第5話 暗躍する影
その唇から発せられた言葉は、意外な言葉だった。
「話すって……?」
突然のお誘いに少々困惑した俺は、リリアに聞き返す。
「少し話したいことがあるの。時間は大丈夫なんでしょう?」
「あ、ああ」
「じゃあ、行きましょう」
そう言って、リリアは俺に背を向けようとする。
「行くってどこへ?」
「屋上よ。ここじゃ、誰かに聞かれる可能性もあるもの。さっきのあなたみたいにね」
「うっ」
そんな俺の反応を気にすることもなく、リリアは胡桃色の長い髪を揺らしながらスタスタと歩いて行ってしまった。
ーーなんの話だ?俺何かしたかな?
自分の今日の行いを振り返ってみるが、特にリリアに悪いことはしていない気がする。さっきのことを除いてはだが……。俺は、とりあえず大人しく付いて行くことにした。
リリアに付いて、暗い廊下を窓から差し込む月明かりを頼りに歩く。階の真ん中にある階段を十数段上って踊り場に出ると、同じく十数段ある階段の先に屋上のドアが見えた。この建物は三階建てで、俺達の部屋があったのは三階であったため、階段を上るとすぐそこは屋上だ。残りの階段を登り切り、ドアの前に差し掛かったところで、不意に浮かんだ疑問をリリアの背に投げ掛ける。
「そういえば、外に出て大丈夫なのか?空を飛ぶモンスターがいるかもしれないし、主が時計塔から俺達を発見すれば、モンスターをここに召喚するかもしれない」
「大丈夫よ。隠れ家の周辺にはモンスターは見当たらなかった。幻思世界のモンスターは何もなければ定位置から動かないから、ここにモンスターは来ないわ。主がモンスターを召喚する方も、あり得ないでしょうね。主は冒険者が何もして来ない間は、何も仕掛けてこないから」
「そういうもんか」
「そういうものよ」
そう言うと、リリアはドアを開けた。心地良い風が俺の頬を撫ぜる。
屋上に出ると、そこには満点の星空が広がっていた。
「おお……!すごいな」
街の明かりがほとんどついていないからであろうか、星々が鮮明に見える。真っ暗な中、瞬く星達に吸い込まれるように、俺の心は奪われた。
「綺麗でしょう?」
リリアに声を掛けられ、はっと我に返る。
「ああ。驚いたな、これは」
「不思議よね。危険な幻思世界なのに、星はこんなに綺麗だなんて」
そう言って、リリアは俺に微笑みかけた。珍しく微笑んだリリアの顔に内心ドキッとしつつも、それを悟られないようにもう一度空を仰ぐ。
「そうだな。本当に、綺麗だ」
それからしばらく、俺とリリアは無言で星を見続けた。瞬く星達が、二人を優しく照らす。この世界には今、俺とリリアの二人しかいない。そう錯覚するほどに、穏やかな時間が流れていた。
「それで、さっきの話だけれど」
リリアの声で、俺は現実に引き戻された。星達の余韻が残った視界にリリアの姿を捉えると、リリアの真っ直ぐな瞳が俺の瞳を射抜いた。どうやら彼女は真面目な話をしようとしているらしく、さっきの柔らかい表情はいつのまにか消えている。
「アイルは、幻思世界のクラス分けは何を基準にして行われているか知ってる?」
「えっ?」
唐突な質問に、俺は少々驚いた。未だ星達の輝きが残る脳内をどうにか片付けて、リリアの質問の意味を考える。
幻思世界のクラスは、GからSの八段階に分かれており、幻思世界がどのクラスに該当するのかは、幻思世界に入るための鍵である思い出の品の魔力量を調べれば分かるはずだ。魔力量が多いほど、危険なクラスの幻思世界ということになる。
「思い出の品の魔力量か?」
リリアに問い掛けると、リリアは頷いた。
「ええ。じゃあ、どうして幻思世界には危険度の異なる世界が存在すると思う?」
どうして?どうしてだろう……。
今まで考えて来なかった疑問に、俺は頭を捻った。
今まで俺が入ったことのあるクラスは、GからEまでの低クラス帯だ。低クラスの幻思世界にはモンスターが出現しない世界もあった。それらの世界は普通に人々が生活を営む穏やかな世界であり、いくつかの世界では主と会ったこともあるが、主はささやかな未練があるだけで、それを晴らせば幻思世界は消滅した。
しかし、この世界は違う。凶悪なモンスターが蔓延り、リリアの話では恐らく主と戦闘になると言う。主と戦闘になる世界と、ならない世界。この違いは何か……。
