第1話
※ここで語られる次元の解釈は、私がこの小説のために考えた理論(設定)です。
実際の理論ではありませんし、他の理論を否定するものでもありません。
2050年現在、多次元を利用した転送装置により、世界はインフラ格差が埋まる。
世界中の人間が生活する全ての場所に上下水道や通信が整備され、場所を問わずに仕事も買い物も出来るようになる。
輸血用の血液や臓器移植も、全ての人間の適合率を管理されたことで、過不足なく行えるようになった。
世界を前進させたのは、1つのAI だった。
─ 2030年─
最先端技術研究所が、スーパーコンピュータと量子コンピュータのハイブリッドコンピュータを完成させる。
究極を意味するΩの名を与えられたAI、"Ωコア"への最初の指示は、当時4次元の構成要素であると考えられていた、時間軸の解析。
─ 2031年─
一般AIとして、Ωコアの一般利用を開始
─ 2033年─
Ωコアは4次元と5次元の解析を完了させる。
この日を境に最先端技術研究所は、ターミナルテック社へと名前を変え、一般法人化する。
─ 2035年─
4次元を構成する"Ω軸"。そして5次元目を構成する"T軸"の運用開始に伴い、"物"にとって距離という概念は消え、社会インフラは全て転送の時代になった。
─ 2037年─
転送インフラは、先進国や都会だけでなく、世界中、全ての地域からインフラの格差をなくした。
インフラ格差の解消は、僻地に物資や仕事を届けるのにとどまらず、AI による同時通訳が世界中から言語の壁を取払い、多言語でのオンラインワークや授業を可能にした。
在宅での仕事と教育の提供は、全ての地域から児童労働による教育機会の損失と飢餓を解消した。
さらにターミナルテック社は社会福祉活動の一環として、世界中の人間の定期的な血液検査を実施。
それによって罹患中の病気はもとより、潜在的病気のリスクや、遺伝的相性の診断まで下された。
この結果はΩコア内で管理されており、それに基づき世界中の人間には人生で一度、骨髄提供の義務がある。
T軸操作により時間を超越して保管される骨髄は、採取のタイミングを決める上で個人の事情が尊重される。
それ以外にも、臓器提供の意思表示が義務化される等の国際的なルールが制定され、世界から難病と呼ばれる内の数%は、完治が見込める病気へと移行した。
先端技術研究所としてスタートしたターミナルテック社は、今や世界一の優良企業と呼ばれる企業へと変貌した。
AI 黎明期、AI が暴走し、ターミネーターの世界のスカイネットのように人類を排除する未来が危惧されていた。
しかしそれも、人類の発展と幸福を最上位課題とするAI の思考モデルの制定により、正しい方向性で人類の生活を飛躍的に進歩させた。
その中でも、従来のスーパーコンピュータと量子コンピュータのハイブリッドモデルであるΩコアは、三権分立の思想を基にした設計で、世界一安全で優秀なコンピュータであるとされている。
その能力は、ただ"人類の進歩"のために費やされていた。
…Ωコアの描く未来と人類の描く未来、そこに開いたわずかな誤差。
理想郷に浮かれる世間に、その僅かな乖離に気付くものはいなかった。
《2050年度、ターミナルテック社入社式》
白衣を着た黒髪ロングヘアの女性、医療部門の卜部静が、新卒社員の視線を浴びながら、MR(複合現実)で表示された3Dホログラムの前でプレゼンをしている。
3Dのホログラムは、静の挙動やプレゼンの進行に応じて形を変えていった。
n次元は、n + 1 個の点で表現出来るとする麦野理論の3Dスライド
静:「ここまで麦野理論の中核、n + 1 で知られるモルトの定理について説明して来ました。
全てを総括すると、次元の存在は、次元の数 n に1をプラスした数の点で構成され、見える情報は、次元の数 n 個の点で構成された、1つ下の次元に近い形で見えるという理論です。
今でこそ"多次元社会の礎"として広く認識されている麦野理論ですが、発表された2026年当時は「4次元目の軸=時間」という固定観念が根強く、数学的シンプレックスを用いたその斬新な説も、世間の思い込みを覆すには至りませんでした。
当社でも、立ち上げ初期のAI "Ωコア"に与えられた使命は、単なる"時間の波長解析"に過ぎませんでした。
しかし、エンジニア達の思いとは裏腹に、Ωコアの思考ユニットはすでに『麦野理論』の本質を見抜いていました。
時間の波長解析に成功する以前より、Ωコアはその構造的な不安定さを指摘。
時間の波長解析に成功後、真の4次元目である空間接続の"Ω軸"を発見し、時間を5次元目の"T軸"として再定義・安定化させることで、かつて打ち捨てられた麦野理論の正しさを証明してみせました。
全ての点と、物的距離を超えて接続するΩ軸と、時間を超えることの出来るT軸の組み合わせで、現在の転送出来る社会インフラが完成しました。
これから半年皆さんは、振り分けられた少数グループで指導役社員について、業務の補佐をしてもらいます。
そこで見出された適性と、本人の希望などを踏まえ、半年後にΩコアの出した部署へ配属されることになります。
振り分けと一緒に、本日の研修で説明した麦野理論の要点を皆さんのデバイスに共有します。
この理論はどの部署に振り分けられても基礎となるものです。
すぐに見返せるようにしておいてください。
では、これで入社式と初日の研修を終了します。
割り振られた指導役社員の指示で、本日は解散してください」
コンタクトタイプやメガネタイプ、各々のAR(拡張現実)デバイスに同期された指導役社員の情報から、迷わず歩き出す新入社員達を確認した静は、研修の途中から大講堂の壁に寄りかかり、腕を組んで見ていた同期、渡辺綱の元へ歩いて行く。
AR = 拡張現実。ポケモンGOのように、現実世界に仮想の情報を重ねる。ナビなどに便利。
MR = 複合現実。ARのように現実世界に仮想の情報を重ねるが、MRの場合はオブジェクトが操作可能。SFなんかで仮想のオブジェクトを手の操作で回したり拡大したりしているのはMR。




