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「とても」の語史について  作者: 広峰


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3. 第三章 謡曲及び狂言の「とても」


 第三章 謡曲及び狂言の「とても」


 中世後半になってから、庶民的文化が生まれてきたことがきっかけで、それまであまり用いられなかった副詞「とても」も世相を写実的にとらえた文学があらわれてからは、以前より用いられるようになってきた。


 第三章では、謡曲及び狂言の使用例を調べることによって、当時の「とても」について考えていきたい。



 まず、謡曲での副詞「とても」の意味と用例をあげていく。


〈1〉打ち消しを伴った否定的な気持ちを表す。


(28)過ぎにし筑紫(つくし)(いくさ)に打ち負け給ひ。都へはとても歸らぬ道芝の雑兵の手にかゝらんよりはと思し召しけるか 「清経」(※注36 野々村戒三『謡曲二百五十番集』赤尾照文堂)

(この間の筑紫での戦争でお負けになり都へはとうてい帰ることができず、途中で雑兵の手にかかり死ぬよりは、むしろ自害したほうがましだとお思いになったものか)


(29)シテ「いかに兄弟、迚も遁れぬ道芝の露の命を惜しまずして、最後を凊くたしなみ候へ 「切兼曾我」(※注37 注36同)

(とうてい逃げることのできないはかない命であるから惜しんだりせず、すっぱりと心構えなされい)



〈2〉否定的、消極的な気持ちを表し、諦めや投げやりの感じを伴いやすい。


(30)シテ「いやとても此身は埋木(うもれぎ)の。花咲く世に逢はん事。今此身にあひ難し 「鉢木」(※注38 注36同)

(どうせこの身は埋もれ木のように世間から忘れられた存在であるから、栄華を得ることは今更この身にはあり難いことである)


(31)シテ あぢきなや。とても消ゆべき露の身を。 「清経」(※注39 注36同)

(どうせ消えてしまうはかない身であるものを)



〈3〉肯定的内容を導く。


(32)聞くにつけても法の道なほしも頼む心かな。シテ「とても神代の物語。くはしくいざや現し彼の上人を慰めん。 「三輪」(※注40 注36同)

(聞くにつけても仏法の尊さが、一段と頼もしく思われます。「いっそのこと神代の物語を詳しく示すことによって、さあそれでは玄賓上人を慰めることにしよう) 



〈4〉事柄が成立する前にさかのぼって考える気持ちを表す。


(33)ワキ「それ花は、乞ふも盗むも心有り。とても散るべき花な惜み給ひそ。シテ「とても散るべき花なれども。花に憂きは嵐。それも花ばかりこそを散らせ。 「雲林院」(※注41 注36同)

(どうせ散る運命にある花、惜しんだりなさいますな。どうせ散る運命にある花ではあるけれども、花につらいものは嵐。それも花弁だけを散らして。)


(34)シテ「とても臥したる此卒塔婆。我も休むは苦しいか。 「卒塔婆小町」(※注42 注36同)

(どうせ横になっているこの卒塔婆だもの。私も上に休んでよくないことがあろうか)



〈5〉あとの句に重みをかけていう。


(35)とても世を。背くとならば墨にこそ。背くとならば墨にこそ。 「景清」(※注43 注36同)

(どうせ人らしい生活が出来無いものならば、早く出家をすればよかったのに、それもし得ないで)


(36)さては天上にかへらん事をえたり。此悅にとてもさらば。人間の御遊のかたみの舞。 「羽衣」(※注44 注36同)

(それでは天に帰ることができる。このお礼にそれではいっその事、人の世に後々まで私の記念の舞樂として残るよう)


以上が謡曲の中で使われている意味とその例である。



 次に狂言での用例をあげてみる。


〈1〉の打ち消しを伴った否定的な気持ちを表す。


(37)「(略)とてもたすくる事はなるまひ、尋常に覚悟をさしめ跡を念比にとふらふてやらふぞ」 「ぶあく」大名狂言之類(※注45 池田廣司 北原保雄『狂言集の研究』表現社 及び 北原保雄 村上昭子『続狂言記の研究2大名狂言之類』)

