26 奴隷
その一団は、よくよく見れば異様な集団だった。
数頭のラクダにまたがっているのは、白い制服に身を包んだ軍人。どうやら親衛隊員のようだ。しかし大部分の徒歩の者はみなぼろきれをまとい、両手をしばられたうえに、さらに数珠つなぎにされていた。
「あれは、奴隷だよ」
教えてくれたのはハザムだ。彼は苦虫を嚙み潰したような表情で、苦しそうに言った。
「このアタナミ国では、税を納められない場合、代わりに人が奴隷として徴用されるんだ」
「金の代わりに、人が連れていかれるわけか。徴用された人は、どうなるんだい」
「いろいろさ。多くの人は鉱山で強制労働だ。見目麗しい者であれば宮殿の下働きに従事したりもする。いずれにせよ、そいつらはみんな、恩赦でもない限り一生自由にはならない」
四人の間に沈黙が流れる。なんだか息苦しくなってヒエイは空を見上げた。今日も良く晴れている。見渡す限りの青空。どんよりとしたフレイアの雨雲の下で、いつも見上げては夢見ていた、雲のない世界。だけど、そのあこがれた青空の下にあるのは、フレイアとは違う悲惨な現実だった。
灼熱の大地に風が流れ、砂が舞う。ヒエイの夢想や憧れを覆い隠すように。その砂ぼこりの中を、奴隷の一団は去っていく。
「さて。じゃあ、いくか」
アトラスがあくびをしながら促したので、ヒエイは応じて足を前に進めた。
しかしめざすオアシスのほうではなく、奴隷の一団に向けて。どちらが言い出したわけでもないのに、ふたりとも示し合わせたように。
「だめだよ」
そう言ってふたりを止めたのはアンジュだった。
「あんたたち、あの親衛隊をやっつけて奴隷の人たちを解放しようと思ってるんでしょ」
「分かってるんなら止めるなよ、アンジュ」
「そうだ。あんなの見過ごせるか」
ヒエイは振り返ってハザムを見る。少年の悲しそうなまなざしに思わず胸が痛くなる。それは毎日雨空を見上げていた自分のそれと同じであろうと思われたから。
しかしヒエイの前に立ちふさがったアンジュは、彼らを前に進ませようとはしなかった。
「あの何人かの親衛隊員をやっつけて、あの人たちの手の縄を解いて、そしてどうするっていうの。家に帰したところで、またすぐに彼らは連れていかれちゃう。彼らにはもういくところなんてないんだよ。それとも私たちが面倒みるっていうの」
ヒエイは返答に詰まる。アンジュの言うとおりだった。あれはこの国の制度なのだ。ひとつの集団を襲ったところで何の意味もない。
「でも……それでも」
なおもあきらめきれないヒエイ。そんな彼の顔をアンジュは強い瞳で見据えながら重ねて訴えた。
「私たちはこの国と喧嘩しに来たわけじゃないし、正義の味方でもない。こんな益のないことに首を突っ込んでその身を危険にさらさないで。お願い」
笑い声が上がったのはその時だった。ヒエイでもアンジュでも、アトラスでもない。振り返った三人の視線の先で笑っていたのはハザムだった。
一通り笑った後、急に真顔になったハザムは、アンジュを睨んで言った。
「あんたは、ヒエイやアトラスとは違うんだな」
「だからなんだい。文句でもあるのかい、坊や」
アンジュも負けじと睨み返す。
「私はこの二人のお人好しを守るのが役目なんだ。そのためならどんな卑怯なこともするし、残酷なこともする。あんたが裏切ったりするなら、容赦しないからね」
しばらく睨み合ったあと、ハザムは自嘲的に笑ってラクダの手綱を取った。
「文句なんかないよ。俺もアンジュが正しいと思う。あんな親衛隊になんかかまってないで先を急ごう」
そして目指すオアシスへと足を向ける。風がまた吹き、地表が砂で曇る。もう奴隷の一団の姿を見ることはできなかった。
〇
それからも砂漠の旅は淡々とつづいた。
新しく仲間に入った少年ハザムは、ヒエイたちに色々と協力してくれる、頼もしい存在だった。ヒエイたちは彼からアタナミの言葉や文化、そして銃についてなど、たくさんのことを教わった。おかげで簡単な会話ぐらいならできるようになった。フレイア語とアタナミ語は、単語の発音などは違うが文法が似ていて、意外と習得しやすかった。
