27 誘拐犯
水が引いた泉の周辺には、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静寂がよみがえった。その場に残ったのはヒエイとアトラス、ハザムの三人だけだ。頭上ではヤシの葉がそよ風にゆれてサラサラとさざめき、泉の水面は何事もなかったかのように昼下がりの白い光を散らしていた。
「アンジュが……やられてしまった」
呆然としていたヒエイは我に返ると、水辺へ向かって駆けた。途中慌てすぎて転んだろころをアトラスとハザムに助け起こされ、三人頭を並べて泉の水面を覗き込む。
「アンジュー! おーい」
「大丈夫かあ。返事しろ」
口々に呼びかけるが返事はない。アンジュが浮かび上がってくる様子もない。水に映るのは三人の男のこわばった顔だけだった。
アンジュが死んだ。
そう、思いかけてしかし口にはできなかった。ヒエイもアトラスも信じなかった。あのアンジュに限って、そんなことになるとは思えなかったのだ。水に飲み込まれただけで、死ぬものかと。
「ごめん。俺のせいで……」
最初に泣き出したのはハザムだった。
「アンジュは俺をかばってやられたんだ。俺があんなドジを踏まなければ……」
ヒエイもアトラスも彼を責めなかった。アトラスが彼の肩に手を置いて優しく慰める。
「お前のせいじゃない。アンジュはそういうやつなんだ。これで分かったろ。ただの血も涙もない殺人鬼じゃないって」
「アトラス。言いすぎ。……それにしてもおかしい」
アトラスをたしなめたヒエイは顎に指をあてて首をかしげる。
「あの水の動き方。明らかに異様だった。自然現象じゃない」
「ああ、それは俺も思ったぜ。まるで誰かに操られているみたいだった」
「あれは、十中八九、魔法だな。水を操る魔法。あんなことができるのは……」
ふたりは黙り込んでお互い目を合わせる。あんなことができるのは、あいつしかいない。
その時だった。静かだった水面が再びざわめきだし、その一部が噴水のように盛り上がった。
三人は慌てて水辺から離れようとする。しかし今回水面に現れたのは巨大な手ではなく、等身大の人だった。水でできた、小柄な少女の人形。それはある人物にそっくりだとヒエイはすぐに気づく。髪の色や顔の青白さや瞳の深い水色が見えなくても分かった。その可憐な見た目に似合わぬ物憂げな表情は、忘れることができない。
『久しぶりですね』
水の人形が声を発する。
その声を聴いたとたん、ヒエイとアトラスは幽霊でも見たように目をむいた。
この落ち着きはらった冷たい声。やはり間違いない。あの天使の付き人メルラだ。
「でたな、この野郎。何しに来やがった」
「アンジュはどうした。どこにやった。無事なのか」
水の人形に食って掛かろうとする二人の顔に、水がパシャパシャとかけられた。
『落ち着きなさい。あの娘は無事です。他の兵隊さんたちは邪魔なので皆水の底に沈めましたがね』
「何が目的だ」
『あなたたちに用があります。娘を返してほしくば、王都のタリスマンホテルまで来なさい』
「用って、いったい……」
しかしヒエイの問いに答えることなく、言うことだけ言った水の人形は、用事は澄んだとばかりに泉の中へと沈んでいった。あとにはまた静寂と、水面上に浮かぶ物憂い光の粒だけが残った。
「……用って、なんだ。僕たちに何を要求するつもりだ」
「どうせフレイアに戻れというんだろ。それにしても、こんなところまで俺たちを追ってきたというのか。なんと執念深い……」
頭を抱えんばかりにして考え込むヒエイとアトラス。その二人を交互に見やっていたハザムが不安そうにたずねる。
「なんなんだあれは。そんなに、やばいやつなのか」
「ああ。俺たちの計画の前に立ちはだかる最大の障壁だ。怖えんだ、あの女」
「そう。僕の術なんて比じゃない」
