第3話 新たな仲間
幻思世界には、いくつかのルールがある。その中でも、代表的なものは三つ。
一つ目は、幻思世界に入るためには、死者の思い出の品に触れる必要があること。この際、思い出の品の半径数マルトにいる者も幻思世界に入る。世界のクラス
が上がるにつれて、半径は大きくなる。
二つ目は、幻思世界に滞在できる時間は、入った時間から最大で七十二時間であること。七十二時間以上滞在していた者は、幻思世界の住人として認識され、二度と元の世界には戻れない。
そして、三つ目。幻思世界は、条件を満たさなければ脱出することができない。
つまり、今のこの状況は、最悪の状況だということだ。
「Aクラスだって……?」
そんなことがあるのか。ダンジョンの第一層に出現した幻思世界が、八段階の危険度の中で二番目の危険度を誇るAクラスだなんて。
「ええ。サイクロプスが普通のフロアにいるなんて、Aクラスじゃないと考えられない」
リリアはそう応えると、震えが止まった声で言った。
「とにかく、ここから早く逃げて、今後の方針を考えましょう」
リリアが走り出したので、俺もそれについて行く。
「リリアはどうしてAクラスのことについて知ってるんだ?」
「……私は、Aクラスに入ったことがあるから」
「え!?」
その発言に、俺はひどく驚かされた。実力がある冒険者だとは思っていたが、まさかそこまでとは。
「私、調査団に入ってるの」
「調査団って、あの?」
「幻思世界調査団」、通称「調査団」。文字通り、幻思世界を調査するためのギルドだ。
「そう、あの調査団よ。半年前に、私はダンジョンの中層でAクラスに入った」
「じゃあ、Aクラスのことはある程度分かってるってことか?」
「……ええ。だからこそ、今のこの状況の悲惨さが分かる。Aクラスは普通、精鋭を集めて、最低でも20人で臨まなければならないクラス。でも、今のこの状況は……」
そこまで言うと、リリアは口を閉じた。
「絶望的ってことか」
リリアが小さく首肯する。
「だから、少しでも脱出の可能性を上げるために、モンスターとの遭遇は最低限にして、世界の主のところに行かなくてはならない。もちろん、他の冒険者と協力しながら」
「なら、まずやることは他の冒険者を集めて作戦を立てることだな」
「ええ。犠牲が増える前に集める必要があるわね。……っ!オーガがいるわ、隠れて」
俺とリリアは建物の陰に隠れてモンスターの様子を窺った。そこにいるのは、一体のオーガと……
人だ。フードを被っていて顔は見えないが、恐らく冒険者なのであろう。どうやらオーガに追い詰められ、逃げられない状況になっているようだ。
「まずい……!リリア!」
「ええ!」
声を掛け合うと、俺とリリアは駆け出した。オーガの背面、右後方から俺が、左後方からリリアが迫る。
走りながら抜刀し、右後方に剣を引く。剣の柄頭に左手を添え、上半身を捻り、力を溜める。
「おお!!」
溜めた力を放つように水平に振った剣が、オーガの右太腿を襲う。血飛沫をあげる右太腿に重い手応えを感じながら、両手で剣を持ち、一気に振り抜く。
「うぉぉぁあああ!!」
叫びながら左手で振り抜いた俺の斬撃は、どうやらオーガに効果があったようだ。
「グァァァァァ!」
雄叫びをあげるオーガに向けて、空から飛来するリリアが影を落とす。
「はっ!」
短い気合いとともに、オーガの背中を斬り下ろす。華麗に着地し、次いでバックステップで距離を取った。
「アイル!ここは逃げるわ!」
リリアは叫び、襲われていた冒険者の方に走り出した。
「わかった!」
俺は応え、苦しむオーガを横目に、リリアと冒険者と共に逃げ出した。
しばらく走り続けると、多くの露店が並ぶ無人の大通りに出た。オーガが追って来ていないことを確認すると、俺は二人に言った。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
