13 . 好意は直球で伝えること
扉が控えめにノックされた。
「入るよ」
レオン殿下の声と共に扉が開いた。
その隣に寄り添うのは聖女アリア。
二人はルナリアの意識が戻っているのを見て驚きの声を上げた。
「ルナリア!」
レオン殿下がベッドに駆け寄った。
瞳に安堵の色が浮かぶ。
「よかった…本当に…」
「体調はどうですか?」
ルナリアはゆっくりと上体を起こそうとした。
セオドアが慌てて支えようとするが、彼女は手で制止した。
「大事ありません」
震える声で答える。
レオン殿下が腰を浮かせた。
「何か欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」
猫なで声のように甘い響きの声音に違和感を感じたのは、セオドアだけではなかった。
ルナリアの出立式では、王族としての義務感だけで式典を終え、その前もルナリアに対して直接の好意を見せたことがなく、むしろルナリアの方がレオン殿下を…と考えて、セオドアは思考を停止させた。
アリアは、レオン殿下の変わりように、気味の悪さのようなものを感じていた。
溶けた蜂蜜のような甘い声だが、どこかに仄暗い感情を読み取っていた。
女性だから感じるのだろうか、危険信号に無意識に反応し、一歩後退る。
「ご厚意に感謝いたします」
その異様さに気づいていないのか、ルナリアは淡々と返答した。
「…セオドア」
レオン殿下の声が突然厳しくなる。
「ルナリアが意識を取り戻したなら、なぜ即座に報告しなかった」
「申し訳ありません」
視線を床に落としたまま、セオドアが低く答えた。
「個人的な事情があり…」
「その個人的な事情は、ルナリアの体調をおしてでも、優先すべきだったのかな?彼女は重篤患者なんだぞ!」
一触即発の空気が漂う。
レオン殿下の額に青筋が浮かび、セオドアを睨みつけている。
そこにいつもの『完璧な王子』と讃えられた姿はない。
アリアが怯えたようにレオンに、恐る恐る声をかける。
「で、殿下…」
「安心してほしい、ルナリア。私が医務官を呼んだからね。湯浴みの準備も整えさせた。必要な薬があれば即座に取り寄せよう。それから聖女に治療術をかけてもらおう」
「殿下、ルナリア様に容態の説明を…」
そうだった、とレオンは不自然ににこやかにアリアを促した。
「ルナリア様、治癒術を使い続けたのですが、傷は深すぎました」
アリアは震える手を押さえつけるように両手を祈りの形で握りしめ、罪悪感でルナリアを直視できず、うつむいた。
「私の力では、完全に癒すことは…」
「どの程度残る?」
セオドアの声は鋼のように硬かった。
アリアは唇を噛んだ。
「状態は安定しています。ただ…背中に痕が残ります。傷の深さが、私の力の及ぶ範囲を超えていたのです」
レオンが慰めるように言った。
「完治しなくても名誉の勲章だ。王国史上最年少の英雄なのだから」
「英雄…」
ルナリアはかすかに笑った。
「そうですか。名誉の勲章ですか」
「ああ」
レオンは優雅に膝をつき、彼女の手を取った。
「君の勇気と献身は王国中が称えるだろう」
最前線で命を懸けた少女。
英雄として讃えられる一方、女性としては死んだも同然だった。
ましてや背中に火傷痕など、本妻として娶りたがるものがいるだろうか。
(私以外)
「ルナリア」
レオンの声が突然変わった。
「殿下?」
彼女は戸惑いに目を見開いた。
「ずっと考えていた。君ほどの人物は他にいない。知性も勇気も美しさも全て兼ね備えている」
セオドアの呼吸が止まった。
「殿下は…何を?」
彼の声はかすれていた。
しかしレオンは視線を逸らさない。
ルナリアの手を強く握りしめ、離さない。
「結婚してくれ。誰よりも君を愛し、幸せにすると誓う」
ルナリアの瞳孔が縮んだ。
マリアの小さな驚き声が聞こえる。
「レオン、殿下?冗談は」
「冗談ではない。君は王国を救った英雄だ。ウィルブライト家出身で血筋も申し分ない。何より」
