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28 謁見

 アマンダ市中心部に鎮座する王宮は、レンガ造りの壮麗な建物だった。三層の長大な城館のいたるところから巨大な蝋燭のような塔が突き出し、そのまるっこい屋根に張り付けられたタイルが、注ぐ陽光を反射してまぶしく輝いていた。


 長い回廊からは広大な庭園を望むことができる。土の壁と土の地面でできた、殺風景な庭園だった。張り巡らされた水路にはわずかばかりの水が、糸を引くような細さで光を散らしながら流れていた。ところどころにある低い植え込みに咲く赤い花は、いったい何という名だろうか。


 その王宮の奥深くにある玉座の間で、ヒエイ一行はメルラに従って王と面会した。

 高いアーチ状の天井を見上げながら、ヒエイは王都ルシフェルの教会の礼拝堂を思い出していた。礼拝堂よりも広い。そして開放的だ。各所にあけ放たれた大きな窓からは、乾燥したあたたかい風が吹き込んでくる。そして今彼らがひざまずいている対象は、天使の像ではなく、アタナミの王である。


「アタナミ国の王におかれましては、ご機嫌麗しく。フレイア王国よりの使者、メルラ姫にございます。この度は王に提案したき議がございまして、参上仕りました」


 並んで膝をつくヒエイ、アトラス、ハザムの一歩前で、メルラが仰々しく口上を述べている。もちろん彼女も床に両膝をついている。ハザムによるとこれがアタナミのスタイルらしい。いずれにせよ、あのメルラが誰かに対して礼節を示している姿なんて初めて見たな、とヒエイは感心する。


(新鮮だな。フレイアでは王の玉座より高い位置に立って、みんなを見下ろしていたメルラが、人に頭を下げているよ)


 ヒエイのささやきに、隣で頭を垂れていたアトラスも同調する。


(ああ。いつも偉っそうに上から人を睥睨してやがったからな。いい気味だ。このしおらしい姿をみんなにも見せてやりたいぜ)

(おいおいふたりとも。何のことか知らんが、悪口はやめとけ。聞こえるぞ)


 ハザムが忍び笑いを漏らすふたりを注意したところで、前のメルラから声がかかった。


「通訳を」


 声がどことなく低くて鋭い。

 ひょっとして、聞かれていたか。声をかけられたハザムだけでなくヒエイとアトラスもその呼びかけに思わず背筋をのばした。


「はっ。ただいま! ……ええっと、わが国フレイアは貴国とよしみを通じることを望み……」


 ハザムがしどろもどろに、メルラが今まで述べていたことを訳していく。フレイアには豊富な水資源があり薬草などの産物に恵まれていること。国としてアタナミとの交易を望んでいること。それはお互いに利益が見込めること……。


 玉座……というか、大きなソファにふんぞり返っていた王は、ハザムの言葉にいちいち鷹揚にうなずいていた。恰幅のいい中年の男だ。白いターバンを頭に巻き、白い上衣を身にまとっている。ただしターバンにも上衣にも金の刺繡が所狭しとほどこされ、大きなダイヤや宝石のついた飾りを幾重にも身に着けているところが、富貴な身分を誇示しているようだった。彼の左右には女官だろうか、何人もの若い女の人が侍っている。ある者は大きなヤシの葉で王を仰ぎ、ある者は水差しを持って待機している、彼女らの格好は驚いたことにアンジュを怒らせた踊り子衣装だ。


 アタナミの王は、ハザムが話し終わるとまたひとつ大きくうなずいた。しかし次の言葉を発しない。何かを待っているようであったが誰も動こうとはせず、困惑気な表情が左右の女官たちに広がっていく。やがてしばしの沈黙のあと、ようやく王がおもむろに口を開いた。


