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夜に爆ぜ朝を食い尽くせ  作者: 蜂月ヒル彦
第一章 新宿編
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第13話 とある神社

 私と白鴉(はくあ)、それと姿の見えないヨルの三人で向かった神社は、猫の目々から少し歩いた先にある。

 そこは新宿と言う土地柄なのか、とっくに暗くなっているにも関わらずいつでも参拝できるよう開放されていた。

 故に普段から通勤時の抜け道に利用しているらしき仕事帰りの会社員や、別れを惜しむ恋人達など、ここは夜の神社としては珍しく人の出入りが盛んだ。私達が到着した時分も例外ではなく、カップルが一組と、友人同士だと思われる数名の若者が、境内で話し込んでいる様子だった。


「で、ここで何をどうするの?」


 流れでついて来てしまった私は、早く終わらせたい気持ちを大して隠しもせず投げ槍にそう言った。

 先程の会話の流れから考えて、てっきり猫の店主が〝異常〟として検知した何かがあるのだと思ったが、神社の中を見ても、ここにそんな物があるとは思えない。


 私の疑問に、白鴉も周囲を見回しながら答える。


「昨日と同じだ。まずあっちに通じる通路を探す。ジジイが言うには現場はここで間違いないらしいからな、相手が今ここに居ないって事は、きっともう誰かを引き込んだ後だ。とにかくその通路を探すぞ」

「……え?」

「は?」


 さらっと説明された事実に素っ頓狂な声を出すと、白鴉が更に素っ頓狂な顔で返した。

 今にも目眩がしそうになるのを堪えながら、私は強ばった表情を白鴉に向ける。


「昨日と同じ? つまり……またあの黒い怪物みたいなのと対峙しないといけないって言ってる? 本当に?」

「あ? 当たり前だろうが」

「さっきは皆そんな事言わなかったじゃん! 無理です、私帰りますさようなら」

「あんたが居ないとヨルが役に立たないだろ」

「私が居たって役に立たないよ、声しか聞こえないんだから。しかも白鴉にはヨルの声聞こえてるんでしょ? じゃあ私全く必要ないよ。帰らせてよ」


 私が必死にそう言うと、耳元の通信機から「役に立たない……」と、どこか悲しそうに反芻する声が聞こえたが、今は無視した。

 どうにかこの場から逃れようと足掻く私の態度に、白鴉は髪を雑に掻きながら大袈裟な溜息を吐いた。


「今、ヨルがこんな燃え滓の役立たずなのは、あんたが考え無しに名前をやったせいだってのは分かっただろ? でも、どうしようもねえ考え無しだったのはヨルも同じで、全ては合意の上での結果だ。だから誰もあんたを責めるとかは考えてねえ。ヨルも俺もそこは同じだ。けど、それでヨルの方は息吹きゃ消えるくらいの崖っぷちにまで一回立たされて、その上、今も元の身体を取り戻す方法は分からないときてる。まあぶっちゃけ、それも仕方ねえかって思ってはいたぜ。()()()()()な」


 天使のような死神が、そこで言葉を一度はっきりと区切った。

 冷たい風が頬を撫でていった。熱くなっていた皮膚が、少しずつ冷やされていく。対して白鴉の瞳には、どこか冷め切らない熱を感じた。


 熱を含んだその浅葱色(あさぎいろ)の瞳に、ああこの小柄で尊大な死神は、ヨルの為に私を説得しようとしているのだ——と冷静に思った。


 腹立たしい程に美しい白鴉は一度自身の唇を噛んでこちらを見上げる。彼は私より拳二つ分くらい低い筈なのに、その雰囲気は随分大人びて見えた。


「あんたが、そいつの名前を思い出した瞬間、ほんの少し、でもほんの少しでも確実に存在を取り戻した。一度は消滅したも同然の奴がだ。有り得ねえが、有り得た。確かに今のヨルはマジで何の役にも立ちゃあしないミジンコ同然だが、また何かのきっかけで、もしかしたらそいつの奪われた部分を取り戻す事ができるかもしれねえ。その為に、消される原因にもなった名付け親である、あんたの協力が多少はあったって良いと思うけどな、俺は」


 ヨルが消される原因にもなった名付け親。


 確かにそうだ。それは決して間違いではない。

 だが所詮、原因は子供の戯言だ。そもそも私は死神では無いから子供だろうが大人だろうが死神独自の規則やマナーなど知る由もない。


 あの時の黒い彼は——ヨルは、ただ、運が悪かっただけだ。

 運悪く私に見つかり、運悪くお遊びで名前を付けられ、異端となって理不尽に消された。

 その結果はこちら側に原因があっても、身体を張らなければいけない程の責任がある訳では、ない。


 無意識に私まで唇を噛み締める。『私のせいじゃない』と言い返したいのに、口が動かなかった。

 本当に何もしなくて良いのか、そう心の中で躊躇する自分が居る。そんな偽善的な顔をした自分自身にむかっ腹が立つ。どうせ何もできないのに、妙な高尚さを出そうとするな。その高尚さの為に死んだらどうする。


