第11話
「それでは、明日の朝食は午前7時半を予定しております」
俊夫が会話の切れ目を見て告げた。
「その際、改めて皆様がおそろいか確認いたします」
「部屋の鍵に合鍵はあるの?」
中藤が尋ねる。
「管理用のものがございます」
俊夫の返答に、数人の表情が強張った。
「それ、どこにあるんですか?」
春山が不安そうに聞く。
「私の自室に保管しております」
「全員の前で封筒か箱に入れて、誰も使えない状態にできませんか」
細貝の提案に困惑した俊夫は恵と顔を見合わせた。
「管理上、手元にないと困るのですが……」
「緊急時には扉を壊せばいい」
白石が淡々と言う。
「今は合鍵が誰かに使われる不安を減らす方が先だ」
「……承知いたしました」
俊夫は不本意そうに頭を下げた。
ほどなくして、10本の合鍵が食堂へ運ばれてきた。細貝が本数と部屋番号を確認し、中藤も横から目を通す。鍵はまとめて布袋へ入れられ、その口を紐で固く縛った。さらに榊原が署名した紙を結び目へ巻き、簡単には開けられないようにする。
布袋は食堂の棚へ置かれた。
「これで、少なくとも管理用の鍵は使えん」
榊原は結び目を確認すると、ようやく小さく頷いた。
「今夜は各自、部屋から出ないように」
話し合いが終わり、招待客たちは三々五々に客室へ戻っていった。最後に食堂を出た白石は、階段の上を見上げた。2階の廊下には誰の姿もない。やがて各部屋の扉が閉まり、鍵の掛かる音が順番に響いた。静寂が戻る中、210号室からだけは、しばらく荒い呼吸が漏れ続けていた。
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夜も更けた頃、210号室では尺蛇が布団を被ったまま座り込んでいた。廊下から聞こえていた足音は、すでに途絶えている。全員が部屋へ戻ったのだろう。それでも尺蛇は動かなかった。
「誰も信用できるか……」
小さく呟き、膝を抱える。宇治山を名乗る声が、何度も頭の中で繰り返されていた。罪を犯しながら、裁きを免れた人間。
「俺は、俺は違う……」
尺蛇は誰もいない部屋で呟いた。
「俺は、もう償ったんだ。もうやめてくれ……」
その時、廊下から床板の軋む音が聞こえた。尺蛇の身体が固まる。音は一度きりだった。古い屋敷なのだから、誰も歩いていなくても床が鳴ることくらいある。そう自分に言い聞かせ、布団を強く握りしめる。再び、床板が鳴った。先ほどよりもはっきりしていた。ぎしり。間を置いて、もう一度。ぎしり。誰かが廊下を歩いている。尺蛇は布団から顔だけを出し、暗闇の中で扉を見つめた。
足音はゆっくりと近づいてくる。一歩、また一歩。こちらへ向かっている。誰だ?白石か細貝だろうか。様子を見に来ると言っていたわけではないが、あいつらなら声を掛けるはずだ。あるいは、トイレへ行こうと部屋を出た誰かかもしれない。だが、各客室には浴室もトイレも備えられている。こんな時間に廊下へ出る理由はない。足音が止まった。210号室の前だった。
尺蛇は息を殺した。扉の向こうからは何も聞こえない。ノックもなければ、声を掛けてくることもなく、ただ、誰かが立っている。
「……白石か? それとも細貝か?」
返事は無い。尺蛇は震えながら続けた。
「聞こえてるだろ!」
尺蛇が声を張り上げた瞬間、扉の外で小さな金属音がした。ちゃり、と何かが触れ合う音。顔から血の気が引いた。
「おい……」
鍵穴へ何かが差し込まれる。尺蛇は布団を跳ね除け、ベッドから降りようとした。だが、床に足を着いた途端、膝から力が抜けた。
「何だ……?」
咄嗟にベッドの縁をつかみ、どうにか転倒を免れる。身体が異様に重い。頭の奥に靄がかかったように、思考がうまくまとまらなかった。緊張と疲労のせいだろうか。直後、尺蛇の耳に鍵の回る音が届いた。かちり。施錠が外れる。
「入ってくるな……」
尺蛇は扉の近くまで進もうとしたが、足が言うことをきかない。壁に沿って身体がずるずると沈み、床へ片膝をついた。声を出したつもりだったが、ほとんど息にしかならなかった。ドアが開く。逃げなければ。
尺蛇は床へ手をつき、立ち上がろうとした。しかし、腕にも力が入らず、身体が前へ崩れた。頬が絨毯に触れる。
「くそ……」
最後の力を振り絞り、扉へ腕を伸ばした。指先は、何もない床を掻いただけだった。逃げなければならない。叫ばなければならない。そう思っているのに、身体はもう動かなかった。視界の中で、扉の輪郭が滲んでいく。
「だれ……か……」
尺蛇の瞼が閉じた。伸ばしていた腕が力なく床へ落ちる。室内が完全な静寂に包まれてから、鍵がゆっくりと引き抜かれた。やがて、ドアノブが音もなく下がった。
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日付が変わる直前、俊夫は屋敷内を見回っていた。1階の戸締りを完璧に終え、念には念を入れて2階も見ておこうと思っていた。階段を上がり、客室の前を流し見していると、談話室の扉が開いていることに気付いた。
(誰かいるのか?一応見ておくか……)
部屋の中に入ると、俊夫はチェス盤の駒を見て呟いた。
「おかしいな……黒のポーンが5つ足りない……」