「そなたらの望みはわかった。ところで……そなたらは、手ぶらなのか」


     〇


 王から問われて、まずはじめに反応したのはハザムだ。彼はハッとはじかれたように顔をあげると、前に膝まづいているメルラを小声で急き立てた。


「はやく貢物を出してよ」

「貢物?」


 振り返ったメルラは首をかしげながらハザムを見る。何を言われたのか理解できないといった風に。

 唖然とメルラの視線を浴びていたハザムの顔が、次第に青ざめていった。


「あんたら。貢物も持ってこなかったのか」

「そんな習慣は、フレイアにはないもので」


 しれっと答えるメルラに、ヒエイとアトラスも同調する。


「知らないね、そんな習慣」

「なんで貢物なんてしなくてはならないんだ」

「いやいや。アタナミでは常識だよ。お願い事をするのに手ぶらで来るとかありえん」


 ハザムは開いた口が塞がらないといった様子だ。実際口を開けてしばらくこの外国からの使者を眺めた後、やがて観念したようによろよろとその場に平伏した。

 額を床にこすりつけるようにしながら、ハザムが王に何か語り始めた。どうやら謝罪しているらしい。王は玉座に頬杖を突きながらその言葉をしばらく聞いていたが、やがて「もうよい」とハザムの弁を止めた。


「そなたらの事情は分かった。しかし、貢物がないというわけではないな」


 そう言ったのは、王ではなかった。彼の右側に控える女のひとりが前に進み出て、ヒエイたちを睥睨する。

 ハザムが顔をあげ、不審そうに眉をひそめた。メルラも、ヒエイとアトラスも、首をかしげながら女を注視した。その発言の真意を確かめるように。


「よすのだ。メドよ」


 困惑げな王の隣で、メドと呼ばれた女はニヤリと頬をゆがませた。その目じりがいやらしく垂れさがっている。好色そうな、嫌な笑い方だった。


「よい貢物が、そこにいるではないですか。あの女を私に下さい王様」


 そう言って、女は手にした扇子でメルラを指した。いやらしい視線でメルラの身体をなめるように見つめ、舌なめずりをする。


「そなた。王の後宮に入れ。この第三夫人メドの下僕にしてやるぞ」


 今度はヒエイとアトラスが唖然とする番だった。

 ヒエイは思わず立ち上がろうとする。やめたほうがいいですよ王様。こいつを傍に置くのは危険です。っていうか今まさにあなたの命が危ないかも。……と、アタナミ王の身を案じたつもりだったのだが、その肩をアトラスに抑えられてしまった。


(いいじゃねえか。これは好都合だ。いっそこいつはアタナミの王様に面倒をみてもらおうぜ)

(いや。駄目だよアトラス。外国の王室に迷惑をかけるわけには……)

(おいおい、ふたりとも。このお姉ちゃんの心配はしてやらないのかよ)


 小声で言葉を交わす三人。そのやりとりをぶった切るようにメルラが静かに声を放った。


「恐れながら」


 氷をはじいたようなよく通る声。その場の空気がピンと張り詰める。


「アタナミの王よ。あなたの後宮には入りません」


 きっぱりとそう言って、メルラは立ち上がった。

 王の左右に侍る女官や廷臣たちが一斉に眉を逆立てる。「無礼であろう」と声をあげる者もいる。広間の各所に立っていた衛兵たちが駆けつけて王を守るように立ちはだかり、銃を構える。しかしメルラは動じない。ヒエイの位置からはメルラの表情はわからない。しかしその後ろ姿から怒りが冷気のように立ち上っているように、ヒエイは感じた。


「交渉はこれまでのようですね。帰らせていただきます」


 メルラの足元から霧が湧いた。その霧は瞬く間に膨れ上がり、広間の空間を白く染め上げる。王も、左右の女官たちも廷臣も、衛兵たちも、皆濃密な霧に飲み込まれてどこにいるのかもわからない。


「いきますよ」


 突然霧の中から声をかけられると同時に手をつかまれて、ヒエイは思わず息をのんだ。


「ここにはもう用はありません」

「メルラか」

「呼び捨てとは無礼ですね。他に誰がいるというのです」


 言葉とともにぐいぐい手を引っ張られる。その声は間違いなくメルラのものであり、そうであるからには自分を掴んでいる手もまた彼女のそれであるはずだったが、ヒエイにはどうにもその実感がわかなかった。