 でも。

 ヨルは珈琲さえ飲めなかった時間が、いつまで続くか分からない虚無の時間が長くあったに違いない。そんな状況から進展できる可能性があるなら、きっと縋りたいだろう。私なら額を地面に擦り付けてでも縋る。

 白鴉は、そんなヨルの代わりに私にこう言っている。


 だが私は他人の為に、しかも死神の為に命を張れる自信は無い。私はヒーローではなく、殴られただけで簡単に吹っ飛ぶ一般人で、モブで、雑魚だ。他者を救えるような器では決してない。


「……私は、」


 言い淀む。どう答えるべきか分からなくなって、逃げ出したくなって視線を白鴉から逸らした。


 その時、桃色の四角い何かが目に映った。

 茂みから顔を出している派手なそれに、不思議と視線が奪われる。そして一度その物体の正体を捉えると、まるで金縛りにあったかのように全身が動かなくなり、血が逆流するような錯覚があった。


「ヒナ、どうした?」


 異変に、ヨルが気付いた。しかし私に答える余裕は無く、ただゆっくりとその物体に近付いていく。一歩一歩進む度に、今朝の映像がはっきりと私の脳内に再生された。


「……白鴉、さっき、誰か引き込まれた後って言った?」

「そうだ。もう、魂ごと食う為に連れ去られてる筈だぜ」


 その言葉に、私の身体の中を酷く冷たいものが駆け抜けた。

 緊張感とは裏腹に私は緩慢としゃがみ込み、茂みの足元に落ちていた財布を手に取る。エナメルの弾けるような桃色をした長財布だった。


 これは、早朝に眠っていた私を起こしてくれた女性が持っていた財布と同じ物だ。


「それは……、知っている人間の物か」

「……多分」


 私の様子から悟ったのかヨルが呟いた。どうにか返事をするが、それ以上の事は言えなかった。頭の中で嫌な妄想が、溢れたインクのシミのようにじわじわと広がる。


 あの女性が、昨日の私と同じ目に遭っているかもしれない。

 考えただけで怖気と同時に怒りも湧いてくる。動悸が速くなり、脳の奥が焼け焦げ、殴られたような気分に苛まれた。


 勿論、財布が別人の物である事も、ただ落としただけで事件性は無いと言う可能性も充分にある。全ては仮定の話だ。


 だがそれでも、実際起こっている可能性が、ある。


「ヒナ」


 再び耳元でヨルが私の名前を呼んだ。

 その声は昨日から変わりないように思えるが、こちらを気遣うようにも聞こえる。冷たい風と同じように、私の熱を下げる不思議な声だ。初めは冷酷に思えるようで、触れれば柔らかく穏やかな声。

 何故、彼は私の名前を呼ぶ時、優しい音を出すのだろう。


 私は拾い上げた財布を握り締め、真っ直ぐに立ち上がった。不思議と、もう帰りたいとは思っていなかった。


「——向こうに繋がる通路、この近くかも」

「よし」


 白鴉が短くそう答えて前に出た。

 私は無くさないように、財布を自分のリュックの中に入れる。財布が落ちていた周囲を隈なく白鴉が見回した。その視線の忙しなさから何かを探しているのは分かったが、それが何なのかは私には分からない。


「人間の物が落ちてるって事は……犯人は無理矢理引きずり込んだんだな。ならこっちが必死に探すまでもねえ。……向こうか」


 ぽつりと言った白鴉がぴたりと視線を一点に留めると、何かを見つけたのか敷地の外れの方に足を動かし始めた。


 置いて行かれないよう私も後に続く。参道を外れ、境内の脇に辿り着いた。

 そこには小さな社が建てられていたが、白鴉は社の方ではなく、その途中にあった井戸の方に真っ直ぐ向かう。飛石を渡った先に、手押しポンプ式の井戸がひっそりと佇んでいた。


