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夜に爆ぜ朝を食い尽くせ  作者: 蜂月ヒル彦
第一章 新宿編
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第18話 日曜日の終わり

 光る小麦色の(きつね)が、滑らかな朱色の着物を纏い、静かに笑っていた。

 その笑みの先には誰が居る訳でもない。何も無い虚空を見つめ、口元に緩い弧を描いている。


 狐と一口に言っても、それは一般的に想定される狐とは様相が違っていた。

 四つ足ではなく人間のように二本の足で立ち、身丈は人間の大人を凌駕する程に高く、独特の荘厳な空気感の中には妖艶さも兼ね備えている。あれは狐の形をした美しい女人、かもしれない。いや、神様と言う可能性もある。


 とにかく人でも狐でも、もしくはそれ以外の何者かであっても、それが現実のものではないのは明白であった。

 これは、夢だ。


 少し離れた場所から様子を窺っていると、美麗な狐の足元に、樹洞(じゅどう)(うろ)に似た楕円形の闇が、ふっと現れる。元からそこに存在していたのが急激に広がったのか、それとも本当に突然現れたのかは分からない。とにかくその虚が、狐の裾の長い着物の下から現れ、金の毛皮を侵食し始めた。着物は黒く染まり、毛皮は輝きを咎められるかの如く、覆い隠されていく。


 広がる黒い虚の淵には、紫や青の粒子が輝いて見えた。光が、反射しているのだ。だが何故、光の反射で虚の淵が違って見えるのだろうと、私は朧げに思う。


 良く見るとそれらは、ひそひそと動いていた。

 虚に似た闇は、膨大な数の、小さな生き物の集まりだった。そしてそれらは強大な意志によって統率されているかのように、こぞって狐の身体を蝕もうとしている。


 私は大声で『危ないよ』と狐に投げ掛けた。が、その声が一切出なかった事に気付いて、はっとする。唇は動いている。息も吸えている。だが、音が無かった。

 何も聞こえない。自分の足音や呼吸音さえ。音は出ているが自身の耳だけが機能していないのか、それとも音そのものが何かに即時吸収されているのか、分からない。


 胸が締め付けられるような不安を覚えた、次の瞬間、天から美しい笛の音が響き渡る。

 夢の中で初めて聞こえた音は、自分の声でも狐の鳴き声でもない。ただ上空から落とされた、誰のとも分からない、笛の音だった。


 その音は糸のように細く、長い。

 どうやら狐にも聞こえたらしく、()()は、おもむろに上空を見上げると、自身の尖った口を更に窄めて、笛の音に応えるように、


「ふ————……」


 と、長い口笛に似た吐息を吐き出した。

 その声は、上空から聞こえる笛の音とぴったり重なる。まるで同じ笛が二つ鳴っているかのようだ。空に二人で一筋の線を描くように、凛と張った二つの音色が揃う。


 長い、長い共鳴。

 そしてある時、ほとんど同時に、笛の音と狐の吐息が止んだ。


 刹那、足元で蠢いていた暗黒、樹洞の虚に似た小さな生き物の集団——それが、一気に狐の身体を駆け上った。

 柔らかな光を宿す身体が、黒いカーテンに包み込まれ、染まっていく。だと言うのに、狐自身はまるでその事に気付いていないかのように、慌てる様子も無い。


『駄目——』


 私は狐に近付こうとするが、いつの間にか何かに足を取られていて、動けない。


 すぐに自身の足元に視線を向けた。見た途端、ぎょっとして目を(みは)る。何者かの腕と脚が二本ずつ、自分の足首と脹脛(ふくらはぎ)に絡み付いていた。

 絡み付く腕と脚は木乃伊(ミイラ)化していて、土色に変色した肌は擦れる度に捲れ、露出した骨がぶつかり合っていた。それらには繋がっている胸部も腰部も無く、骨の継ぎ目から先が無い。その切断部は、皮膚を引っ張り捻ったように渦巻き状になっている。


 意思も筋力も無い筈の四肢は、強く私の両脚に絡み付く。

 私は叫び声を上げるが、やはり自分の耳にすら声は微塵も聞こえてこない。


 ふと、腰まで伸びて来た木乃伊の手の甲に、不自然に膨らんだ切り傷があるのが見えた。

 手の甲の手首側から中指に向かって真っ直ぐ伸びた浅い溝。その溝は中心部分が腫れたように膨らんでおり、両端に向かえば向かう程、その膨らみは小さくなっていた。

 どこか見覚えのある膨らみに無意識に視線を奪われていると、切り傷だと思っていた溝が上下に開き、人の口のような形を模した。


 いや。ような、ではなく口だった。


 裂けた皮膚の内側に、歯列が見える。乾燥した硬い肌とは対照的に、ねっとりとした唾液が口内で糸を引いている。粘液と熱気が渦巻き、唇の隙間からは、はあ、と生温い息の音。


