イレーネのお支度
ミセス・フロリナが嬉しそうにドレスを選んでくれました。
クリスタルホテルの衣装室で、イレーネとミセス・フロリナは何着もドレスを試着してみた。
イレーネはミセス・フロリナのためにあれもこれもとドレスを選ぶ。
ミセス・フロリナはイレーネのような10代の若々しさこそないが、抜群のスタイルで気品もあった。
それなりの衣装をまとえばまるで貴婦人のようだ。
「すごく似合うね、とてもきれい」
イレーネが思わず声を上げる。
鏡に映る自分を見て、恥ずかしくもあり、そして嬉しくもあるミセス・フロリナ。
イレーネも頭の中からこぼれ落ちるくらいたくさんの「懸念事項」をしばし忘れ、楽しんでいた。
「さあ、そろそろ本気でお衣装を選びましょうか」
ドレスを脱ぎ、仕事用のスーツ姿に戻ったミセス・フロリナがイレーネに言う。
そうね、と言う顔でイレーネが改めて鏡の前に立つ。
候補はミセス・フロリナが厳選した3着だ。
その時、背後で
「あら、ここは個室ではないのね」
と声がした。
見ると、ひとりのご令嬢が数人の召使を従えて衣装室に入ってきたところだった。
ここクリスタルホテルの衣装室は、大きな部屋に壁沿いにドレスが並び、その向かい側が着替えスペースとなっている。
着替えスペースはそれぞれ鏡があり区切られてはいるが、完全な個室にはなっていない。
そのご令嬢がイレーネの隣にやってきた。
「ここ、失礼するわ」
そう言いながら。
イレーネもここは共同で使用するのだと知り驚いていた。
王宮の衣裳部屋はここよりも広く衣装の数もけた違いだ。しかもそのすべてはイレーネ王女専用、
部屋そのものが王女だけのものだった。
それから続いて数人の身なりの良い少女や婦人がやってきた。
皆召使が同行している。
「みなさん、ここ北の国の上級国民の方々です。氷の王宮でのフィリップ殿下の誕生日会に招待されているようですね」
とミセス・フロリナ。
静かだった衣装室が一気に活気を帯びていた。
皆一斉に身支度を始める。
髪をまとめるローションの匂い、そしてお化粧品の匂い、身に着ける香水の香り、
色々なにおいが混ざる。
イレーネの元にホテル専属の衣装係がやってきていた。
ミセス・フロリナと共にイレーネの身支度をする。
「まあ、ホテルの方にお手伝いいただいているのね。お付きの者はいないのかしら」
その様子を見たお隣の令嬢が少々見下して言った。
そのご令嬢には5人の召使が付き添っていた。
「ねえ、この紺色とくすんだピンク、このどちらかがいいと思うんだけどどっちがいい?」
そんな言葉には耳もかさずイレーネは2着のドレスを持ち鏡を見ていた。
「わたくしは紺色がお勧めですよ。とてもお似合いになります。気品があって気高くて」
とミセス・フロリナが声を高くして言った。
ミセス・フロリナにはイレーネがどこかの王女だとわかっていた。
それをあえて言わないのは、イレーネが自分が王女であると公にしないからだ。
言わないのには何か理由でもあるのだろう。
氷の王宮へ出向くイレーネの衣装は、濃紺のオーソドックスなロングのドレス、そして結い上げた髪には生花でアレンジする。
「ねえ、ミセス・フロリナ、これを下に着ておきたいんだけど」
とイレーネ。
それは、ランニングとスパッツだった。
まるでトレーニングでもするような格好だ。
イレーネが何故そんなことを望んでいるのか、ミセス・フロリナにはわかりかねたが言う通りに、
ドレスの下に着こんだ。
「まあ、ドレスの下にそんなものお召しになって、ドレスを脱いだらすぐに労働でもできそうですわね」
とお隣から声がする。
さきほどからイレーネの動向をずっと見ている、このご令嬢。
ミセス・フロリナは内心ムッとして、イレーネの本性、ミセス・フロリナが分かっている本性、だから王女であるということだけだが、を大声で言い放ちたい気分になっていた。
しかし、イレーネはやはり何を言われても動じる様子もない。
ご令嬢の少々嫌味な言葉が聞こえているはずなのに。
当のイレーネはと言うと、先ほどからのこのご令嬢の様々な言葉が自分に向けられている、と思っていなかったのだ。
同年代の子にあからさまに「対抗意識」を持たれるような発言を、まともにされたことがなかったからだ。
イレーネの身支度はそろそろ準備完了だ。
ミセス・フロリナが満足げに鏡に映るイレーネを見る。
「さあ、いかがでしょう。ここから氷の王宮へはジャン・ジール様がご同行なさいます。ジャン・ジール様のご依頼で馬車の準備も出来ておりますよ」
とミセス・フロリナ。
「その前に一度部屋に戻っていいかしら」
そう言いながらイレーネがその場を離れようとした。
隣の令嬢の準備をしていた召使たちが、横を通り抜けようとしたイレーネに一斉に膝をおって首を垂れた。
「あなたたち、何を」
令嬢が召使を、それからイレーネを見る。
その立ち姿、歩く姿、どこから見ても平民ではない。
王女の風格だ。
「あなたは」
そう言う令嬢をちらりと見てほほ笑むイレーネ。
その姿に思わず頭を下げる令嬢、それだけの威圧感があったのだ。
他に身支度をしていた令嬢やご婦人方も立ち上がり、退出するイレーネに礼をする。
もちろん侍女たちはひざまずき、頭を下げていた。
「あれ、誰なの?」
とひそひそ話す声がしていた。
「私のことが分かる人はいないようね」
部屋に戻ったイレーネが一人言う。
あの場にいた、ここ北の国の上級国民誰も自分の正体がわからないらしい。
強い興味がない、ということだ。
「なんかイレーネ王女って人気ないみたいじゃん」
と少しがっかりしたのだが、
「まあ、その方が都合がいいんだけどね」
と思い直した。
この先、氷の王宮でおこることそれを思うと、周囲が自分が誰だかわからない方がいい。
部屋に戻ったイレーネ自分のバッグを持ち、聖剣フリージアを胸元に忍ばせた。
何かあった時のために。
「さあ、氷の王宮へ」
自分に言い聞かせるように言うと、イレーネはジャン・ジールの待つ馬車乗りへと向かった
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