Case004:青電
穏やかな昼下がり。探偵社メンは、それぞれ思い思いの時間を過ごしてる。
雷堂 光斗はパソコンでオンラインゲームにはしゃぎ、それを薄影 澪が静かに見守り、風見 彩羽は結い上げた髪に最近手に入れたCDや音符を模したアクセサリーを真剣な表情で髪に盛り込み。
天ヶ瀬 玲は、真神 悠真の淹れてくれたコーヒーをのんびりと味わい、どのクイックヌードルを食べようかと積み重ねたインスタントラーメンを眺め。
十六夜 枢は可愛らしいケーキを堪能しながらも、時折観察するように玲を盗み見ていた。
玲は容姿も整っており、物腰は柔らかく、誰にでも丁寧で笑顔を絶やさない。
スラッとした細身の長身だが、見た目に反し力も体力もある。
余りにもジッと枢が見ていると、視線を感じたのか、玲が顔をあげバチリと目があってしまい、慌てて枢は視線を反らし赤面した。
(やばっ、見てたこと気付かれたかしら。気付いてないといいけど……)
恐る恐るもう一度顔を上げると、玲が嬉しそうに直視しているのでどうやら枢は逃れようがなさそうだ。
そんな微笑ましいやり取りに、彩羽と光斗はニヤニヤと見守っていた。
「事件みたいなんだよねぇ」
タブレット端末を操作しながら、所長の黒羽 東真が電子ボードの前に立った。
「……事件っスか?」
パソコンの青白い光を顔に反射させながら、光斗が顔を覗かせる。
「窃盗事件。もっと正確に言えば――“消失”だねぇ」
「盗まれたのは、物じゃない。データさ。それも、ごっそり」
画面に映し出されたのは、最近勢いを伸ばしている、IT企業。
雲ひとつない空を背景に、無機質で新しすぎるビルが聳えている。
「世界的IT企業っス。海外支社も山ほど。セキュリティは鉄壁で有名っスね」
光斗がキーボードを素早く叩き、画面に詳細情報を見せながら言う。
「なのに、データが消えた。しかもねぇ……」
東真は、意味ありげに手のひらで眼鏡を押し上げた。
「人も、消えてるって噂があるんだよねぇ」
「普通の事件じゃないってことですわね」
彩羽が溜息を零し、包帯の隙間から澪が眉を潜めるのが見えた。
「まぁ、そっちは大したことじゃないから気にしなくていいよ。それより、盗まれたものがデータとなると、ここはやっぱり雷堂くんの出番だねぇ」
「うっス! まかしてくださいっス!」
頼もしく言い切った光斗を見て、澪は誇らしそうにその頭をなでた。
「他にも調べて欲しいことがあるから、薄影くんも勿論同行してくれ。それから……十六夜くんと天ケ瀬くんも行ってみようか」
「私ですか!?」
「折角だからね、天ケ瀬くんにみんなのことを分かってもらった方が良いだろう」
そうは思っても、言葉を濁すしかなかった。枢は、玲との向き合い方に戸惑っていて、本当はしばらく距離を置きたかったのだ。
だが依頼が来てしまえば、相棒である以上、別行動はとれない。
果たして、自分はずっと平常心でいられるのだろうか。
そんな彼女の気も知らず、玲は「よろしくお願いします」と嬉しそうに微笑んでいた。
◇ ■ ■
巨大なビルが何本も、生き物から体温を奪った死骸みたいに空に伸びていた。
同じようなビルが幾つも並ぶこの辺りは、どこか色を失ったように無機質で行き交う人々も無音。規則正しく並ぶ窓の列がただ空を映している。人の声の代わりに、ビル風だけが直線的な通りを吹き抜けていた。
「うっひゃー! すっげ、デカいビルっスね」
いったいどれだけ稼いでいるんだろうかと、感心しながら光斗が見あげていると、スルスルと隣で澪が顔と手の包帯を解いていく。
だが、その下から現れるはずの身体はなく、空気だけが揺れた。
「本当に、何にも見えないですね」
「隠神の本領発揮っス」
目を細め感心する玲に、澪の服を手早く回収しデイバッグにしまいながら得意気に光斗が笑う。透明になれるのは自分の身体だけだから、服が困るのだとかなんとか。だから相棒の光斗がいつも管理してるのだという。