答えを導き出せない俺は、リリアにお手上げだと伝える。
「うーん……分からないな」
俺が考えている間律儀に待ってくれていた少女は、遠くに見える時計塔に視線を移し、答えを口にした。
「誰かを、何かを恨んでいるかどうか。それが、幻思世界に危険度の違いがある理由よ」
「恨んでいるかどうか……」
リリアの発した言葉を反芻する。それなら確かに、モンスターが蔓延っているのも、主と戦闘になるのも合点がいく。きっと主は、一生を幸せに終えることができなかったことに怒り、せめて幻思世界では平穏に生きたいと願って、侵入者を排除しようとするのだろう。
俺の言葉に頷き、リリアが続ける。
「そして、幻思世界が生まれる可能性があるのは、人が亡くなる時。つまり、危険度の高い幻思世界は、その人が亡くなる時に何かを強く恨んでいると考えられるわ」
人が死ぬ時に、何かを強く恨む……
誰かを、強く恨む。
「……殺されたってことか?」
恐ろしい答えを口にすると、リリアは頷いてしまった。
「恐らくね。きっと、この世界の主も、誰かに殺された。……そして私は、その人を知ってる」
リリアが俺の目を見る。俺は固唾を飲んで、その先を待った。
「その人は、ダグラス・ハイマン。調査団だったメンバーよ。……昨日までは」
「え……?」
昨日までは?一体どういうことだろう。
あまりにも唐突すぎる展開に、俺の理解は遅れた。そんな俺には気付かず、リリアが続ける。
「私は昨日、ダグラスさんを含めた他の調査団メンバーと行動を共にしていた。Cクラスの幻思世界に入っていたわ。世界を破壊した後、確か、午後三時。私達は冒険者ギルドに報告に行って、ギルドの前で解散した」
そこで俺は、この世界に来る直前にダグラスという名前をリリアが口にしていた事を思い出した。
「そして、今日の午後三時。私は、ダグラスさんの剣を見た。冒険者達が囲んでいた、地面に突き立ったあの剣。あれは間違いなく、ダグラスさんの剣だった」
そう伏し目がちに答えるリリアに向かって、俺が口を開く。
「じゃ、じゃあ、そのダグラスさんっていう人は、昨日の午後三時から今日の午後三時までの間に殺されたってことか?」
俺の言葉に、リリアが首肯する。
「そうなるわね。でも、それっておかしいと思わない?ダグラスさんの幻思世界が出現して一日しか経っていないのに、冒険者達はその幻思世界の存在を知っていた。普通、幻思世界の思い出の品は、魔法士が魔力探知をしない限り、外見からはわからない。ダンジョンの、しかも第一層の一室で、魔力探知の魔法を使える上級者がわざわざ魔力探知をしたことは考えにくいし、調査団の魔法士が定期的に行う思い出の品の調査も行われていないわ」
「確かに、たった一日で冒険者達に幻思世界の存在が知れ渡るのはおかしいな」
リリアの話を聞いて、俺も同意する。
では、どうして多くの冒険者達はこの世界の存在を知っていたのか。
「私は、このことについて今日、考えてた。そして、ひとつの答えが出た。……それは、誰かがこの世界の存在を、意図的に広めたということ。多くの冒険者に伝わるように。狙い通り、多くの冒険者がダンジョンの一室に集まった……。私、思うの。きっとその誰かは、冒険者達を危険な幻思世界に入れたかったんじゃないかって」
そこでリリアは言葉を切る。リリアの言っていることは分かったが、ひとつ疑問がある。
「でも、どうしてそんなことを?」
俺が聞くと、リリアは少し躊躇う様子を見せたが、静かに口を開いた。
「私達冒険者を、殺すためよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は戦慄した。
「な、何だって……!?」
驚きを隠せなかった俺は、リリアに聞き返す。
「冒険者なら誰でも行けるダンジョンの第一層。そして、あの狭い部屋……。冒険者達をこの世界に入れるために狙ってしたとしか思えない」
「そんな……」
確かに、筋の通った話だ。誰かが俺達冒険者を殺すために謀った……。だが。
ーー何のために、殺そうとしてるんだ?
そんな疑問が浮かんで来たが、リリアに答えられる質問ではないだろう。それを知るためには、俺達を嵌めた張本人に聞くしかない。
冷たくなって来た風が、俺の頬を撫ぜる。空の星達は、いつのまにか雲に隠れつつあった。