ただこの砂漠の少年は、あのアンジュとのやりとり以来、物思いにふけったり考え込んだりしていることが多くなったように見えた。もともとそういう少年かもしれなかったし、そもそもこの過酷な砂漠の旅では基本無口にならざるを得ない。だからそれが彼にとって何か心情の変化を表しているのかヒエイにはわからなかった。
分かることはひとつ。それはあきらかにハザムとアンジュの間が険悪なムードだということだ。もともとアンジュは不愛想でハザムにも厳しい態度だったが、ハザムもまた彼女のそれが移ったかのように、アンジュに対しては不貞腐れた態度をとるようになった。
もっとも、アンジュは別にそんなことは気にしてはいない。ハザムの態度の変化などどこ吹く風で、黙々とラクダを操り、食事をし、銃の鍛錬にいそしむ。まるでハザムの存在などみえていないかのように。
「どうしてヒエイたちは、あんな女と仲間になったの」
そうハザムがヒエイに言葉をかけてきたのは、いくつかのオアシスを過ぎて王都にもあと数日とせまったある日。かわり映えのない砂の大地と青空に飽き飽きしてヒエイとアトラスの口数も少なくなってきたころだった。
「あんたたちと、あの女は釣り合わない」
王都の西側最大のオアシスの泉のほとり。砂の上に胡坐をかいて休むヒエイとアトラスの隣に腰をおろして、ハザムはひとりごちた。彼の視線の先では、三人から二十歩ほど離れたヤシの木の下でアンジュがひとり、銃を手入れしている。鍛錬の成果もあり、彼女の銃の腕はもうかなりのものだ。今や百発百中。ほとんど独学であったわけだが。
「どうして、そんなことをきくの?」
ヒエイが問いただすと、ハザムは視線を下げて唇を尖らせた。
「あいつだけ、やたら残酷だし。冷めてるっていうか、現実的っていうか……。あんたやアトラスとはずいぶん違うなと思って」
「ああ。確かに違うな。でも、違うやつが一緒にいたらいけないのか」
「そんなことはないよ。アンジュの言うこともわかるんだ。でも……」
ハザムは膝を抱えて顔を伏せる。
「あの夜。アトラスが誰も手の出せない親衛隊員を叩きのめしたのを見て、期待しちまったんだ。ああ、この人たちは持ってきたんだって。このクソみたいな国の閉塞した空気を変える何かを。そんな期待を勝手に持ってしまった。実際あの盗賊団をやっつけたし。あの夜星空を見上げるあんたたちを見て、新しい風が吹いてきたと感じたんだ。でも……」
「失望したか」
うなずかず、首もふらずにハザムは手首に巻いた布を解く。現れたのは小さな円を描いた入れ墨だった。
「俺が勝手に幻想を膨らましたことはわかってるよ。ずっとヒーローを待っていたんだ。俺は、奴隷だったから」
「一生自由にはならないんじゃなかったのか」
「脱走したのさ。そしてあのクソみたいな盗賊団の世話になってた。ならざるを得なかった」
砂を見つめるハザムの隣で、ヒエイもまた頷かず、首も振らずに言った。
「アンジュはね、僕が誘ったんだ」
そして目を細めて、黙々と銃をいじくるアンジュを見つめる。
「彼女は僕の命を狙う刺客だった。だけど組織を抜けて僕たちのところに来てくれた」
思い出す。あのコロネルでの襲撃の翌朝、約束の時間をはるかに過ぎてから東門にやってきたアンジュの姿を。まるで猛獣と闘ってきたかのようにボロボロだった。何があったのかは教えてくれなかった。だけどその姿は、一度はヒエイたちの命を狙った彼女が、ヒエイの仲間になるためにどれだけ苦悩したかを表しているようだった。
「僕は忘れられない。あの時の彼女のボロボロな姿も。僕を見つけた時の彼女の表情も。僕たちの仲間になるために、たぶん彼女は命がけの苦労をしたんだろう。そのあとも、何度も彼女は体を張って僕たちを助けてくれた。彼女には彼女の信念がある。そしてそんな彼女を僕たちは信頼しているんだ」
膝の間から顔を上げたハザムは、アンジュの方に視線を向けた。
「あんたたちを守るためなら、どんな卑怯なことも、残酷なこともする……」
彼はつぶやく。それはあの日彼がアンジュから投げられた言葉だった。
うなずいたヒエイが弱く笑った。
「彼女がそれを言うのを初めてきいたよ。彼女はそんなにまでして僕を……。いや、分かっていたんだ。今までの行動から。そうでなければ、ここまで僕は来れなかったかもしれない。僕は正義の味方ではない。ただの旅人だから。だから……」
「だから?」
「君を失望させたのだととしたら、それは彼女のせいじゃない。僕のせいだよ」