 その歯列の奥に見えたのは、果ての無い暗黒だ。

 延々と続く、虚だ。


 私は絶叫する。しかしその絶叫でさえ空気を振動させる事は叶わない。


 浅く何度も上下する私の腹部を撫でながら、悍ましい唇は一文字一文字をはっきりと伝えるように、吐息混じりの声で大きく震えた。


「アイシテル、アイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテル」


 ——愛してる。








 周囲から聞こえる雑音や話し声に、失っていた意識が緩やかに覚醒を始めた。


「んん——」


 目を閉じたまま深呼吸をして、怠い身体に空気を取り入れてから、薄く瞼を開く。暖色の明かりが瞳孔に入り込んで来て、二度、目を開けたり閉じたりする。


 もう一度唸り声を上げながら、全身を伸ばしつつ身を捩って自身の居場所を確認すると、どうやら今、自分は〝新宿喫茶室 猫の目々〟のソファの上に寝転がっているらしい事が分かった。


「……いつの間に……」


 掠れ声でそう呟いた——が、もはや声になっておらず、ただ隙間風みたいな音が喉から漏れ出た。


白鴉(はくあ)が君を運んでくれたんだ」

「……ん?」


 声のする方に首だけ捻ると、向かいの壁際の座席に座っていたヨルがこちらを見ていた。目が合った。

 私は寝転がったまま首だけを上に向けて見ているので、全ての景色が上下逆様になっている。そのせいでヨルの姿も頭と脚が逆になってしまっていた。


 ヨルの姿が見える事に、ソファに押し付けたままの自分の首を傾げたが『ああ、複製世界の猫の目々だからヨルが見えるのか』と遅れて理解する。それからやっと、言われたばかりの彼の言葉を咀嚼した。

 白鴉が私を運んでくれた——と言う事は、きっと無事なのだろう。


「……そっか……。ヨル、何か……疲れた」


 目を擦りながら何も考えずにそう言った。今度は掠れつつもきちんと声になった。

 何故こんなにも身体が気怠いのか、いまいち思い出せない。昨日と同じだ。どこからが夢でどこまでが現実なのか、判別がつかない。私は、何がどうなってここに帰って来たっけ。どうして白鴉に運ばれたんだっけ。


「体調はどうだ」


 反対側の席に座って軽く腕を組んだままのヨルがそう問う。単調な声色とポーズのせいで本当に心配してくれているのか甚だ疑問だが、愛想が無いのは元からなので、ここは言葉通りに受け取っておこう。


「調子は……うん、悪くはないよ。でも、とにかく疲れた。変な夢も見たし」

「夢?」

「そう。言い表せないけど、変な夢」


 私はビロード素材のソファに横になったまま答えた。何と無しにソファの表面を指で撫でると、その部分だけ色が濃くなった。


「そうか。君はここに長くは居れないが、今はとりあえず休むと良い」

「うん……ねえ、私どうなった? また最後の方の記憶が全然無いんだけど……あっ」


 がばりと上体を起こして「お姉さんは?」と訊く。するとヨルはこくりと頷いて見せた。


「無事だ。意識は無かったが外傷は擦り傷程度で、正常な呼吸もできていた。だからすぐ目を覚ますだろうと、白鴉が交番の前に置いてきた。彼女が保護される瞬間も見た。きっと大丈夫だろう」

「そっか……二人共ありがとう。白鴉も無事だったんだね」


 昨日から白鴉は忙しくて仕方なかっただろう。その分愚痴も多くなってそうだが、今日は特に率先して沢山動いてくれたので愚痴くらいは気にしないでおいてやっても良い、かもしれない。


「ああ、白鴉はぴんぴんしている。ただ、蛇のような敵は突然消えたらしい」

「消えた? 消えたってどう言う意味?」


 その時、私達の会話が聞こえていたのか、キッチンの方から白鴉の「ああったく意味分かんねえだろ」と言う至極不機嫌そうな声が聞こえた。向こうで紅茶でも淹れていたのだろうか。


