手慣れた動作で注射器を取り出すと、カプセルの中で眠り続ける朔の肌へ、迷いなくその針を突き刺す。

 機械的にピストンが引き上げられ、透明なシリンダーの中を、赤黒い血液がゆっくりと満たしていく。

 そのあまりに事務的で冷酷な所作は、横たわる彼を人間としてではなく、単なる検体としてしか見ていないことを雄弁に物語っていた。



 ◇ ■ ■



 探偵事務所のテレビのニュースに、『大手IT企業の闇』という禍々しいテロップが躍る。

 報道されていたのは、内部リークによって暴かれた不正な金銭工作や、大規模な詐欺の実態だった。


「これで一件落着だねぇ」


 優雅にコーヒーを味わいながら、東真が独り言のように呟く。


「どうかしら、明らかになったのはお金周りのことばかりで、人体実験や密造、妖し返りのことは、影も形も消えてしまったわ」

「そうだねぇ。だけど、いくら僕らが声を上げたところで、現物の証拠が何ひとつないんじゃあ、どうすることもできない」

「ええ。何から何まで、跡形もなく消されてしまいましたから」


 玲が指摘した通り、あのビルから問題の研究施設が見つかることはなかった。

 正確には、存在したことさえ証明できなくなってしまったのだ。


 あの日、九十九朔との接続が断絶した直後、一行は即座に現場へと動いた。

 だが辿り着いた時には既に、すべてが紅蓮の炎に包まれていた。


 不正の証拠が外部へ漏洩したことに絶望し、社長がビルに爆弾を仕掛けて自ら命を絶った――それが警察の出した結論だ。

 その爆発と炎上のせいで、地下に眠っていた闇の大部分は灰となり、瓦礫の下へと埋没した。

 現在は専門業者による処理が進められているが、そこから新たな異常が見つかる可能性は、絶望的に低いだろう。


「これじゃ、あいつが浮かばれないっス……」


 悔しさを噛みしめるように、光斗は手元の広げた折り紙をじっと見つめた。

 そこには、殴り書きのような筆跡で『OGC』とアルファベットが三文字が記されている。


「|Order of God’s Consistency《神意整合教団》ですね。厄介な相手が出てきましたね」


 ――OGC(Order of God’s Consistency)。正式名称『神意整合教団』。

 『個人の幸福と社会の調和』を掲げ、国政にすら影響を及ぼす国内最大級の宗教団体だ。

 街中の広告や、熱心にボランティア活動に励む信徒たちの姿は、いまやこの国の日常風景の一部となっている。

 一般市民から現職の政治家に至るまで、幅広く取り込んだその圧倒的な連帯は、権力の中枢にまで自らの『神意』を浸透させていく。

 誰もが『社会貢献に熱心な善良な団体』と信じて疑わないその組織は、表向きには、この上なくクリーンで平和な理想郷を体現していた。

 だが――神への純粋すぎる信仰の裏側で、彼らが何を「神の調和」と呼び、何を切り捨てているのか。

 その実態のすべてを知る者は、ほとんどいないだろう。


「きっと、全部抹消されたっス。あの業者はOGCの関連会社っスからね」


 再び光斗が元の形に折り直した折り紙のフクロウの目元には、わずかな歪みが残っていた。

 それはまるで、誰かが最期に、その存在をこの世に繋ぎ止めようと強く握りしめた痕跡のようだった。


「九十九さんが命がけで託してくれたのに……」

「恐らく捕らわれていた人達は、別の施設に移されてから爆破したのでしょう。もしかすると、自殺というのも怪しいですね」

「OGCならやりかねませんね。本当に嫌になっちゃいますわ!」


 デコレーションし終わったネイルを眺め、風見 彩羽(かざみ いろは)が大きく溜息を零した。

 その視線は、吸い寄せられるように窓の外へと向けられる。

 通りの向こうでは、OGCの信徒たちがいつものように、熱を帯びた様子で熱心に街頭勧誘を行っていた。


「だけど、このまま放っておくわけにもいかないよねぇ。OGC、か。いずれ白日の元に引き摺り出してあげる必要がありそうだねぇ」


 窓の外を見つめる東真の眼鏡が、手元にあるコーヒーの湯気で白く曇り、いつになく狡猾で、どこか攻撃的な色を帯びた彼の口端が、不気味に持ち上がった。


「あぁ、きっと、いつか暴いて見せるっス」


 決意を口にした光斗は、折り紙のフクロウをパソコンの横へと置いた。

 その拳を包み込むように、澪がそっと自分の手を重ねる。

 顔を上げた光斗に、澪は何も言わず、ただ静かに、力強く頷き返した。


 窓の外では、何も知らない世界が、穏やかな昼下がりを過ごしている。

 だがこの部屋には、小さくとも決して消えることのない、怒りと決意の火が灯っていた。

 胸に残る鋭い痛みと、託された想いを道標に――

 探偵は、動き始める。

 光の届かない場所で蠢く――真の神意を暴くために。

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