表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/2

2.侍女になりました

 公爵家と男爵家の穏便な交渉の末、行儀見習いの件は無事に契約締結となりました。


「アイラ、そんなに何度も外を見ても、馬車はすぐには着きませんよ」


「でも……!今日いよいよユアン様をお迎えできると思いますと……」


ガラガラガラッ……


「来ましたわ!」


 アイラは玄関を飛び出してユアンを迎えに行きました。


「ユアン様……!」


 馬車から見えるユアンは、それなりの格好をしていました。


 これには公爵家の、あの時川辺にいた使用人一同が、(あのボロ切れみたいだった野生児が、人間……いや、最低限貴族らしい格好をしているですって……!)と驚きましたが、勿論顔には出しません。


 (男爵家もまともな服を持っていたのですね)なんて失礼なことを考えている者までいましたが。


 ユアンは送迎してくれた馬車から降りると、開口一番、


「アイラ様、先日は大変申し訳ありませんでした」


と頭を下げました。


 見事な直角です。


 まあ、男爵に行儀見習いの話が来た時点で、(名前だけで男爵家ってのがバレたのかよ!?公爵家の情報網やべえな!?とりあえずまずは謝るか!)と思っていましたから。


 そもそも、公爵家から手紙が来た時点で、ユアンは父親に睨まれたのです。


「ユアン、何かしましたね?」


「べ、別に何も……」


「開いてユアンのことだったらどうします?」


「悪かった!おやじ!」


 あの日、手紙が開けられる前に父親の前で土下座したことを、ユアンはまだ忘れていませんでした。これから忘れられるかは不明でしたが。


「いえ、むしろお礼を言いたいぐらいなのです。お招きに応えてくださりありがとうございます」


 アイラは言いました。(断られなくて良かったですわ!)と彼女は嬉しく思っていたのですが、上級貴族に打診されて断れる下級貴族はなかなかいません。


 それに、ユアンは貧乏男爵家の娘でしたから。


 (私の実家は兄貴が後継者だしな……。ま、おやじとおふくろも食費と教育費が浮いて喜んでたし……)


 ユアンは公爵家から打算が来た時の家族の様子を思い出しました。いつも以上の笑顔でした。父親なんて小躍りしていましたし。


 (ちゃんと飯が出ればいいけど。行儀見習いなんて飢えないぐらいの扱いを受ける家もあるっていうしな)


 ユアンは公爵家に怯えるでも家族を思って寂しがるでもなく、生死の心配をしていました。


 (飯がなきゃ死ぬからな)どの動物も同じです。食べなければ死ぬのです。それは、自然の中で力一杯遊んでいた彼女にとって、自明の理でした。


「まず侍女の衣装を用意させましょう。今日はそのぐらいでいいですわ。明日からは私と共に学問・教養・マナーを学んでいただきます。それでも、既に数年分の知識の差はあるでしょうから、分からない分野はあなたがそれ以外の時間で学ばなければなりません」


「はい」


 ユアンは神妙に頷いた。


 (学問かー。食べられる木の実を覚えるみたいな事の亜種か?ま、行儀見習いが毒キノコを食べて死んだってんじゃ、公爵家も外聞が悪いだろうしな)


「そこは、承知いたしました、と言うのですよ」


「承知いたしました」


 アイラは微笑みました。


 (素直ですから、きっと優秀な侍女になりますわね)


 まだユアンは5歳ですが、そういえばアイラも5歳ですから、同年齢にしか分からない感覚というやつなのかもしれません。


「教材はしばらく、私の幼少期のものと同じものを用意します。侍女の扱いですが、学園に行く7歳までは3人の使用人をつけますから、分からない時はその方々を上司として学んでくださいませ」