レオンは傷に触らないよう、優しくルナリアを抱きしめる。
「もう戦場に出さない。私の隣で安全に暮らしてほしい」
「陛下!」
セオドアが声を荒げた。
「彼女はまだ病人で!」
「セオドア」
レオンは鋭く制した。
「お前が言えたことか?」
セオドアの拳が震えた。
(俺のために負った傷なのに)
ルナリアの困惑した眼差しがセオドアに向けられる。
警戒したようなレオン殿下の視線を無視し、
「いいや、待ってください!俺が!俺が責任を取ります!ルナリアが傷ついたのは俺のせいだ。だから責任は俺が取る」
レオンの眉が跳ね上がった。
そして嘲笑するように、
「責任だって?」
「あの日お前を守ると誓った。命をかけて。そして…」
セオドアは息を整えた。
「結婚するのは俺だ」
「セオドア様?」
アリアは小さな声で問うた。
その瞬間、アリアは初めて気づいた。
自分の立ち位置を。
(セオドア様は、私ではなく…)
聖女の青ざめた顔を横目で見ながら、セオドアは続ける。
「ルナリア。俺を選んでくれ。俺は」
レオンの冷笑が割り込んできた。
「責任?約束?そんなものでルナリアを縛ろうとするな。セオドア、お前は傲慢にも勘違いしている。そんな義務や義理で結婚した人間たちが何人何十人何百人と不幸になってるのが見えてないのか?貴族社会で生きてきて、なんてお幸せなんだろう。ねえ、ルナリア。セオドアは君を幸せにしないよ。君を縛り付けて、地獄に共に落ちろと言うのだから」
レオンの声は意外なほど静かだった。
「愛しているも言えないのか、愚か者」
その言葉にアリアがついに声を失った。
ずっと信じていた。
聖女への崇敬は愛情に似ていると。
(セオドア様の本当の気持ちは、彼女にあった…)
「愛してる?」
ルナリアは、レオンに抱きしめられて、表情が見えなかったが、戸惑っているようだった。
「そうだよ。私は君を愛している。もう、誰にも君を傷つけさせない。この国の王子として。一人の男として」
「俺も同じだ!」
セオドアが叫んだ。
「俺が守る!」
ルナリアは混乱していた。
「レオン殿下はアリア様と婚約したのでなかったの?」
それまで流暢だったレオンは思わず口ごもる。
ルナリアを引き止めるためにそう言っただけで、レオンはアリアと婚約する気はさらさらない。
どころか、ルナリアが自分を捨てていったと逆恨みにも近い感情で、ルナリアが戦場から戻ったら、婚約者として発表できるように、四方に手を回しまくっていた。
今では王国民ですら、若き英雄ルナリアがレオン殿下への愛のために竜退治へと向かい、傷を負いながらも帰還したと信じている。
その上、レオン殿下はどんな傷を負ったとしてもルナリアと結婚すると誓っていると、戯曲作成まで進んでいる。
レオンは何があっても、ルナリアの意思に反してでも、退路を潰していったのだ。
先に好意を伝え、自分を本気にさせたルナリアを愛しながらも憎しみにも似た執着心で絡め取ろうとしている。
そんな男を引き取るのは、アリアはごめんである。
「嫌です!」
思わず叫び、はっと口元を抑える。
嫌なのは一緒だが、アリアに拒否されたレオンは複雑な気持ちになった。
「いえ、違くて、私にはレオン殿下は荷が重すぎます」
「何も違くなくない?」
「ルナリア様、勘違いなさらないでください。確かに市井の間では、私とレオン殿下の婚約が噂されたこともありましたが、今では皆レオン殿下とルナリア様の婚約を喜ばれております」
必死に言い募るアリアに、戦場帰りのセオドアと目覚めたばかりのルナリアは、初耳の情報に驚く。
「そうだ、皆も祝福してくれている。ウィルブライト家も…婚約の許しを得た。だから、お願いだ、ルナリア、私を選んでくれ。君のような女性は他にいないんだ」
レオンの声は震えていた。
ルナリアがどんな反応をしようと、婚約は決定しているのに、拒絶を恐れ、震えている。
「私には君しかいない」
ルナリアの断罪を待ちながらも、レオンの思考は堕ちていく。