「それじゃあ、社内の調査はお願いするわね、澪」
「嗚呼」
見えない宙へ向かって枢が声をかけると、かすかな空気の揺らぎが返事の代わりに動いた。集中していなければ気づけないほどの、微細な気配だ。
妖し返りである彼らでさえ、この世界では見えないものの方が、よほど雄弁なのだと信じてしまうほどに。
――だが、その身しか透明にならないということは、今の澪は……。
何とも言えない表情が、枢と玲に浮かんだ。
やけに磨かれたビルの中へと踏み入ると、直ぐに警備員を引き連れた若い男性社員が近づいてきた。
「夜霧探偵事務所の方ですか?」
丁寧な言葉で出迎えながらも、社員の視線はぶしつけで、あからさまに値踏みするようなものだった。
「そうっス。見えないっスよねー」
あはははは、と光斗が軽く笑って答える。その横で、枢は唇を噛みしめた。
(また、この視線……)
侮蔑と好奇が混ざり合った、無遠慮な偏見の眼差し。こうした偏見には、まだ慣れていないのだ。
心無い視線が、枢を撫でていこうとしたその時、ふわりと視界が遮られる。
玲がさりげなく、一歩前へ出た。その広い背中が、まるで盾のように枢を外界の悪意から切り離す。
「……っ!?」
「早速ですが、サーバールームに案内していただけますでしょうか?」
あくまで丁寧に、まるで大切な客に接するかのような笑顔を崩さない。
だが内心では、枢に向けられた無礼な態度に対し、怨念のような昏い激情が渦巻いている。
その笑みの奥には、さっさと案内しろと有無を言わせぬ迫力が滲んでおり、社員はご案内しますと小さく答えるのであった。
入り口のゲートはカードキー。
乗り込んだエレベーターは、専用の認証キーで通常階層のさらに奥深くへ。
降りた先には、再び厳重なセキュリティーゲートが待ち構えており、今度は静脈認証が用いられている。
ここに来るまでに、確認できた監視カメラの数も尋常じゃない。
「超厳重っスね……」
「まるで護ってるというより、隠してるみたいですね」
光斗と玲が、わずかに肩をすくめて密やかに囁き合う。
そもそも、この会社は異様だった。何の前触れもなく、彗星のごとく現れて急成長を遂げた無名のIT企業。
光り輝く成功の裏側には、必ず相応の闇が潜むものだ。ここにも、人目に触れさせてはならない後ろ暗い秘密のひとつやふたつ、転がっていてもおかしくはない。
枢は、冷え冷えとした廊下を歩きながら、肌を刺すような奇妙な寒気を感じていた。
「こんなに厳重なのに、外部からハッキングされたってことよね」
「そうっスね。でも外部だけとは限らないっス」
「内部班ってこと?」
「かもしれないっス。でも、やることは変わらないっスから。相手が誰であれ、痕跡を見つけて暴くだけっス!」
そして、最後に一行の行く手を阻んだのは、分厚い鋼鉄の扉。そこには、生体情報を峻別する虹彩認証の冷たい光が、侵入者を拒むように点滅していた。
やがて、認証の完了を告げる無機質な電子音が響き渡る。
それと同時に、重厚な扉が、重い溜息をつくようにゆっくりと左右に開き始めた。
サーバールームに足を踏み入れた瞬間、冷気が広がる。
その中にいくつものサーバーが、ずらりと整列している姿が浮かぶ。一面の銀色と青白い光。空気が冷たく、まるで時間が止まった部屋のようだ。
「……どうぞ。奥のコンソールから、中枢の記録に触れることができます」
「あぁ、うん。ありがとうっス。でも、不要っスよ」
奥へと案内しようとした社員が、訝しげに足を止める。その横をすり抜けるようにして、光斗は迷いなく手近なサーバーへと手を伸ばした。
――バチィッ。
指先が触れる寸前、虚空に鮮烈な青い火花が弾ける。
「な、何をするんだ!」と色めき立つ社員を、玲は冷徹なまでの静謐さを湛えた視線で射抜き、その場に縫い留めた。
「ここから先は、我々の領域です。お引き取りください。……事が済めば、こちらからお声掛けしましょう」
「あとは俺に任せるっスよ!」