ヒエイはハザムに顔を向ける。目をそらさずに、真正面から彼の瞳を見つめ、そして言った。
「ごめん」
「ヒエイは、ただの人なの?」
ヒエイは返事をしなかった。しばらくハザムを見つめ返したあと、
「そうだよ。ただちょっと風を操れるだけの、ただの人だ」
「その術を、見せてよ」
ヒエイは軽く目を閉じ念じる。熱く茹だった空気を割って、一陣の風が渡っていった。湿り気を含んで清涼感のある優しい風。それが穏やかに、ヒエイの頬とハザムの頬をなでていく。
「まったく。本当にあいつは残酷で冷たくて、無口で無愛想で……」
しばらく風に身を任せていたかと思うと、ハザムはそうつぶやいて立ち上がった。
「見ていられないな。学ぶべきは銃じゃなくて、愛想の使い方だよ」
そして水辺へと歩いていった。
何をするのかと見ていたら、ハザムは泉の水際にかがみこんで顔を洗い始めた。何度も何度も。水をすくっては顔にかぶせ、ごしごしと執拗に両手で拭う。
ヒエイもアトラスも苦笑して腰をあげ、アンジュのもとへと向かった。彼女の手を取って、ハザムのそれと重ねさせるために。ふたりの今の心情を推し量ることは難しい。ただ、願わずにはおれなかった。いつか歩み寄ってほしいと。アンジュには甘いと怒られるかもしれないけれど。今すぐにではなくても、少しずつでもいい。だって、こんなに広い世界で偶然結びついた人なのだから。
ヒエイもまた物思いにふけっていたからか、ハザムのほかに水辺に現れた者たちへの注意が遅れた。
怒声と悲鳴がし、振り返ると、いつの間にかハザムは何人かの大人に囲まれていた。大人たちはみな白い軍服で身を包んでいる。親衛隊の連中だった。
〇
親衛隊員が何かハザムに言葉をかけていると思ったら、そのうちの一人が彼に掴みかかった。彼は慣れた手つきでハザムを後ろ手に縛りあげる。他の隊員たちは口々にハザムに言葉を浴びせかけながら、彼を小突いたり蹴ったりする。そして嫌がるハザムを、まるで家畜を引っ立てるみたいに連行しようとした。
「やめろ。お前たち」
ヒエイは叫びながら彼らに向けて手を構えた。が、すぐにそれを解く。風を巻き起こして攻撃すればハザムが巻き添えを食う。魔法は使えない。隣ではアトラスが黒棒を投げるのを思いとどまったところだ。それも正解だろう。不器用な彼が投げつけようものならハザムごと相手を吹き飛ばしてしまう。
とにかく追いついてハザムを取り返すしかない。
ヒエイはアトラスとともに駆けだした。親衛隊員の中からふたりがこちらに向けて銃を構える。しかしヒエイもアトラスもそれを恐れない。かまわず突っ込んでいこうとする。
銃声が鳴り響き、ヒエイとアトラスは地面に伏せる。
顔をあげると、どういうわけか親衛隊員のうちのひとりがふらりと体をゆらし、地面に倒れるところだった。
唖然としているうちにもう一発銃声が鳴り、もうひとりの親衛隊員の頭から血潮が飛んだ。
これは、ひょっとして……。
立ち上がりかけの姿勢のまま振り返ろうとしたヒエイのわきを、一陣の風が吹きすぎていった。
いや、風ではない。彼女が僕を追い抜いて行ったんだ。
そう気づいた時には、アンジュが短剣を振りかざし、猛然と親衛隊員たちに斬り込んでいくところだった。血しぶきと悲鳴が隊員たちの間から飛び、そのたびにひとりまたひとりと白い軍服が地面に倒れ伏す。やがて拘束を解かれたハザムの姿が混乱する集団から抜け出てきた。彼の背を突き飛ばしたのはアンジュだ。
「この坊やをたのんだよ」
投げつけるようにハザムをヒエイに託したアンジュは、追いすがる親衛隊員と斬り結ぶ。水辺からこちらをうかがう親衛隊はさっきより人数が増えている。騒ぎを聞きつけた仲間が集まってきたようだった。
すぐに加勢しようとしたヒエイは、しかし息をのんで足を止めた。
アンジュたちの背後にある泉が異様な動きを見せていたから。先ほどまで静かだった水面が、生き物のように波打ちながら膨れ上がっていく。
「アンジュ。そこからすぐに離れるんだ。はやく!」
ヒエイが叫ぶと同時に泉の水がはじけた。水面から突き出したのは巨大な手だ。水によって形作られた、透明な手。その手は水辺にいた人間たちの上に降り注いだかと思うと、彼らを一人残らず泉の中に引きずり込んでしまった。