ハザムがごくりと唾を飲み込む。
「でも……行くんだよね」
「ああ。当然だ」
そう言いながら、ヒエイとアトラスはもうラクダのほうへと歩き始めた。途中振り返るとハザムはまだ水辺に立ち尽くしている。金縛りにあったようにそこから動かない。みればその肩が小刻みに震えていた。
「危ないからハザムはここに残っていなさい。タリスマンホテルへの道筋だけ教えてくれ」
ヒエイが声をかけると、うつむいていたハザムは唇を噛み、両手を握りしめた。
「言葉もろくすっぽ通じないのに、どうやってホテルまでたどり着くんだよ」
震える声で言ってから、彼はヒエイたちに向かって駆けだす。駆けながら、ほとんど泣き出しそうに彼は叫んだ。
「俺も、連れて行ってくれよ」
〇
アタナミ国の王都アマンダは高い城壁に囲まれたオアシス都市だ。
赤茶けた土を固めて作った建物が、積み木のように折り重なった街。だが砂漠のように殺風景ではない。幅の広い路には街路樹のヤシの木が整然と生い茂り、その大きな葉の作る日陰を、大勢の人が行きかう。土壁の店々の店頭には食品や衣類やアクセサリーなどが所狭しと並べられ、色彩に満ち溢れている。その前に人々は常に行き来し立ち止まり、まるで祭りのようだ。街のところどころには公園が整備され、大きな泉から絶え間なく噴き出す水が陽光を散らして輝いていた。
そんな公園のなかでもひときわ大きな広場に向かい合って、タリスマンホテルはそびえたっていた。
ハザム曰くアマンダでも一二を争う高級ホテルであるというタリスマンホテルは、なるほどそれにふさわしい威容を備えていた。白く輝く三層の建物はお城のように大きく広い。これまた白を基調とした内装はシンプルだが広々としていて開放的で、しかも涼しかった。
メルラが滞在している部屋は、そんなホテルの最上階の隅のスイートルームだった。
「ようこそおいでくださいました。まあ、おかけなさい」
部屋に入ったヒエイたちに、メルラは相変わらずの物憂げな目を向けて声をかけた。ヒエイたちが警戒して動かずにいると、珍しくその頬にわずかに笑みを浮かべた。
「安心なさい。今日は、攻撃をするつもりはありません」
ためらいながらふかふかのソファに並んで座った三人の、前のローテーブルにカップを置き、そこに自らお茶を注いでゆく。
「この国にも、紅茶はあるのですね」
そう独り言を言って、自身は立ったまま窓辺に寄って紅茶をすすった。大きなアーチ型の窓から差し込む光が彼女の輪郭を白く縁取り、吹き込む涼しい風が金色の髪を穏やかにそよがせる。その様子は恐ろしい力を持った魔法使いなどではなく、普通の貴族のお嬢さんに見えた。
「アンジュを、返してもらいにきました」
ヒエイはお茶に口をつけずにメルラに語り掛けた。口調が思わず優しくなってしまったのは、彼女が本当の少女に見えてしまったからかもしれない。しかし返ってきた答えは、少女のそれではなかった。
「私の頼みをきいてくれたら、解放しましょう」
「どこに隠した」
「それを言うとでも?」
鼻で笑うメルラに、今度はアトラスが問いかける。
「断ったら」
「あの娘の命はありません」
こともなげに答えた、メルラの表情はやはり物憂げだ。何を考えているか容易には想像のつかない表情。しかしそれは、きっと同じ表情で簡単に人の命を奪うであろうことをヒエイに確信させずにはおかなかった。
少しの沈黙のあと、ヒエイは絞り出すように言った。
「何を、すればいい?」
メルラの頬がまた、少しだけほころんだ。
「ちょっと、私のお供として王宮についてきてほしいのです」
〇
なぜ王宮についていかなければならないのか、その理由をメルラは王宮へ向かう馬車の中で教えてくれた。
「実はアタナミ国と交易をおこないたくて、王に謁見しようと思うのです」
「交易?」
