幕間1:アストレア連邦・情報将校
北方の大国、アストレア連邦。
広大な雪原と鉱山を支配し、鋼鉄の軍制を誇るその国は、常に南方のヴァルシェン王国と刃を交えてきた。
その前線の一角に派遣されていた情報将校 セルゲイ・ドラコフ は、遠眼鏡を握り締めたまま動けずにいた。
——空が裂けた。
数百の魔法師が一斉に詠唱を放ち、炎と雷で空を覆ったその瞬間。
光が広がり、時が止まったかのようにすべてが凍りつき、次の刹那には虚無へと呑み込まれていた。
「……これは……戦術ではない」
セルゲイは喉を鳴らすように呟いた。
連邦においても魔法師部隊は重要な戦力だ。
だが彼らは常に砲兵や騎兵と連携することで力を発揮してきた。
魔法だけでは戦局を決められない、それが北方戦線の常識だった。
「だが……見たか、あれを……!」
副官が声を震わせる。
「数百を、一瞬で……!」
セルゲイの額を冷たい汗が流れた。
彼は老練な軍略家であり、数多の戦場を記録してきた。
だが、いま目にした光景は、どんな兵器史にも記載されたことのないものだった。
「領域……展開……」
彼は震える声で言葉を探した。
あの光は単なる高威力魔法ではない。
術者を中心に空間そのものを覆い尽くし、その領域内の存在を絶対に滅ぼす力。
——これこそが「神殺し」の所以。
炎龍を討ったという報は、これまでは半ば寓話と笑い飛ばされていた。
だが、いま目にしたものは寓話ではない。
あれは現実の戦場において、確かに発動した。
「連邦の砲兵ドクトリンは……無意味になる」
セルゲイは低く呟いた。
連邦は世界最大規模の砲兵陣を擁する。前線を榴弾で削り、鉄条網を突破し、騎兵で押し流す——その体系が連邦の軍事的優位の根幹だった。
だが、ラグナを纏ったあの存在の前では、砲兵も歩兵も魔法師も同じだ。
一度術域に捕らわれれば、何千、何万であろうと等しく灰燼に帰す。
「軍事均衡が……崩れる」
セルゲイの目は虚空を映しながらも、冷徹に未来を計算していた。
「もし中央平野があの力を量産できるなら、連邦とて存続できん。……いや、一人で十分か」
副官が恐怖を帯びた声で問うた。
「閣下、これは……“兵器”として数えられるのでしょうか」
セルゲイは短く答えた。
「違う。あれは……“戦略”そのものだ」
兵器は運用次第で強弱がある。
だが、あの領域展開は存在するだけで戦局を決める。
それは兵器体系の一部ではなく、体系を超越した“戦略的存在”——すなわち抑止そのものだ。
セルゲイは震える手で記録帳に走り書きを始めた。
《中央平野にラグナを纏う者あり。
その力は既存の兵器体系を無に帰す。
数百の魔法師を一撃で葬る能力を確認。
従来の軍事均衡は失われ、抑止力の中心は変わる。
炎龍討伐の報は真実であり、寓話ではない》
ペン先が止まる。
セルゲイは最後に震える字で一文を記した。
《この存在を敵とするか、友とするか——それは連邦の命運を決める》