光斗が快活に言い放ち、奥へと踏み込んでいく。その背中には、いつの間にか幾条もの雷光が纏わりつき、奔流となって全身を包み込んでいた。
驚愕に目を見開く社員を置き去りに、重厚なスライドドアが非情な音を立てて閉ざされ始める。
完全に視界が遮られるその直前、枢は居たたまれなさに胸を痛め、せめてもの謝罪を込めて深々とお辞儀をし――バタン。
重厚な残響を引いて、扉が閉ざされた。こうして三人は、外界の喧騒から完全に切り離されたのだ。
「やっぱり、外部侵入の痕跡はないっスね」
「じゃあ、内部の人が犯人だというの?」
「うーん、分からないっス。とりあえず集中するんで、護衛はまかせたっスよ」
言うが早いか、光斗の指先から、バチバチと淡い火花が爆ぜる。
青白い稲妻がまるで意志を持つ蛇のように、冷たい金属のサーバーを這い回り、電子の海を侵食していく。
放出された大量の電気は、ビル中を駆け巡り様々な電子機器へと潜り込んでいく。
「……見事なものですね。これが『雷人』の力ですか」
「感心している暇はないわ。私たちの役目は、邪魔が入らないようこの場を護ることよ」
「なるほど」
玲が短く応じる。
既に監視カメラの映像は、最初の光斗の接触で通常の調査風景の映像が流れるよう書き換えられているはずだ。あとは物理的な侵入さえ防げば、ここは守られる。
「了解しました……お任せください」
「結構得意なんス。鬼ごっこ――」
小さく玲が応じ、扉の前へと移動する。
不敵に微笑む玲の言葉を合図にするように、光斗から放たれる電流が一際まばゆく膨れ上がった。
彼はニカッと笑みを浮かべ、それから、そっと瞼を閉じる。
刹那、彼の周囲から一切の音が掻き消えた。
◇ ■ ■
コンピューターの微かな駆動音さえもが吸い取られ、世界から音が死んだ。
ふわり、と重力を失った光斗の身体が、光も影もまだ形を成さない未完成の領域へと落ちていく。
ゆっくりと重さを感じさせず着地した足音だけが、やけに白々しく響いて波紋を広げた。
視界にあるのは、すべてが朧げな輪郭。
遠くの方で、壊れた街の骨組みだけが、まるで陽炎のようにゆらゆらと頼りなく揺れている。
ビルの断片は、誰かの忘れ去られた記憶の欠片みたいに、すりガラスの向こう側で溶けかかっていた。
時折、パチリと不機嫌なノイズが走る。
意味を失った看板の文字だけが、一瞬だけ鮮明に浮かび上がっては、また無情に消えていく。
これが光斗の知る電脳空間――壊れかけの街。記憶の残骸の姿だ。
足元に広がるのは、白とも黒ともつかない曖昧な階調。一歩踏み出すたびに絶えず波紋が広がり、奥へ進むほどに輪郭は淡く、世界そのものがグラデーションのように溶け出している。
遠く霞む廃墟へと光斗が視線を向ければ、距離という概念を嘲笑うかのように、それは瞬時に目の前へと引き寄せられた。
剥き出しになったビルの断面へと彼がそっと手を伸ばせば、そ指先が触れた刹那、崩落した破片は砂のような小さなビル群の形へと再構成され、さらさらと掌からこぼれ落ちていった。
『……痕跡が妙っスね、建物の外に出たあと、また戻ってきてるっス』
しかも普通のデータ泥棒ではない。
マルウェアの形跡や、おかしな配列はない。まるで力任せに何かが抉るように持ち去ったかのような。
『うーん……普通の侵入者の動きじゃない。俺と良く似た電力波形……上手く言えないけど、似たような力の持ち主っスね』
光斗は、乱暴に引き千切られたビルの外壁の、その無残な断面へと歩み寄った。
見上げれば、暴力の痕跡が剥き出しのまま空に突き刺さっている。
『派手にやったっスね』
光斗は感心したような、あるいは困り果てたような、なんとも言えない複雑な苦笑を浮かべ、その傷跡へとそっと手を伸ばした。
途端、彼の指先から弾けた稲妻に呼応するように、空の彼方から無数のコードが雨となって降り注ぎ、壊れたビルの傷口へと濁流のように流れ込んでいく。
