プロローグ
人はどこまで許されるべきなのだろうか。
その問いに、明確な答えを持つ者はいない。
ある者は言う。
人を殺したのなら死をもって償うべきだと。
またある者は言う。
人は生まれながらの悪人ではないと。
その行為に至るまでの過程を見なければならないと。
果たして、どちらが正しいのだろうか。
ある殺人犯がいた。
二十歳の大学生だった。
彼は幼少期から両親による激しい虐待を受けていた。
殴られ、蹴られ、罵倒される日々。
学校でも孤立し、自分の居場所を見つけられなかった。
知的境界域と診断されており、精神疾患の治療歴もあった。
そしてある日、彼は一人の子供を殺した。
被害者は七歳の少女だった。
翌年には小学校へ入学する予定だった。
絵を描くことが好きで、将来は動物のお医者さんになるのが夢だったという。
その未来は永遠に失われた。
裁判が始まる。
法廷には専門家たちが並ぶ。
彼らは口を揃えて言った。
「彼の犯行には環境要因が大きく影響している」
「精神疾患による心神喪失も認められた」
「更生可能性は十分に存在する」
「死刑は適切ではない」
だが、その言葉に納得する者は少なかった。
被害者遺族は泣き崩れ。世間は怒り狂った。
ニュース番組では連日この事件が取り上げられた。
SNSには数え切れないほどの言葉が並ぶ。
『被害者の人生はどうなる』
『また加害者ばかり守るのか』
『専門家は犯罪者の味方だ』
『死刑にしろ』
誰もが正義を語った。
被害者のための正義。
加害者のための正義。
社会のための正義。
未来のための正義。
だが正義は一つではない。
だからこそ人は争う。
もし彼が幸福な家庭で育っていたなら。
もし虐待を受けていなかったなら。
もし適切な支援を受けていたなら。
彼は殺人犯にならなかっただろうか。
逆に問おう。
どのような過去があろうと。
どれほど不幸な人生を歩んでいようと。
失われた命は戻らない。
それでもなお、人は許されるべきなのだろうか。
この物語は、
被害者のための物語ではない。
加害者のための物語でもない。
専門家のための物語でもない。
これは、
「人はどこまで許されるべきか」
という問いに向き合う者たちの物語である。




