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4. 第四章 近世


 第四章 近世


 江戸時代になると、町人文化が盛んになった。庶民的・娯楽的文芸に乗って、副詞「とても」は発展した言葉を生むほど、人々の間で使われた。まず、副詞「とても」の意味と用例をあげていってみる。



〈1〉打ち消しの語を伴って、どうしても実現しない気持ちを表す。


(44)男「アレ々々(※注 原文はくの字点であるが以降「々」で代用し(くの字点)と記す)青い火が見へる。男「エゝどふかこつちへきおるようじや 弥次「コリヤどうしよふ。とてもさきへはいかれぬ々々々々(くの字点)」 『東海道中膝栗毛』第五編・下(※注52 日本古典文学全集『東海道中膝栗毛』小学館 第五編下)

(青い火=幽霊があらわれるときに見えるという火)


(45)我々は天の網、とても逃れぬ 『大経師昔暦』浄瑠璃(※注53 注20同「大経師昔暦」)[二一]父母涙の意見

(天の網=天が悪人を捕らえるために張る網。天罰)


(46)「身請の事とてはなを々々(くの字点)書きにも書いておこさぬは、迚も歸りてからが力に及ぶまいと」 「浮世草子」「傾城禁短気」(※注54 日本古典文学大系『浮世草子集』岩波「傾城禁短気」)

([勘当を許されて]家に帰ってみてもとうてい身請けなどには力が及ぶまいと)



〈2〉意味の上で否定を表す


(47)お腹〻嵩高く、寺にて子を産むためしもなし。(中略)とても湲には住難し。 「浮世草子」「新色五巻書」三之巻(※注55 注54同「新色五巻書」)



〈3〉肯定的な内容を導くもの


(48)善吉、男は今なり、江戸では小太夫にほれられ、とても名の立つ次手に人の。ならぬ事をせんと、 『好色一代男』(※注56 新潮日本古典集成『好色一代男』新潮)

(男ぶりは今が絶頂、あの売れっこの小太夫にほれられ、所詮浮名が流れるのを防げぬなら常人のできぬことをしようと)


(49)七日というても明日のこと。とても渡す銀なれば、早う戻して、親方様の機嫌をもとらんせと言へば 「曽根崎心中」浄瑠璃(※注57 注20同「曽根崎心中」)[三]お初の力づけ

(「七日と言っても明日のこと。どうせ渡す(かね)ならば、早く渡して親方様の機嫌をとりなされ」と言うと)


(50)「(略)すなはち御迎ひ参らせ候ふまま、急ぎ御下り候ふべく候ふ。くはしくは、とても御みづからにて」と書かせたり。 「御伽草子」「さいき」(※注58 日本古典文学全集『御伽草子』小学館「さいき」)

(「すぐにお迎えをさしあげますから、急いでお下がりくださいませ。詳しくは、どちらにしても御自身で」と書かせた)



〈4〉どうせもともと、という気持ち、事柄が成立する前にさかのぼって考えることを表す


(51)さりながら、是程よき首尾またあるまじ、とても金銀の盗み、ひそかに立退き 「浮世草子」「新色五巻書」一之巻(※注59 注55同 一之巻)

(それにしても、これほど良い首尾もあるまい。いっそ金銀を盗んで、ひそかに立ち退いて、)



〈5〉あとの句に重みをかけていうもの


(52)アゝ(かたじけな)い。とてものお情け.この(ちまき)も、誰ぞ良さそな犬に.食はせてくださんせと. 『女殺油地獄』浄瑠璃(※注60 注20同「女殺油地獄」)[一六]与兵衛ゆえの母の盗み

(「あぁ、かたじけない。ついでのお情けに、このちまきも、だれかよさそうな犬に食わせてくださいませ」と)


(53)こんなアに顔をへしつぶされちやア、ほうばいしうの前へたゝずようがおざりましない。とてもハイ、これつきりの縁なら、おまいちのような性根の悪い客衆は見せしめのため 『東海道中膝栗毛』第二編・下(※注61 注52同 二編下)

(こんなに面子をつぶされちゃあ、女郎仲間に顔向けのしようがございますまい。どうせ、はい、これっきりの縁なら、お前のような性根の悪い客どもは、みせしめにするため)


また、近世では、「とてもの事に」も多い。


(54)とてものことに、その内証が聞きたし。 「世間胸算用」巻二(※注62 新潮日本古典文学集成『世間胸算用』井原西鶴 新潮社 巻二)

(いっそのこと、その家の内情が知りたい)


(55)北八「コリヤおもしろかろう。弥次さん、おめへもこけへかけなせへ。サア々々(くの字点)、あむあみだアんぶつ。 僧「とてものことに(かね)いれてやろわいな。 トむしやうにかねをうちならし ハアなまいだア、チヤン々々々(くの字点) 『東海道中膝栗毛』正編・下(※注63 注52同 正編下)

(僧「ついでに鉦を打っていれてやろうぞ。」と無性に鉦を打ち鳴らして、)


「とてもの事に」は、『邦訳日葡辞書』(※注64 『邦訳日葡辞書』岩波)にも項目がもうけてある。そこでは、


 Totemono cotoni トテモノコトニ(とてものことに)副詞

 このついでに、または、すでにあなたがその仕事に手をつけているのだから、など。例 Totemono cotoni coreuo xite cudasarei.(とてものことにこれをして下されい)あなたはすでにその仕事をし始めているのだから、または、その仕事に手をつけているのだから、どうぞこの事をして下さい。


