第60話 王命の行方――選ばれぬ決断
第60話 王命の行方――選ばれぬ決断
王都ローレンツの王城は、久しく味わったことのない沈黙に包まれていた。
戦に負けた城ではない。
だが――“勝てなかった”城の空気だった。
玉座の間に集められた貴族たちは、誰もが言葉を選びあぐねている。
鎧を脱いだ将軍、顔色を失った官僚、沈黙を守る魔術師団の上層。
そこには、かつて王都を支えていた自信も、傲慢もなかった。
フレデリック王太子は、玉座の一段下に立ち、彼らを見渡した。
「……王都軍は撤退した。
それは事実だ」
声は震えていない。
だが、響きに力がなかった。
「グレンヴィルは追撃を行わず、兵を逃がした。
その判断は……戦術的には、見事だったと言わざるを得ない」
貴族の一人が、苦々しく口を開く。
「殿下、それではまるで……
辺境に恩を売られたかのようではありませんか」
「実際、そうだろう」
別の声が重なった。
「王命を盾に討伐を命じた結果が、これだ。
民はすでに囁いている。
“王命は、必ずしも正義ではない”と」
その言葉に、空気が凍る。
王命とは、疑われてはならないもの。
疑われた瞬間、王権は“命令の一つ”に落ちる。
「……殿下」
魔術師団の長が、低い声で進み出た。
「このままでは、辺境は第二の権力となる。
特に――あの女」
“あの女”。
その呼び方だけで、誰を指しているか分かった。
「エレノア・フォン・アウグスト。
追放されたはずの令嬢が、
軍師として王都軍を退け、
名を伏せることもなく、その功を示した」
フレデリックの胸が、ぎくりと鳴る。
「彼女は……敵なのか?」
問いは、弱かった。
「敵にするかどうかを決めるのが、王命です」
魔術師団の長は冷たく言い切った。
「彼女を認めれば、
過去の追放が“誤り”だったと認めることになる。
だが否定すれば……」
「否定すれば?」
「王都は、さらに信用を失うでしょう」
重い沈黙。
選択肢は、最初から二つしかなかった。
だが――どちらも、王太子には選べない。
フレデリックは、目を閉じた。
(エレノア……
君がいた頃、こんな判断に迷うことはなかった)
彼女なら、迷わず答えを出していただろう。
それが、どれほど厳しくとも。
だが今、ここに彼女はいない。
「……王命は、出さない」
その言葉に、ざわめきが起こる。
「殿下!?」
「それでは、何も決めないのと同じです!」
「王命なき王都など――」
「だからだ」
フレデリックは、かすれた声で続けた。
「今の王都に、
誰かを断罪する資格はない」
それは、王命ではなかった。
ただの――“保留”。
そしてそれこそが、
王都が選んでしまった最悪の決断だった。
⸻
一方、グレンヴィル。
エレノアは執務室で、王都から届いた報告を静かに読んでいた。
退却後の処理。
王命が出ていないこと。
介入も、謝罪も、正式な声明もないこと。
すべてを読み終え、彼女は紙を畳む。
「……やはり、決められませんでしたのね」
ゼノが腕を組み、壁にもたれている。
「王命なし、責任の所在も曖昧。
つまり……時間稼ぎだ」
「はい。
王都は“選ばなかった”のです」
エレノアは立ち上がり、窓の外を見た。
復興し始めた街並み。
子どもたちの声。
働く人々の姿。
「ですが、選ばないという選択は――
最も残酷ですわ」
「どういう意味だ?」
「決断しない者は、
誰かに決断させることになる」
彼女は振り返り、はっきりと言った。
「王都が王命を出さない以上、
辺境は――自らの意思で進みます」
ゼノは、静かに頷いた。
「つまり?」
「グレンヴィルは、
王都の判断を待たない」
その言葉は、宣戦布告ではない。
だが、従属の終わりを告げるものだった。
「怖くはないのか?」
ゼノの問いに、エレノアは少し考え、微笑んだ。
「怖いですわ。
けれど……」
彼女の声は、揺れなかった。
「沈黙して、踏みにじられる方が――
ずっと怖い」
ゼノは、その強さを誇らしく思った。
「なら、進もう」
「はい。
わたくしはもう、“選ばれる側”ではありませんもの」
彼女は、選ぶ側に立っていた。
⸻
その夜。
王都では、王命が出なかったことが噂となり、
辺境では、新たな秩序が静かに動き出していた。
王都が迷っている間に。
歴史は、別の場所で決断されつつある。
選ばれなかった王命。
選び続ける令嬢。
その差が、
やがて国の形そのものを変えることを――
まだ、王都は理解していなかった。
⸻
次は
第61話:辺境の宣言――静かな独立意思