(どうにも助けることはできまい、おとなしく覚悟をなされ、形身はねんごろに供養してやるぞ)


(38)とても御たいめんなされひでかなはぬ事でござる程に、むりにおともいたせと申されまする。 「二人袴」智類山伏類(※注46 『狂言集の研究』及び 北原保雄・小川栄一『続狂言記の研究3智類山伏類』)

(どうしても御対面なさらないわけにはいかないことですので、強いてお供をいたせと申されます)



〈5〉のあとの句に重みをかけるもの。


(39)太郎冠者〽とてもまいるに、何もやらせられぬか、おほしめしわすれさせられた事は御ざなひか 「ぬけがら」鬼類小名類(※注47 『狂言集の研究』 及び 北原保雄・山崎誠『続狂言記の研究4鬼類小名類』)

(どうせ参るのですから、何かすることはありませんか。思し召し忘れた事は御ざいませんか)


(40)親鬼〽やひ聞くが、某がむすめを一人もったが、それにくはれふうか、身どもにくはれふか 為朝〽とてもたすけさせられまひならは、おひめさまにくはれまらせう 「くび引」鬼類小名類(※注48 『狂言集の研究』 及び 北原保雄・吉見孝夫『続狂言記の研究4鬼類小名類』)

(「おい、聞くが、私は娘を一人持っているが、それに食われようか、私に食われようか」「どうせ助けてくださらないとことならば、お姫様に食われます)


以上が狂言で使われている意味とその例である。



 謡曲は、普通、古典文学に題材を求めており、象徴的、超現実的な内容であると言われる。対して、狂言は写実的なものまねの演技が主体で、内容はほとんどが風刺的である。


 謡曲で使用されている副詞「とても」は、中世前半から引き続き同じものがほとんどで意味も多様である。しかし、狂言では方向がいくらかまとまっていて、否定的な意味を示すものとあとの句に重点をおくものが主であった。


 副詞「とても」は中世後半になって使われる範囲がゆっくりと変化しつつあった。これは江戸時代になるとより目立ってくる。


 そうした中で、「とてものことに」という言葉が登場している。これは、あとに重点をおく用い方に近い。意味は主に、いっそついでのこと、同じことならいっそのことにである。例をあげると、


(41)今一度父御に御對面ありたきよし御せられ候ひてこれまではる々々御下向にて候。とてもの事に然るべきやうに仰せられ候ひて。 「景清」謡曲(※注49 注36同)

(今一度父君に御対面したいとの事を言われまして、ここまではるばるお出向きになりました。いっその事に、そのようにせよと言われまして)


(42)只今山へいたらば、もはや行きまひほどに、とてもの事にはやういてとつて()う 「三本の柱」脇狂言之類(※注50 『狂言集の研究』 及び 北原保雄・村上昭子『続狂言記の研究1脇狂言之類』)

(今回山へ行き着いたなら、もう、また行くことはないであろうから、ついでだから早く行って取ってこい)


(43)借手〽(略)いまので大方よふなつてござるが、しやく状があるゆへか。まだむねのいたみがのこつてござる 貸手〽とてもの事に、さひはい是へ持てきた程に、状をやるぞ。 「むねつき」集狂言之類(※注51 『狂言集の研究』 及び 北原保雄・大倉浩『続狂言集の研究7集狂言之類』)

(「今ので大分良くなりましたが、借状があるためか、まだ胸に痛みが残っております。」「ついでのことだ、幸ここに持ってきているから、借状をやろう。」)


などがある。「とてもの事に」は、打ち消しや諦め感よりも、肯定的な意味を引き出しやすい。すなわち、事柄が成立する前にさかのぼって考える気持ちを表す、あとの句に重みをかけていう、といった使用のされ方から流れをくんでいると考えられる。


 もともと~だから、どうせ~だから、という意味は、肯定的要素を内包しており、そこから、どうせ~ならいっそのこと、同じことならいっそ、ついでのこと、という気持ちをもった「とてもの事に」が生じたのだろう。


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