「承知いたしました」


 (3人の使用人!?男爵家の令嬢ごときに使う食費と人件費いくらだよ!)ユアンは驚きました。それは、男爵家にいるよりもよほど恵まれた暮らしと教育でしたから。


 (公爵家の財力やべー!何回食事できるんだ?)流石にユアンでも、毎日の食費換算が厳しい規模の財力です。


 (覚えたことで後々飯を食うタネになったらいいし、最高の環境だな)とりあえず今後食べていけるかいけないか、それが大事なことです。


 そのため、食事さえ保証されれば、ユアンは何にでも耐えられました。ご飯を食べられるうちは、気合いがあればどんなことでもやれるのです。


 大抵の貴族……どころか普通の一般庶民すら、そんな考え方ではありませんが、何故かユアンはそう思っていました。


 学ぶことでご飯まで食べられるだなんて、一石二鳥なのです。


 習得に耐え得る忍耐力は、元から充分ありました。


 食に執着する考え方は勿論のこと、川の水底で何分間も息を止めてみようという謎の耐久実験を5歳で独自に行うほどの我慢強さです。


 アイラの見る目は確かでした。


「ユアン様。申し訳ないですが、私の侍女である以上、屋敷内ではあなたのことを、ユアン、と呼ばなくてはなりません」


「はい」


 ユアンは頷きました。


 (呼び方なんて別にどうだっていいけどな)と思いましたが。(最悪、そこの女、と呼びかけられたっていい。なんなら、そこの男、でも、いいな。相手が分かるなら呼び方なんてただの記号だし)


 ユアンは、父親に連れられて行った鍛冶屋を思い出していました。そこの鍛冶屋の主人はユアンを見て、


「元気そうな坊主だな!」


と言ったのです。ユアンは、その時も特に気にはなりませんでした。


「そこは、構いません、と言うのですよ」


「構いません」


「ですが、学園に入れば同じ貴族で同級生となります。学園への入学もこちらで手配しますが、学園内では私の侍女でもあり、同級生でもありますから、ユアン様、に戻させていただきますね」


「承知いたしました」


 ユアンは頷きました。それを見たアイラはにっこりと笑いました。(本当に素直で可愛い子ですわ……!)


 まあ、内心はだいぶ色々とズレていたのですが。




 その後、身体を磨かれ、髪を整え、侍女の衣装をきちんと着たユアンは、凛とした貴族子息に見紛うほどでした。


 いや、侍女の衣装なのに貴族子息というのは何かが違うのですが、それもユアンが中性的すぎたからでしょう。


 侍女衣装はシンプルなメイド服です。つまりはスカート。執事衣装はズボンですから、明らかに女性用の衣装でした。


 なのに視界の錯覚なのか、皆の妄想が逞しすぎるのか、貴族子息に見えてしまう不思議。まるで騙し絵です。


 皆一様にほうっと息を飲みました。


 (これはどこかの異国の王子様の女装か……?)と、一部の者たちが思ったのも仕方のないことでしょう。


 いや、そんなことを言うとその想像上の異国の王子様に不敬なのかもしれませんが。


 (ふくよかなのに……なぜ高貴な生まれに見えるのでしょう?)


 そうです。その想像上の異国の王子様もふくよかだということになってしまいます。


 (骨太そうな骨格でしょうか?偉そうな態度?それとも、姿勢ですか?どうしてこんなにも男児に見えるのでしょう?)と、更にごく少数の一部の者たちは思いましたが、誰も何も言いませんでした。


 実際、骨太なわけではなくふくよかなのですが。


「あら素敵。やはり私の目に狂いはなかったですわね」


 アイラは自身のことでもないのに胸を張りました。




 侍女の仕事、というか教育は、なかなか忙しいものでした。


「これがユアンのスケジュールです。大まかに書いてありますし、無理のない範囲で構いません」


 ユアンは、アイラに渡された紙を見ました。


「太陽が昇るより前から起き、身支度を整えてその日のスケジュールを確認して……。屋敷の掃除や数々の手配を行い、朝食の用意や配膳をし、合間に朝食を食べ、その後はアイラ様の午前授業に付き合い、終わると昼食の用意や配膳に参加する。これが午前の予定ですね」


 「最初は出来ることだけでも構いませんわ」


 「それからアイラ様の午後の授業に付き合い、終わると夕食の用意・配膳、その後自身の学習をして、夜更けに眠る……。分かりました」


 (公爵家の使用人って野生動物並みの生活してんだな?)とユアンは思っていたのですが、口には出しませんでした。


 (ま、人間も動物だしな)と思ったのです。


 それに、(つまり、出来るのならやれ、おまえにはこの程度も出来ないのか?ってことだよな)とも思っていましたから。


 ついでに、(公爵家で1日どれぐらい動き続けても倒れないかを試す耐久実験か?)と思ったので、彼女はその後もなかなかへばりませんでした。


 (ユアンって子はなかなか頑張りますね。身長が低すぎてただの足手纏いになるかと思っていましたが、高い所の物も脚立を持ってきて自力でなんとかしているようですし)


 公爵家の使用人たちは、数日でユアンへの考えを改めました。タダ飯食らいが増えたかと思いきや、案外そうでもありません。


 (優秀なアイラ様が教えているからでしょうか?)


