第22話
「可憐さん? 春山です。大丈夫ですか?」
春山が部屋の扉を叩くが、返事はない。
「いないんですかね……」
春山が不安そうに白石を見る。
「扉は?」
白石がドアノブを指す。
春山がおそるおそる手を伸ばして回すと、抵抗なく動いた。
「開いてます」
白石の表情がわずかに険しくなる。
「可憐さん、入るぞ」
白石は一言断ってから扉を開けた。
室内に人影はなかった。
ベッドは乱れておらず、床に物が散らばっている様子もない。
「可憐さん?」
春山がユニットバスを覗く。
「こっちにもいません」
「争った跡はなさそうだな」
白石はクローゼットやベッドの脇、机の上を確認した。
「じゃあ、自分でどこかに行ったってことですか?」
「その可能性が高い」
「でも、どこに……」
春山は可憐の鞄へ目を向けた。
「そういえば、可憐さんって招待状を取りに来たんですよね」
「ああ」
「だったら、それを持って食堂に戻るはずだったのに」
白石は答えず、机の上を見た。
招待状らしきものはない。
春山の顔から、さらに不安の色が濃くなった。
「私、一緒に来ればよかったかな」
「今はそれを考えても仕方ない」
白石は扉へ向かった。
「談話室を確認する。いなければ下へ戻るぞ」
「はい……」
2人が廊下へ出た時、談話室から恵が出てきた。
「あっ……」
恵は2人を見て足を止めた。
「どうなさいました?」
「こっちのセリフだ。談話室で何してた?」
白石が恵を問いただした。
「その、昼食の準備ができましたので皆様を探しておりました。談話室は清掃のついでに立ち寄っただけで……」
「そうでしたか」
春山が納得したように頷く一方、白石は恵の手元を見た。掃除道具らしいものは持っていない。
「清掃のついでにしては、手ぶらだな」
恵の表情がわずかに強張った。
「掃除道具は中に置いてございます。皆様を探す途中でしたので、片づける前に出てきただけです」
「可憐さんは見なかったか?」
「可憐様ですか?」
恵は少し考えてから首を横に振った。
「いいえ。お見かけしておりません」
「本当に?」
春山が思わず聞き返す。
「はい。どうかなさったのですか?」
「招待状を取りに部屋へ戻ったまま、食堂に戻ってないんです」
「まあ……」
恵は可憐の部屋へ視線を向けた。
「お部屋にもいらっしゃらなかったのですか?」
「ああ……昼食の準備ができたと言ったな。俊夫さんは?」
「1階におります。皆様がお戻りになっていないので、私が2階を見に来ました」
「分かった。恵さんも1人で動かないでくれ。食堂へ戻って、俊夫さんと一緒にいてくれ」
「ですが、可憐様をお探しになっているのでしたら、私も――」
「必要ない」
白石は即答した。
「今は誰が犯人か分からない。人数を増やしてばらける方が危険だ」
恵は一瞬、何か言いたげに口を開いたが、やがて小さく頭を下げた。
「……承知いたしました」
恵が階段へ向かって歩き出す。
その背中を見送りながら、春山が小声で言った。
「白石さん、恵さんのこと疑ってるんですか?」
「ああ。霧坂夫妻は特に警戒してる。なんなら、お前も俺を疑っていいぞ」
春山は困ったように笑ったが、すぐに表情を曇らせた。
「でも、可憐さん……どこ行ったんだろ」
「談話室を見てから下へ戻ろう」
2人は談話室へ入った。室内の様子は朝と変わらず、ローテーブルの上にはチェス盤が置かれている。
白石はチェス盤の近くに寄ると、何気なく盤面へ視線を向けた。
「…………」
「どうしました?」
春山もチェス盤を見る。
「春山、俺の数え間違いか? 10個に見えるが……」
「え?」
春山は黒い駒を指で追いながら、ひとつずつ数えた。
「……8、9、10」
そこで指が止まった。
「本当だ……10個しかない」
春山は顔を上げる。
「でも、朝は11個でしたよね?」
「ああ」
白石は盤面を見つめたまま答えた。
『次に盤面が変わったら、その時は偶然じゃ済まなくなる』
自分で言った言葉が頭に浮かぶ。
「……白石さん?」
春山の声が震え始める。
「これって……」
その時だった。
「――白石!」
白石の手が止まる。
「今の……」
春山も振り返った。屋敷の中からではない。窓の向こう、外から聞こえた声だった。
「原井場だ……!」
白石は窓へ駆け寄った。もう一度、声が響く。
「白石! 来てくれ!」
今度ははっきり聞こえた。いつもの軽薄な調子ではない。切羽詰まった叫び声だった。
「おい! 誰でもいい! 早く来い!」
「原井場さん……?」
春山の顔から血の気が引いた。白石は階段へ駆け出した。
「行くぞ!」
「はい!」
春山も後を追う。
1階では、ちょうどリビングから榊原と真門が出てくるところだった。
「今の声は何だね!?」
「外から聞こえたで! 何か見つけたんちゃうか!?」
「白石さん!」
今度は上から声がした。
3階を調べていた細貝と中藤が階段を下りてくる。
「どうしました?」
「原井場が外で叫んでる」
「原井場さんが?」
中藤の表情が険しくなる。
「可憐さんは?」
「2階にはいなかった」
「3階にもいません」
細貝が答える。
「……行くぞ」
白石が重い玄関扉を開けると、冷たい風が吹き込んできた。
一同が外へ出ると、屋敷の周囲は不気味なほど静かだった。
「原井場!」
白石が声を張る。