リリアと冒険者も立ち止まる。
「そうね。一旦あそこに隠れましょう」
そう言って、リリアが屋台を指差した。
幻思世界は、俺達の暮らす世界となんら変わらない世界だ。この世界にも人間はいるし、日々生活を営んでいる。
しかし、幻思世界の中には、街中にもモンスターが出現する危険な世界がある。ここがそうだ。モンスター達は主の意思によって、世界に侵入者が入って来た時に出現し、侵入者を排除しようとする。
そして、その時街の人々は姿を消す。そのため、大通りも無人であるというわけだ。
屋台の陰に隠れて腰を下ろす。久しぶりに座ったため、疲れがどっと出て来た。
「あ、あの」
フードを被っていた冒険者がフードを脱ぎ、声を掛けてきた。
なんとその冒険者は、驚いたことに十三、四歳くらいと思われる少女だった。
「私、シエル・ルーチェって言います。さっきはありがとうございましたっ」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。
少し面食らっていたおれは、一瞬の硬直を経て、慌てて返事を返す。
「怪我はない?」
「はい、大丈夫です!」
「よかった」
見たところ、言葉通りどこも怪我はしていないようだ。
「この世界にいるということは、あなたは冒険者なの?」
リリアが口を開く。確かに、俺も気になっていたところだ。
「はい。……と言っても、冒険者になったのはつい三日前のことで、東の森のダンジョンの上層ぐらいしか行ったことがなくて……」
「ってことは、幻思世界に入ったのは初めてってことか?」
「はい。ダンジョンで狩りを終えて、帰ろうとしたところに偶然人だかりが見えて。何だろうって思って近づいたら、急に周りが光り出して、気付いたらここに……」
話しながら、少しずつしゅーんとうつむいていく。
「それはなんとも……」
「……はい。私、運が悪いんです……」
あまりにも不運だ。初めての幻思世界をAクラスで経験することになるとは。
「なんと言葉をかけていいかわからないけれど……でも、真実だから話しておくわね」
「は、はい」
「この世界は、恐らくAクラス……危険度の序列の中で、二番目に危険度の高い世界だと思う」
「え……」
シエルの顔からさぁーっと血の気が引いていく。
「そ、そんなぁ……」
シエルはひどく落ち込んでしまったようだ。初めての幻思世界で、いきなりAクラスが当たってしまったのだ。無理もない。
ガックリとうつむいてしまったシエルに、リリアが言葉を続ける。
「シエル、落ち込むのは仕方のないことだと思う。でも、諦めるのはまだ早い。私達はここから出るために、この世界の主のところに行く。たぶん、主のところに行ったら戦闘になるわ。だから、この世界にいる冒険者に、出来るだけ多く主のところに来てもらわないといけない」
顔を上げるシエルの目を見て、リリアが続ける。
「あなたも、私達と一緒に来てほしい」
そう告げるリリアの目を数秒シエルは見つめていたが、耐えられなくなったのか、真っ直ぐなリリアの目から逃れるように、シエルは目を逸らした。
「でも、私、なんの役にも立たないし、それどころか、運が悪いからお二人に迷惑を掛けてしまうかも……」
「それでもいいの。少しでも生存率を高めるために、人は多い方がいい。あなたにもきっとできることがあるわ」
「……」
リリアの言葉に、シエルは下を向いて黙り込んだ。しばらく迷っていたが、踏ん切りをつけたのか、シエルは顔を上げた。迷いながらも従うことにしたようだ。頬を叩き、「よしっ」と気合いを入れる。
「わかりました。一緒に行かせてもらいます」
シエルの目には、駆け出しながらも冒険者としての覚悟が見えた。
「ええ。よろしく、シエル」
「よろしくな」
俺とリリアの言葉に、シエルは元気よく返事をした。
「よろしくお願いします!」