 使用人たちは首を傾げました。屋敷の仕事はユアンに着いた3人の使用人は特段の引き継ぎもなく思い思いに教えていましたから、ユアンがやれるようになっている事を誰が教えたかについては、正しく把握していませんでした。


 侍女の仕事は経験学習に依るところが大きいためです。


 (アイラ様ほどではないですし、これぐらいが普通なのかもしれませんね)


 公爵家の屋敷の中では、2人のせいで、普通の幼児の感覚が少々ズレてきていました。


 親から引き離された翌日から、アイラの教育に加え、仕事まで学んでいるユアンは明らかに働きすぎだったのですが……。


 アイラでさえ、授業の前後はゆっくりする時間がありました。


 それに、元からの性質によるのか、新しい知識が好きなのか、ユアンは仕事後毎日律儀に、その日授業で分からなかったことの復習や、その他の幼児教育を、監視もなしにきちんと1人で自主学習していました。


 (次は客室の掃除を教えてあげませんと……)


 教育係の使用人たちは、次に何を教えるかについて考えていました。


 人間は皆、無自覚な正常性バイアスに陥りがちですが、中でも教育虐待には気付きにくいことがあります。


 アイラにスケジューリングされてるとはいえ、自身の言動を全て自制できる幼児は滅多にいません。


 いえ、冷静に考えると、そもそも、自身の言動を自制できる人間でさえ、そこまで多くはないのです。


 アイラは別として。


 


「ユアン、大変ではないかしら?お休みの日などが欲しかったら遠慮なく言うのですよ。多少の息抜きは必要ですわ」


 ある日、マナーの授業でお茶会の実践練習をしていたアイラは、同様に学ぶため目の前に座っていたユアンに言いました。


「アイラ様、ご心配ありがとうございます。食事がいただけますから、大変なことはありません」


 お菓子を目の前にニコニコのユアン。


 (今日は私が好きなタルトケーキ……!授業最高!公爵家最高!)


 ユアン本人も、目の前のお菓子に夢中で、自身の耐久力の異常さには全く気付いていませんでした。


「あら、良かったですわ。本日の菓子は料理長が森の木の実を食べるリスをイメージした、ナッツを豊富に使った食感を楽しめるタルトケーキですの。是非少しだけでも召し上がってくださいな」


 幼児とはいえ賢いアイラだけは、(ユアン様って……もしかしてかなり優秀なのではないでしょうか?私、もしかしてすごい原石を見つけてしまったのではないかしら?)と思い始めていましたが。


「流石は公爵家の料理人ですね。お言葉に甘えて……」


 少しどころではなく全てお腹に納めそうな勢いの大リス……ではない幼児の琥珀色の眼は輝かんばかりです。


 (教育が過負荷か適切かは難しいところがあるそうですけれど、ユアン様の限界がまだ見えませんわ)


 アイラも間違いなく自由時間に過負荷な自己学習をしていそうでした。


「それならいいのですけれど……。ユアンには時々街の買い物へも付き合っていただくことがありますけれど、ユアンは自身で買い物に行きたいなど言い出さないものですから、心配ですわ」


「欲しいものがないですから」


「ユアンは本当に何も欲しがりませんわね」


 (ユアン様は何をご褒美にあげたら喜ぶのでしょう?)アイラは困っていました。


 ユアンは何も欲しがらないのです。


 (普通の幼児とは一体何を欲しがるのでしょうか)アイラが困ったのも仕方ありません。アイラもユアンも、個人的な物欲が極端に低いのですから。


 アイラ自身も、必要な物以外を欲しいとはあまり思えないのでは、幼児が欲しい物など検討もつきません。


「あ!お菓子をまたください」


 ユアンが、(大事なことを忘れてた!)とばかりに慌てて付け加えました。


「分かりましたわ」


 アイラはクスッと微笑みました。


 すかさず、一緒の席に着いていたマナーの教師がユアンに指摘しました。


「ユアン、アイラ様と違って本音が出ていましてよ。それに、『くださいませ』のようにもう少し丁寧な発言をお心がけなさいませ」


 早速注意を受けたユアン。


「欲しいものはお菓子でございます」


 きちんと修正しました。本音を言ってしまうところ以外は。


 (ご褒美はこれからもお菓子のままでいいかしら……。目を輝かせて喜んでくれますもの。誰にも見られていないおつもりなのか、お菓子を貰えた後は時々スキップもしているようですし……)アイラはもう分かっていました。


 ユアンは食べるのが好きなのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