めちゃくちゃな構造のビル内部を、青白い電流が血管のように駆け巡る。
再構成されていくオフィスルームのひとつひとつは、まるでモデルルームの広告から切り取られたみたいに、あまりにも整いすぎていて、かえって不気味だ。
そんな均一な風景の中に、突如として、不自然なほどな巨大なガラス張りの異質な厨房が姿を現した。
『これっスね……』
光斗の独り言が、冷たい空間に虚しく溶ける。
巨大な白い厨房は、無機質で、病的なまでに清潔だった。
そこに人の気配は一切なく、ただ精密な機械のアームだけが、意思を持たない生き物のように黙々と仕事をこなしている。
しかし調理台の上に整然と並べられているのは、食材ではない。
人間の臓器を精巧に模した、鈍く光るメタルパーツ。
そして傍らには、カトラリーのふりをしたメスとドライバーが、まるでお行儀よく食卓を待つように静かに横たわっていた。
『まるで工場っスね。「改良案:No.14 耐久性の向上」「試作品:対人モデル/販売用」……。あー、まじで反吐が出るっス」
光斗の整った顔に、隠しきれない嫌悪が苦く滲む。
だがその直後、冷徹な秩序の象徴であるダストシュートの片隅に、不自然なノイズの痕跡を見つけた。
彼は一転して、獲物を追い詰めた子供のような無邪気な笑みを浮かべる。
「……見つけた。返してもらうっスよ、全部」
電脳空間の底。光斗がダストシュートの暗闇へと、迷わず腕を突っ込む。
刹那、奔流となった凄まじい稲妻が奈落へと叩きつけられた。
青い閃光が、ゴミのように捨てられていた壊れたパーツの残骸に届き、眠っていた回路を無理やり叩き起こした。
深く、より深く――。
沈んでいたその「記憶」を鷲掴みにし、光斗は一気に引き上げる。
その刹那、どこからともなく意志を持った赤いエネルギーが、牙を剥いて彼を貫こうと躍り出た。
だが、光斗の方が速かった。
引き上げると同時に、彼はダストシュートの入り口へ向けて雷を叩き落とした。
青白い雷の壁が、迫る赤を冷酷に遮断する。
その一瞬の隙に、光斗は手にした残骸を元あった場所へと叩き込んだ。
歪んでいた世界が弾け、不気味な厨房は一気にお洒落なオフィスルームへとその姿を組み替えていった。
◇ ■ ■
目を開くと同時に、光斗の意識は現実世界へと戻ってくる。
深海から一気に浮上したかのように大きく息を吸い込む。光斗の周囲を漂っていた青白い火花がゆっくりと霧散していく。
「ぷはっ! ……ふぅ、これで修復完了っス!」
ヘトヘトになった様子で首を回し、強張った関節を鳴らす光斗。その姿を確認し、それまで張り詰めた空気で周囲を圧していた玲と枢が、ようやく警戒を解いて歩み寄った。
「お疲れさま。こちらは何もなかったわ」
疲れたように座り込む光斗に、枢が声を掛ける。
「こっちはこっとバチバチして来たっス。あの様子だと諦めてないっスね」
「つまり相手は、同じように電脳空間に潜り込める妖し返りだったということですね……」
玲が、まだ熱を帯びているサーバーラックに視線を落としながら問う。
「でも、おかしな話ね。盗んだデータを巧妙に隠蔽してはいたけれど、外部へ持ち出した形跡がまるで見当たらないなんて」
枢は腕を組み、腑に落ちないといった様子で眉を寄せた。
「その辺りは、正直自分でもよく分からないんス。それに盗んだっていうか、……なんて言うか、あれは修復した後に残ったゴミを捨ててあったようにも見えたっス」
「ゴミを盗んだってこと? こんな手間の掛かる真似をしてまで?」
枢のいぶかしげな問いに、光斗は後頭部をガリガリと掻いて視線を彷徨わせる。
彼が引き上げたのは、元のデータを修復する過程で取り除かれ、無残に打ち捨てられていた異物――いわば、ただの削りカスの集合体のような代物だった。
「だから、そこが謎なんス。ま、その辺りは澪が調べておいてくれてるはずっス」
◇ ■ ■
光斗がノートPCのキーを叩くと、事務所の電子ボードに調査結果が淡々と表示されていく。