「そう。これをごらんなさい」
メルラが手をヒエイの前に突き出す。その白い掌の上には小さな石がのっていた。七色に輝く氷の結晶のような石。
「ダイヤだ」
ハザムが舌なめずりしそうな顔でメルラの手のひらを覗き込む。はじめは緊張していた彼も、相手の見た目が自分とそんなに年の変わらぬ女の子のそれであることから、すっかり普段の快活さを取り戻している。むしろアンジュといる時よりもリラックスしているみたいだ。
「たしかに。アタナミはダイヤを多く産出するからな」
「そう。一方フレイアには豊富な水資源と薬草などがある。交易すればお互い利があります」
「……徴用された奴隷が送られるのも、多くはダイヤの鉱山なんだ」
ハザムの表情が少し陰る。
「人も……その対象になるのかな」
その言葉をメルラは即座に否定した。
「まさか。人を売り買いするなんてとんでもないことです」
「そりゃあ、立派な心掛けだ。でも、なんでそれに俺たちがついていかなければならないんだ。まさか、あんたひとりで交渉するのが怖いわけじゃあるまい」
アトラスが茶化したように言うと、メルラはその大きな瞳を彼に向けた。睨むわけではないがどこか威圧感のあるその一瞥に、アトラスは気まずそうに黙り込む。
「私も最初はそのつもりでした。でも、ひとりで行ったら城門で門前払いされましたよ。この国は見た目で人を判断するのですね」
いつもの通りの落ち着いたしゃべり方だが、ちょっと声が低い。
ひょっとして怒っているのか?
しかしそれは無理もあるまい、とメルラの横顔を見ながらヒエイは思う。何せ見た目はただの少女だ。それがひとりでふらりと訪れても、冷やかしとしか思われまい。王宮の門番も、まさかこの女の子が強大な力をもつフレイアの天使の付き人とは思わなかったのだろう。
「そこで、あなたたちに同行をお願いしたのです」
メルラの杏仁型の目が今度はヒエイに向けられた。
「仰々しく三人のいかつい男を従えていれば、少しは信じてもらえるかもしれません。私自身も今回は少し着飾りましたし。華美な服装は好みませんが、それが国の使節として求められるのなら致し方ないです」
そう言うメルラの服装はたしかに華やかだ。今まで会ったときはいつも碧色のローブだったが、今は胸元のあいた薄桃色のドレスを着ている。しかも金色の首飾りをさげ、頭にはダイヤを散りばめたティアラをつけて。まるでお姫様みたいな格好だ。
「似合いますか?」
突然そんなことをきかれたので、ヒエイは心臓が飛び出しそうになった。彼を見つめるメルラの表情はアンジュ顔負けのポーカーフェイスで、その質問が冗談なのか本気なのかわからない。本音を言っていいものか、ヒエイは迷う。たしかに服装は似合ってはいるんだ。だけど、実はものすごく違和感がある。あの恐ろしい力を持った冷徹無比なメルラが、こんな可愛らしい格好をしているのだから。もうちょっとニッコリできないのか……などと言ったら、殺されるかもしれない。
ヒエイが返答に窮してあいまいにうなずいた時、馬車が止まった。
「では、行きましょうか」
ヒエイを動揺させた質問のことなど忘れたかのように、メルラが颯爽と馬車から降りた。
「皆の者。それぞれのキャラ設定は覚えていますね」
彼女に続いて降り立った三人は、振り返ったメルラにそれぞれうなずいてみせる。
「俺はアトラス改めクマ男。大使様の親衛隊長だ」
「おいらはハザム改めヘビ太郎。護衛兼通訳だ」
「僕はヒエイ改めポン吉。大使様の秘書官です」
役職はともかく、ネーミングにはおおいに異議がある。しかし言えない。そんなヒエイの内心になどかまうことなく、満足そうにメルラはうなずいて、身を城門のほうへとひるがえした。
「そう。そして私はフレイア国全権大使、メルラ姫である。皆の者、ついてまいれ」




