第3話
居酒屋の入り口の前に、一度家で着替えて来た静が立つ。
昔ながらの居酒屋の造りを意識した建物の、入り口のガラスに映る自分の姿を確認する。
一度家に帰り、居酒屋で浮かない、気合が入りすぎていると思われない程度に着飾って来た自分の姿に納得し、意を決して入り口をスライドさせる。
店員:「いらっしゃいませー!
ご予約ですか?」
静:「渡辺で入っていると思うんですが」
店員:「渡辺様、2名様ですね。
お連れ様、すでにお待ちです。
5番の部屋へどうぞ」
2名様…。
正直、普通の飲み会の可能性も疑っていた。
入社から6年、何度も期待して、その度に落胆して来た。
今回は、本当に2人なんだ…。
普通はもっと雰囲気のいいお店だと思うけど、こんなお店も"らしい"と思う。
過去、綱の鈍感さに心が折れかけた時、職場の医療部門で偶然見かけた資料。
私の闘病中、骨髄を提供してくれたのは綱だった。
骨髄提供の義務。
恐らく綱も、誰に使われたのか知らないだろう。
本来なら私も知ってはいけないことだった。
なぜあの時、あの資料がモニターに映っていたのかは分からない。
運命などなかったと思っていた闘病生活。
皮肉なことに、私と綱の人生が最も深く結び付いた時期だった。
初めて会った日から運命は、一度も途切れていなかった。
その事実が、諦めかけていた気持ちを強くした。
5番と書かれた襖の前で手鏡を出し、家でセットし直して来た前髪の確認をして、襖を開ける。
綱:「お疲れ。早かったな」
静:「お疲れ様。待った?」
綱:「大丈夫だ」
綱が、静のARデバイスの本体、インターフェイスに視線を送る。
静は覚悟を決めてインターフェイスの電源を切る。
綱:「Ωコアの目指す人間の進歩と、人類の望む幸せ、そこにズレがあるって言ったら信じるか?」
静は崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、綱の対面に着席する。
静:「その話の為に、周りがうるさくて、人に聞かれる心配のないここに呼び出したわけね」
静は視線を下げてため息を吐く。
綱:「こんな話、お前以外に話せないからな」
強い信頼の言葉に、静はニヤけそうな表情筋を必死に抑えて正面を向く。
綱が私の職場に来る度に、去ったあとに周りに囁かれる"ちょろイン"という言葉。
我が事ながら、的確な表現だと思う。
静:「それで、確証はあるの?
社内システム管理の綱が言うなら根拠がないなんてことはないと思うけど。
その話は源さんにはしたの?」
綱:「9割ってとこだな。
源さんは信頼しているが、Ωコアの開発者の1人だ。
味方に数えていいのかいまだに迷っている」
静:「大丈夫だとは思うけど…慎重に行くべき内容なのは、たしかにそうね。
Ωコアが、どんな人間よりも信頼されている社会だもの。
そのΩコアが敵かもしれないってのは、なんでそう思ったの?」
綱:「正確には、会社の中で、俺達の知らない研究が進んでいるってことだが。
まず、ラットの実験があっただろ?
あれの結果は覚えているか?」
静:「覚えてるわよ。3日目の研修で教える内容だから。
その為に医療部門の私が研修担当の1人なんだし。
106匹のラットを転送した結果、事故率91.5%、97匹のラットが精神に異常をきたして、生物の転送が禁止になった実験よね?」
綱:「そうだ。
だが正確には、あそこにいたのは100匹だ。
3匹の成功したラットが n = 3 ずつ再度転送された結果、106回の実験だ」
静:「あの実験、私達が入社する前の実験でしょ?
なんでそんなこと知ってるのよ」
綱:「成功したラットが繰り返し出てるのに気づいて、実験映像を見ながら地道に数えたんだよ」
静:「あんた、ラットの顔見分けられるの!?
気持ちわる…」
綱:「お前が昼間から、髪型をセットし直したのも見分けられるけどな」
静:「…そういうところよ…」
静が髪の毛をいじりながら小さな声で答える。
綱:「で、なんでわざわざその結果を歪めて報告されてるのか調べていたら、今でも生物を使った実験が続いているらしいことが分かった。
そして、Ωコアは5次元の解析を成功させたAIということになっているが、それ以上の次元を解析していないと説明のつかないことが出て来た。
ターミナルテックの意思かΩコアの意思かは分からないが、目指しているのは"人類の進歩"じゃなく、"人類の進化"なんじゃないかって疑惑が出て来た」
静がけわしい顔になる。
静:「会社に暗い部分があるとしたら、立ち上げメンバーの源さんを信用するわけにはいかないってことなのね」
綱:「そうだ。
だが、1人じゃあ手詰まりになって来た。
手伝って欲しい」
静:「でも、源さんの観察眼は本物よ?
ちょっとした違和感でも気付かれる。
私もこんな話を聞いたあと、源さんの前であの人に違和感を持たれないほど自然に振る舞えるか分からないわよ?
…それに、こんな危ない話、断られると思ってなかったの?
もしも途中で気付かれるようなことになったら…どうしてくれるの?」
綱:「源さんに関しては問題ない。
あの人は昨日から1ヶ月海外出張だ。
お前の人生に関しては、俺が責任を取る」