とあった。


 また、例外的ではあるが、やや程度を表す副詞に近づいているものもある。


(56)隠居が又はじまったとおもふだらうが、身の(くすり)だから(きき)なさい。藥は()ても苦い。 『浮世風呂』四編・巻之上(※注65 日本古典文学大系『浮世風呂』岩波)


 この(56)は、薬というのはどちらにせよ苦いものだ、と考えるのが普通であろうが、非常にの意味としても違和感がなく思える。程度状態を表す副詞に属するとみてもおかしくないだろう。例(52)も、「ついでに」と訳すよりは「この上ないお情け」と訳したほうがなじむかも知れない。先に中世でとりあげた(22)も、非常に、すこぶるの意味として扱うこともできよう。しかし、これらは少なく、特別な例である。


 他にも、興味深い言い回しがある。


(57)おもへば々々々々(くの字点)にくき心中、とてもぬれたる袂なれば、此うへは是非におよばず、あの長左衛門殿になさけをかけ、あんな女に鼻あかせん 『好色五人女』巻二(注66 日本古典文学大系『西鶴集上』岩波 「好色五人女」)


この(57)は、『日本古典文学大系』では「どうせ濡れ衣を着せられて浮名が立ったからは」と訳されていた。『日本国語大辞典』(※注67 注4同)では、これを「とても濡れたる袖」と同義としていた。「とても濡れたる袖」は、「汚れない前はいろいろと身を守るが、一度汚れてしまえば、二度三度汚れても気にかけないということ」と意味を説明していた。その用例としてあげていたのは


 俳諧・毛吹草「ぬけさやもたん とても濡れたる袖」

 譬喩尽-一「(トテモ)()たる(ソデ)じゃもの」


及び(57)と同じものであった。


 もう一つ面白い表現として、『江戸語大辞典』(※注68 前田勇編『江戸語大辞典』小学館)で、


 嘉永六年以後、柳之横櫛 初下・「迚茂の腐れ此処を立除き何方如何なる果てへも往き」


があった。「とてもの腐れ」は、えぇ儘よ、いっそのこと、の意味で使われているとのことだった。


 副詞「とても」は、肯定を導く使われ方から、どうせ~なら、とやけになっていう使い方をも引き出したと思われる。その結果、「とてもの腐れ」「とても濡れたる袖(袂)」という表現が出てくることになったのだろう。


 また、「とてもに」ということばもある。使用されている意味が同じようなことから、「とてもに」は「とてもの事に」の「の事」を略した使い方と考えられる。


(58)とてもに心落着くため。かたむくろの親仁殿、疑ひのなきやうに誓紙書かすが、合点か。 『心中天網島』(※注69 注20同)

(いっそのことに心落ち着くため、また偏屈な親父殿の疑いの念を晴らすため、誓紙を書かせるがよいか。)


 「とてもの事に」と同じ使い方をしたのはもう一つある。「とてもことに」がそれである。『日本国語大辞典』(※注70 注4同)であげられている例をみてみる。


 ・浮世草子-好色二代男-三・三「是りゃよい羽織さじゃんした。とても事に、ゆきがみぢかいといへば、さてはかり着じゃとおもはしゃるか

 ・浮世草子-好色二代男-八・一「とても事に、後世の種に承りたし


 それから、「とてもなら」という句もある。使われ方は「とてもの事に」と同じようである。「とても~なら」という表現の、間に入るものが抜けたのではないかと考えるのが、一番自然な見方であろう。『言泉』でこれの用例として


 傾城反魂香「さあ、とてもなら早いがよし」


が取りあげられていた。


 江戸時代では、はじめ中世から引き続いた形で副詞「とても」は使われてきた。それがだんだんと、使用される傾向がみえてきている。


 それまでは、どうしてもこうしてもある結果になることを表すために、きわめて感覚的に使われていたので、多様な意味を伴ってしまったのであろう。しかし、『邦訳日葡辞書』(※注71 注64同)で、


 「Totemo トテモ(とても)副詞

 なんとかして、または、どのようにしても。例 Totemo narumai (とてもなるまい)結局は、または、どうしてもそうではあり得まい」


とあるように、どのようにしてもある結局になることを示す意味は、なんとかして、どうしても、へと移ろうとしている。近世では、否定を表す意味と、肯定的な内容を導くことから生じた意味へとまとまりつつあった。


 それまで時々用いられてきた、決意を表す「とても」、諦めや投げやりを表す「とても」は調べてみた限りでは見当たらなかった。かわりに、あとの句に重みをかける「とても」、打消を伴った「とても」及び内容的に否定を表す「とても」が多くなっていた。


 特に、あとの句に重みをかけるものは、中世後期に「とてもの事に」を生んだのち、「とても事に」「とてもに」「とてもなら」、「とても濡れたる袖(袂)」「とてもの腐れ」という句も出てくるほどである。そして「とても」に諦めや投げやりの意味が薄くなると、「とても濡れたる袖(袂)」「とてもの腐れ」が肩代わりした感がある。


 否定的な意味を表すほうは、変わらず続けて用いられている表現である。副詞として成立して以来、失われることなく使用されてきた意味で、近代になっても使われ続けていく意味である。



 2022/1/21 誤字修正しました。

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