「待ってくれ。アトラスとハザムが……」

「大丈夫です。彼らも導きますから。さあ、行きますよ」


 そういえば、メルラの身体に触れるのは初めてのことだな。

 霧の中をメルラに手を引かれながら進みつつ、ヒエイは思う。

 フレイアの王宮では散々冷たくあしらわれた。王都脱出の際は危うく殺されかけた。その術の恐ろしさも、肌にまとわりついた水の冷たさもよく覚えている。もっと硬くて、湿っていて、冷たいものだと思っていた。でもメルラのその手は、彼が思ってもいなかったほどに、温かく柔らかかった。まるで本当の少女のそれのように。


     〇


 霧が薄まり視界が開けると、そこはもう、来るときに通ってきた城門の近くだった。

 ヒエイは振り返って嘆息する。宮殿のあると思われる広大な空間はすっぽりと霧に飲み込まれ、塔の先端がかろうじて見えるばかりだ。自分たちが玉座の間にいたのはついさっきなのに。こんな短時間でこれほど広範囲に術を発生させるなんて、改めてメルラの能力に畏敬の念を感じる。


「わかってはいたけど、すごいな」

「見直しましたか?」


 笑みを含んだ声に振り向くと、メルラが目を細くしてヒエイのことを見ていた。ちょっと得意げな表情。この人はこんな表情もするのかと、ヒエイは思わずしげしげと見てしまう。気のせいだろうか、少し疲れをにじませているようにも見えた。まあ、何をするにも億劫そうな様子なのはいつものことなのだが。

 ヒエイに顔を覗き込まれてきまずくなったのか、メルラの視線が少しさがる。


「あの……」

「な……なんですか」

「手……。そろそろ離していただけませんか」


 その時になってようやく、ヒエイは自分がメルラの手を強く握りしめていることに気付いた。前後のわからぬ深い霧の中を導く唯一の手だ。はじめはその手に引っ張られていたものの、はぐれまいといつの間にかヒエイのほうから必死に縋り付いていた。霧の中では無我夢中で気にもしていなかったが、助かった今冷静に己の行為を振り返れば、恥ずかしさに居ても立っても居られない。

 ヒエイの全身からドッと汗が噴き出す。投げ出すようにメルラの手を離した彼は、首筋をぬぐいながらしどろもどろに言い訳を試みた。


「いや……違うんだ……。これはですね、実は、その……ええっと」

「何やってんだ、お前」


 背後から投げかけられた声はアトラスのそれだった。

 あきれ顔のアトラスに続いて、霧の中からハザムも姿を現した。


「ヒエイさんよ。イチャイチャするのは脱出してからにしてくれよ」

「ご、誤解だよ。それより良かったアトラス。ハザムも。無事で」

「ああ。お前さんの背中を必死で追ったからな。それよりはやくここから出ようぜ」


 アトラスの言葉にうなずいて、四人とも足を城門に向ける。

 その時だった。

 突然地面が揺れたかと思うと、巨大な壁が地響きとともに地面からせり上がり、ヒエイたちの行く手をふさいだ。


「な……なんだこれは」


 目の前にそびえたつ壁を唖然と見上げるうちに、右側にも左側にも同じような壁が出現し、気が付けば三方を高い壁に囲まれるかたちとなっていた。


「それは私の術で造った壁よ。簡単には壊れないわ」


 後方から声がして振り返ると、そこには大勢の兵隊が銃口をこちらに向けて立っていた。白い軍服は親衛隊のそれだ。彼らの真ん中に仁王立ちしているのは、あの王の第三夫人メドだった。


「あれで逃げ切れると思ったの? 甘いわね」


 彼女は追い詰めたネズミをいたぶる猫のように目を細くした。


「逃げられないわよ。この『大地の乙女』からはね」

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