レオンは、セオドアが、潔癖で、正義感があり、騎士の才能もあり、強い人間だと知っている。
一方、地位と見てくれだけはいいレオンは、自分がみじめで愛されない、みっともない存在だと知っていた。
ルナリアがセオドアを好きになるのは当然だった。
だけど、セオドアはルナリアでなくてもいい。
アリアでも他の女でもセオドアは幸せな結婚生活を築くだろう。
だけど、レオンにはルナリアしかいない、ルナリアしかいらない。
必死さが違うのだ。
レオンの藻掻く様はみっともないだろう。
縋り付くような粘ついた好意は、重すぎて他者には抱えきれないだろう。
王子という地位も国への責任感も、レオンには何の価値も感じられない。
ルナリアがレオンを助けた時、ようやくレオンは生まれた意味をしり、生き続ける覚悟を持てたのだから。
レオンはセオドアとは真逆で、レオンとルナリアは似ていた。
ただ一点違うのは、ルナリアが諦めることを前提にしていたとすれば、レオンはみっともなくとも足掻き続けること選んだ。
二人の環境の違いが、この恋の結末を決めた。
「レオン殿下、わたくし、あなたが努力家であることを誰よりも知っています」
三人の目が一斉に彼女に向いた。
ルナリアは微笑んだ。
「毎晩遅くまで政務をこなし、民のために改革案を練り…」
「だから何だと言うんだ」
ルナリアの瞳が真っ直ぐに彼を捉えた。
「あなたが夜中に城壁の修復指示書を仕上げたのをわたくしは知っています。筆跡であなただとわかりました」
アリアとセオドアが驚いた顔でルナリアを見つめている。
ルナリアは微笑み、月光に照らされた頬がほんのりと赤みを帯びていた。
ルナリアの声は優しく、しかし芯のある響きを持っていた。
沈黙の後、セオドアが小さく息を吸う。
セオドアは目を伏せたまま、拳を握りしめていた。
「学園祭の準備で夜遅くまで残っている姿、食堂の裏口で生徒たちに混じってパンを食べる姿、図書室で誰にも気づかれずに古い文献を修復する手つき…」
ルナリアは続ける。
「雨の日に孤児院に届けられた匿名の寄付金、病院に運ばれた負傷兵への密かな訪問、貧しい地区への食糧配給計画…」
レオンは言葉を失っていた。
ルナリアがここまで自分を見ていてくれていたこと。
自分の頑張りを認めてくれていたことに、驚きと喜びと期待を抱いてしまう。
見つめ合い、二人の世界に入り込むレオンとルナリアに、アリアはドン引きしていた。
レオン殿下を把握しすぎである。
言ってることがおかしいと思わないのか、相手は王族で護衛もいたはずである。
これが他国のスパイであったら、と国の行く末が心配になったし、割れ蓋に閉じ蓋とも思った。
セオドアは静かに、レオンとルナリアの間に流れる空気を見つめていた。
二人の距離が徐々に縮まっていくのを目の当たりにしながら、胸の奥に広がる喪失感と寂しさの入り混じった感情に気づく。
(そうか、もう俺の出番はないのか)
ルナリアとの出会いを思い出す。
出会ったのはセオドアが先だったのに、おそらく自分たちは自覚のないままに両想いだったのに、今はこんなにも離れてしまった。
(失恋したのか)
ルナリアへの劣等感で冷たくしてしまった日々。
アリアへの憧憬を恋だと勘違いし、アリアに幼い頃のルナリアの影を重ね見ていた愚かな自分。
一直線に想い続けることができていれば、目先のことに惑わされず、ルナリアの本質を見失わなければ。
振り返れば後悔ばかりだった。
セオドアはルナリアを失いかけて知った自分の想いと、両家の確執に翻弄された初恋を静かに心の中に沈めていく。
「殿下のこと、ずっと、ずっと見ていたんです」
セオドアに強くなった自分を認められなかった時も、首席をとっても家族から死を願われた時も、周囲から陰口を叩かれ遠巻きにされた時も。
レオン殿下だけがルナリアを認め、努力を褒め称えてくれたから。
ルナリアもレオン殿下の努力と生き様に気付いたのだ。
「だって、わたくし、レオン殿下が大好きですもの!!」