「どこだ!」
返事はない。
「物置小屋の方ちゃうか」
真門の言葉を聞くなり、白石は屋敷の裏手へ走った。後ろを春山たちが追う。
やがて物置小屋と、その前に立つ2人の人影が見えてくる。
「原井場!」
白石の声に、原井場が振り返った。
「白石……!」
顔が青ざめている。
その隣では獅子谷が立ち尽くし、物置小屋の脇を見たまま動かない。
白石は2人の前まで走った。
「何があった」
「……そこ」
原井場が震える手で物置小屋を指差した。
「可憐さんが……」
「可憐さん?」
春山が一歩前へ出る。
「待て」
白石が腕を伸ばして止めた。
原井場は小屋の脇から目を逸らしたまま続ける。
「俺らが来た時には……もう、ああなってた」
「何があったんだ」
「自分で見ろよ……」
苛立ったような口調だったが、声は震えている。
「俺はもう見たくねえよ」
白石は原井場から視線を外し、物置小屋へ向かった。
「全員、そこにいろ」
小屋の角へ近づくにつれ、地面に残る赤黒い染みが目に入った。
白石はそれを踏まないよう足元を確かめながら進む。
角を曲がった瞬間、白石の足が止まった。
湿った地面の上に、可憐が倒れていた。
「白石さん?」
後ろから春山の声がする。
「来るな!」
白石の声に、近づこうとしていた足音が止まった。
「見ないほうがいい」
春山はそれ以上何も言わなかった。
白石は可憐へ近づき、血を踏まないよう腰を下ろした。
首筋へ指を当て、数秒待った。
「……死んでる」
後ろで誰かが息を呑んだ。
白石は立ち上がらず、可憐の頭部へ目を向けた。
大きく裂けた傷。周囲の地面には血が広がっている。
「白石君」
背後から声がした。
振り返ると、榊原が小屋の角まで来ていた。
「来るなと言っただろ」
「春山さんたちには見せない方がいいだろう。しかし、君一人だけで確認するのもよくあるまい」
榊原は白石の隣までは来ず、少し離れた場所で足を止めた。
可憐の姿を見た瞬間、眉間に深い皺が寄る。
「……これは」
言葉が途切れたが、それでも目を逸らさない。
頭部の傷、血に染まった服、離れたところに落ちた眼鏡。そして失われた両足へ、順番に視線を移していく。
「ずいぶんと……異様だな」
「ああ」
「死因は分かるかね」
「そこまで分からない。ただ――」
白石は頭部の傷を見る。
「これだけの傷だ。致命傷でもおかしくない」
榊原は何も答えず、しばらく可憐を観察していた。
「足は……どこだ?」
白石も周囲を見る。見える範囲にはない。
「原井場! お前たちが見つけた時から、足はなかったのか?」
「あったら最初に言ってるよ!」
原井場が声を荒らげた。
「俺らが来た時にはその状態だった!」
「周りも見たか?」
「見てねえよ! あんなもん見て、そこら中探せるわけないだろ!」
白石はそれ以上追及しなかった。
「原井場君」
今度は榊原が尋ねる。
「君たちは、可憐さんの叫び声を聞かなかったのかね?」
「叫び声? 聞いてねえよ。俺らが外に出てから、獅子谷さんが可憐さんを呼んだくらいだ」
「その前は?」
「知らねえよ。俺、食堂にいただろ」
榊原は白石を見る。
「我々も聞いていないな」
「ああ」
白石の返事を聞いた榊原の視線が、再び可憐の下半身へ落ちた。
「何が言いたい?」
「両足を切断されている」
「見れば分かる」
「生きたままなら、相当な苦痛だったはずだ」
白石の表情が変わる。
「……叫び声がないのがおかしいって言いたいのか」
「絶対とは言わんよ。口を塞がれていたかもしれない。意識を失っていた可能性もある」
榊原は慎重に言葉を選んだ。
「だが、最初から順序を決めつけるべきではない」
「順序?」
「足を切られ、それから頭を割られた……そう見える。逃げられないようにしてから殺した、とね」
白石は黙って可憐を見る。
「だが、逆かもしれないということか」
榊原が頷く。
「先に頭部を割られ、意識を失った後で足を切断された可能性もある。それなら、誰も叫び声を聞いていないことにも説明はつくな」
「頭の後にか?」
少し離れたところから原井場の声がした。
いつの間にか2人の会話を聞いていたらしい。
「何でそんなことするんだよ」
「分からん」
榊原は即答した。
「ああ、そういや……斧もなくなってた」
原井場が小屋へ目を向けた。
「斧?」
「朝、あそこにあったやつ。俺らが中見た時にはなくなってた」
白石は可憐の頭部へ目を戻した。
「……凶器の可能性はあるな」
「まだ断定はできんよ」
榊原が言った。
「だが、もしそうなら重要だ」
「何が?」
「足の切断が頭部への攻撃より後なら、逃げられないように切ったわけではない」
「じゃあ何のためだよ」
「我々に、そう思わせたかった可能性はあるな」
「そう思わせる?」
「逃げられないよう両足を切断し、苦痛を与えた末に殺した。遺体を見れば、まずそう考えるだろう」
白石の顔が険しくなる。
「尺蛇も必要以上に刺されていた。犯人は、罪人を苦しませてから処刑しているように見せたいってことか」
「だが、もし可憐さんの足が死後に切断されたのなら、そうではない」
風が吹き抜け、木々の葉が擦れ合う。
「犯人が苦しませようとしている相手は……」
榊原が周囲へ視線を向けた。
「死んだ可憐さんではなく、これを見つける我々なのかもしれんな」