「何が『重要データの奪還』っスか! でたらめもいいとこじゃないっスか!!」
光斗の吐き捨てるような声が室内に響いた。
数時間前、依頼主であるIT企業の幹部に「内部犯の可能性が濃厚である」と報告した直後、調査は一方的に打ち切られたのだ。
「あんな薄笑いで『これ以上は必要ありません。ご苦労様でした』って? 隠し事があるって、バレバレじゃないっスか!」
「是」
澪が短く同意する。
あの場に漂っていた、妖し返りに向ける生理的な嫌悪。そして、有無を言わせぬ拒絶の視線を透明化した澪も同じ部屋で見ていたのだ。
「犯人がまだ動く可能性があるって進言したのに、完全にシャットアウトされてしまったものね」
枢が腕を組み、険しい表情で付け加えた。隣で玲が静かに頷く。
「『データが戻ったから問題ない』。そう言って彼らは結論を急ぎましたが、あれは明らかに我々の追及を止めるための口実でしょう」
「だけど、あまいっスね。こっちには澪っていう最強の隠密がいるんスから」
光斗がニヤリと不敵に笑う。
透明化した澪は、皆と一緒にビルに入ると、単独で社内調査を行っていたのだ。
他の社員に紛れ、交わされる噂話、立ち入り禁止区域の構造、隠し部屋、そして歪んだ組織体制……。記録されたデータだけでは決して辿り着けない『生の情報』を、あぶり出してきた。
そこで判明したのは、想像を絶するほどに悪質な実態だった。
世界中に張り巡らされたネットワークを悪用し、妖し返りの個体情報を収集。彼らを見つけ誘拐し、人身売買や臓器の密売に手を染めていたのだ。
「容姿のいい者は薬漬けにして売却。そうでない者は臓器売買、あるいは生体実験の検体へ……何て酷い……」
枢の声が怒りで震える。
そこに人権など存在しない。ただ妖し返りが他の人より少し丈夫であったり、異能を持つというだけで、彼らは同じ「人間」として扱われていないのだ。
「まだ実用段階ではないようですが、我々の能力を兵器や軍事に転用する研究も行われていたようですね」
玲が淡々と、しかし冷徹に補足する。
室内に重苦しい沈黙が降りた。それを破ったのは、光斗がデスクを叩く音だった。
「何が、奪われたデータっスか! 隠していた悪事の『偽装』が、誰かの手で剥がされそうになっただけじゃないっスか……オレらは都合よく利用されたんス!」
「……許せない。このまま放っておくわけにはいかないわ」
枢が絞り出すように呟く。その横顔を、玲は誇らしげに、かつ慈しむように見つめた。
光斗が再び画面を切り替える。
「そう言うと思って、手掛かりを見つけといたんス」
電子ボードに映し出されたのは、一人の男の顔写真だった。
赤茶色の伸びた髪、分厚い眼鏡、そして不健康に青白い顔色をした、冴えない風貌の情報セキュリティエンジニア。
「九十九 朔……」
「あの会社の社員で、数週間前から行方不明になっている男っス。情報セキュリティ担当だったらしいっス」
澪が仕入れてきた数ある情報の一つ。このタイミングで内部の技術者である彼がいなくなったことが、偶然であるはずがない。
「そして多分……こいつが、俺に接触してきた妖し返りで、今回のデータ泥棒さんっス」
確信に満ちた口調で、光斗が口角を上げた。
――その頃。
あのIT企業の最深部。誰もいなくなったはずのサーバールームが、微かに震えていた。
空気を揺るがしたその衝撃は、遥か地下から伝わってくる。
正規のフロアのさらに下。上下が反転したかのように、天井からも無数のCPUサーバーが林立する異様な階層。
その中央に鎮座するのは、巨大なオブジェのような中枢サーバーだ。鋼鉄の花のようにねじれ咲くそれが、この施設の心臓部。
バチッ、と赤い電流のようなエネルギーが走り、閉鎖空間に声にならない絶叫が反響した。
そして――鋼鉄の花の中央に、赤いエネルギーを帯びた人型の残像が形作られ、虚ろに浮かび上がる。
静かに放電を繰り返すその姿は、悲しく声にならない咆哮をあげていた。