「井戸?」


 こんな所に井戸があるとは知らず目を(みは)る。恐らくずっと前からあったのだろうが、こちらの小さな社に来なければ、ほとんどの者は存在すら知らないだろう。


「ここだ」


 井戸を見下ろした白鴉がそう言った。いや、良く見ると汲み上げられた井戸水を受ける為にある、丸い石の水受けの水面を凝視している。


「これが入り口って事?」

「そうだ。さしずめ、複製世界への玄関ってとこだな」

「ええ? どの辺りが?」


 水受けは井戸に寄り添うように置かれているだけで、人間が中に入れるような大きさは無い。両足が入る横幅くらいはあるが、底も浅いので入ろうとして足を突っ込んでもただ濡れるだけだろう。玄関とは程遠い。


「今こじ開けるから、あんたは黙って見てろ」


 何も理解できない私を退けて、白鴉がずいと前に出る。それからおもむろに片膝を立てて座り、石でできた水受けを真上から見下ろす体勢をとった。

 片腕を伸ばすと、彼の白い肌が水面に反射して映る。


 満杯に貯まっていた水に白鴉の指先が触れる。そのまま指先が全て浸かるくらいまで沈めると、一瞬、白鴉の眉間に深い皺が寄った。


「胸糞悪い」


 こちらに聞こえないくらいの小さな声でそう漏らす。何が、とは何となく訊けなかった。


 刹那、水に浸けていた掌をくるりと翻す。ぴちゃりと音が鳴った。

 白鴉は自身が立ち上がるのと同時に、指先に水が着いているのも気にせず片腕を大きく振り上げた。白い指先は放物線を描きながら、半円をかたどる。

 振り落とされた水滴は空中に拡散し、新たな放物線を描くと自ずと重力に従い落下を始めた。


 白鴉は一度頭上まで振り上げた自身の掌を、強く握り締めた。それは何かを掴んだような仕草にも見えたが、そこにあるのはただの空虚だ。


 突然、大きな金属を無理矢理曲げたような、ぐわん、と言う音がどこからか聞こえた。


 同時に自分が立っていた地面が突如崩落し、足元から落ちるような浮遊感に襲われる。

 これは先程のステンドグラスを通って猫の目々から戻る時の感覚と似ているが、時間の長さが全然違う。さっきは一歩通り抜ければ簡単に現実世界があったのに、今回は違ってまばたきした程度の時間では終わらなかった。気持ち悪くもないのに目眩を起こしているような気がして、吐き気がする。


 だが不思議な事に自分の足の爪先を見ても、地面は崩落など起こしてはいない。視覚的には、自分の足の裏はぴったりと地面にくっ付いているのだ。それなのに自分の頭が地面に向かって落ちていくような感覚は止まらず、思わず声が出る。


「うっ」

「落ちるなよ。あと吐くな」

「お、落ちるっ? 落ちるって何——」


 白鴉のその言葉の意味が最初は分からなかったが、ふと自分の頭上を見た時、その言葉の意味と気持ち悪さの正体を理解した。


「——地面が、二つある……?」


 そこには自分達が今立っている神社の、鳥居や拝殿、そして広大な新宿の街、それらと瓜二つの全く同じ物が、足元と頭上に——つまり天と地に一つずつ存在していた。

 全てが向かい合わせのようになっており、上下ともに同じ航空写真を見ているような光景だった。


 これは巨大な鏡だ。

  勿論、本当に空を覆うくらいの巨大な鏡が現れた訳ではない。上空に見えるのは平面ではなく実物の街で、ビルも車も道も、今私達が立っている場所と同じものだ。

 まるで世界を丸ごとコピーした後に、そのまま引っくり返したような景色だった。


 世界が二つ。でも、どちらも本物である筈がない。

 白鴉が宣言通り、たった今複製世界をこじ開けたのであれば、恐らく今、下にあるのが本物の新宿で、上にあるのが複製世界の新宿——と言う事なのだろう。

 それがどちらも見えていると言う事は。


「これ、本物と偽物の境目……?」

「そう言う事だ」


 耳元の通信機から相変わらず冷静なヨルの声がした。今回も慌てているのはどうやら私だけらしい。

 宙に浮いたような不快感が収まる直前、大きく地面が揺れ、脳味噌を揺さぶられるような地響きが轟いた。


 地響きで一度転びそうになってすぐに立て直したが、再び上空を見上げた時には、すでに上にあった新宿は跡形も無く消え去ってしまっていた。

 重力の気持ち悪さが消え、景色と同様に普段の感覚に戻る。

 しかし周囲を見ると、そこに居た筈の若者やカップルが忽然と姿を消していた。どこかに移動した——と言う訳では、きっとないのだろう。


 今私達が立っているのは先程と同じ神社の境内だ。だがここはもう、普通の新宿ではない。

 昨日私が迷い込んだのと同じ類い。つまり。

 

 ——捕食者の為の、屠畜場(とちくじょう)だ。

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