 うんうん、声を聞く限りちゃんと元気そうだ——と、安心して口元に笑みを浮かべていると、紅茶の香り漂うティーセットを持った白鴉がキッチンの中から、どかどか足音を立てて出て来た。全身傷だらけで。


「おぎゃあ!」

「んだよ急に喚くな」

「白鴉、元気かと思ったら、めちゃくちゃ怪我してるじゃん!」

「全部小っちぇ擦り傷だ。んな喚くもんじゃねえよ。ったくこっちは完膚なきまでにボコさねえと気が済まねえってのに、あの野郎、良い所で急に消えたんだよ。てっきりあんたらの方に戻ったのかと思ったが、そう言う訳でもねえし。あの蛇だか蜥蜴(とかげ)だかは、いったい何だったんだ? それにヨルに訊いたら、あんたらの方に違う奴がもう一匹居たって話じゃねえか」

「あ——、ああ」


 白鴉に言われ、私は漸く意識を失う少し前の事を思い出す。


 小窓の付いた扉。

 キッチン。

 血溜まり。

 肉の塊。

 身体を呑み込む床。

 気を失ったお姉さん。


 それから——。


 がちゃがちゃと騒がしい音を立てながら、白鴉が食器類をテーブルに並べた。それから紅茶をなみなみと注ぐ。ポットの先からカップに流れ落ちて行く紅茶の煌めきをぼんやり眺めながら、私は見知らぬ存在を思い出した。


 ()()と、話したような、気がする。それで、私が、何かを言った。約束——条件みたいな。

 いや、そもそもあれって、何だろう。


 やはり記憶が曖昧だ。その上、鈍い頭痛が思い出すのを邪魔してくる。

 私は頭痛の波に負けて、一度起こした身体をもう一度ソファに横たわらせた。


 戻ってくる時に頭でもぶつけたのだろうか。夢見が悪かったのもそのせいかもしれない。まあ白鴉が懇切丁寧に運んでくれる訳も無いだろうし、きっとそうだろう。


 それにしても呑み込まれていた私とお姉さんは、いったいどうやって助かったのだろうか。あの状況ならヨルがどうにかしてくれたのだと思うが、肉体も無い状態でどう対処したのだろう。いや、敵が途中で消えたと言っていたし、あの場合は白鴉がぎりぎり間に合ったと考えるのが妥当か。


「ん?」


 その時、寝転がった私の腹の上を何者かが歩く感覚に驚いて、首だけを上げてそちらを見た。正体はあの三毛の毛玉だった。


「あ、猫の店主さん。もう眠くないの?」


 私がそう訊くと、大きな欠伸で返事をされた。こちらも寝起きなのか、私の腹の上で伸びをして唸り声を漏らした。恐らく今まで私の足元辺りで寝ていたのだろう。伸びをした時に蹴飛ばさなくて良かった。


「待ちくたびれてしまったよお」

「いや、それいつもの俺達の台詞だからなジジイ」


 自身の前足を毛繕いしながら文句を言う猫さんに向かって、即座に白鴉が突っ込んだ。面倒ごとを私達に押し付けておいて、本当に気ままな店主である。


「待ちくたびれたって、そう言えば、猫さん私に何か用があったの?」


 言われてみれば神社の向かう前にそんな話題があった気がしたが、慌ただしさにすっかり忘れていた。

 猫さんは、すでに何度目かの欠伸を噛み殺しながら、相変わらず私の腹の上から、能天気にこう言い放った。


「悪いんだけど君達、明日は三人で、浅草に行ってくれない?」

「え?」

「は?」


 突拍子も無い猫さんの言葉にそう答えたのは『君達』と言う言葉に含まれたであろう私と白鴉だ。ヨルも勿論この『君達』の枠に入っているだろうが、彼に至ってはその性格故か、唐突のお願いにも無表情だった。


 この時の自分が頑なに拒否をすれば。ヨルを見捨てれば。全てを忘れて自身の生活に戻れば。そうすれば——映画の真似事のような非現実的な事件に、これ以上巻き込まれずに済んだのに。


 なのにそれらの選択肢を取らず、何故か受け入れてしまったのは、危険を顧りみない彼等を気掛かりに思ったか、はたまた他の犠牲者が出るのを阻止したいと願う、身の丈に合わない馬鹿げた正義感のせいなのか。


 ——いや。

 理由など、まだ知らなくて良い。







 

 第一章 新宿編 完

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