14話 タウロスの斧
早朝。いつものように魔王室へとやってきた俺は、コポコポと紅茶を注ぐ。
始業時間までの貴重な安らぎの時間だ。
「……ふぅ」
俺は備え付けのモコモコとした柔らかい椅子に体重を預け、満足げな笑みを浮かべた。
定期的にこういった安らぎを味わっているからこそ、今日も一日頑張ることができる。
十数分後。
アリスが魔王室へと入ってくる。
いつもと変わらない一日の始まりだ。
ただ少し違うのは、アリスが身体を半分入れた状態で止まってしまったことだろうか。
俺と廊下とを何度も目線が行き来している。
「……アリス、どうした?」
「あの、ええとですね。タウロスさん……くんが今魔王室の前にいまして、どうやらお話があるようなんですが」
どうやら廊下にはタウロスがいるらしい。……ん?
「くん?」
アリスは基本誰にでも「様」付けか「さん」付けのはずだ。
くん付けするのなんて、相手が子供の時くらいなのだが……。
「入れてくれ、アリス」
どことなく違和感を覚えながら、俺はアリスに許可を出す。
「はい……。どうぞ、タウロスくん、入ってきていいですよ」
「魔王様ぁ……ぐずっ……」
そこから入ってきたのは、幼稚園児くらいの背丈のミニタウロスだった。
「どうしたお前、その格好」
その手にはいつも握っている斧は握られていない。
タウロスは自分専用に調整された斧を持っていないと幼くなってしまうがゆえに、常日頃から自前の斧を手放さないようにしていたはずだ。
「何かあったのか?」と思っているうちに、みるみるとタウロスの瞳が潤んでいく。
「斧が……僕の斧が、無くなっちゃったんです……。大事な斧が……っ! うぅぅー……っ!」
「な、泣かないでくれタウロス」
「斧がぁぁ……斧がぁぁ……」
どうすればいいんだこれは!?
俺も半ばパニック状態だが……とりあえず今確認すべきことは、斧についてだ。
「斧が無くなってしまったと言ったか? いつ無くなってしまったのかはわかるか?」
「僕の斧が……うわあぁぁぁんっ!」
俺の一言が決定的な引き金になってしまったのか、タウロスは溜めこんだ涙を一気に放出して泣き出した。
も、申し訳ないタウロス……。俺のせいでお前を泣かせてしまった。
狼狽える俺の前に、スッとアリスがでてきた。
アリスはタウロスと目線を合わせるようにしゃがみこむ。
そして片方の手で背中、もう片方の手で頭を優しく撫でた。
「よしよしー。タウロスくん、元気出してください。アリスお姉さんがついてますからねー」
「うわあぁぁぁんっ! うわあぁぁぁんっ!」
しかし、タウロスは一向に泣き止むそぶりを見せない。
ああ、どうすればいいんだ……!?
もうアリスだけが頼りだ。頼む、なんとかしてくれアリス……!
俺は懇願の眼差しでアリスを目する。
「そんなに泣かないでくださいタウロスくん。あんまり泣かれちゃうとその、アリスお姉さんもちょっと泣きたくなってきますよぉ……」
なんでだ。なんでお前が涙ぐんでるんだ。
俺に理由を教えろ。
「アリスさん、泣いちゃやだぁ……ひっく……泣かないでぇぇ……!」
「うぅっ……タウロスくんは優しいですねえぇ……ぐすっ……タウロスくんも、泣かないでくださいぃぃ……!」
魔王室に二人の鳴き声が響く。
どうしてこうなった。まるで状況が掴めやしない。
これはもう、俺じゃ手に負えんな……。
「アリス、リザヴトを呼んでくる。それまでタウロスを頼めるか?」
あそこにはリザヴト以外にも職員がいる。
リザヴトは後進育成にも力を入れているからな、リザヴト一人借りてきても保育園は回るはずだ。
問題はアリスにタウロスを任せて大丈夫かというところだが……。
「ぐすっ……わがりまじだぁ」
……不安だ……。だが、リザヴトを呼んでこないと話にならない。
俺は急いでリザヴトのいる保育園へと走った。
数十分後。
リザヴトを引き連れて魔王室へ戻ってきた俺が聞いたのは、二人の鳴き声だった。
「うわぁぁぁんっ!」
「ええぇぇぇんっ!」
だから、タウロスはわかるがなんでアリスまで泣いてるんだ。
「リザヴト、タウロスを頼む。……アリス、お前はいい加減泣き止め」
「魔王様の顔、こわいぃぃ……っ!」
アリスは俺の顔を見て、さらに涙の勢いを強くする。
なんか本心っぽくてへこむんだが。
「頭グシャグシャするぞ」
「頭グシャグシャ、やだぁぁっ!」
ぶんぶんを頭を振り回すアリス。
埒が明かないな。
「グシャグシャー」
「ひゃあああぁぁぁっ!?」
アリスの金髪の頭をグシャグシャと乱暴に撫でまわす。
アリスは奇声を上げながら逃げようともがくが、俺は魔王である。逃がすわけがない。
「……うぅ……もう、大丈夫です」
しばらくして、やっとアリスが泣き止んだ。
「手間をかけさせるなよな」
そう言う俺に、アリスはハァ、とため息を吐き首を振る。
「私の頭を乱暴に撫でることで自分の性的興奮を満たすのはやめてください。まったく、これだから魔王様は……」
「もう一回やってやろうか?」
「私、魔王様のこと一番尊敬してます。魔王様ってすごいカッコいいですよね」
コイツ本当調子いいやつだな……。
……っと、それよりタウロスの方はどうなったかなっと。
タウロスとリザヴトの方を向いてみる。
そこには鋭い歯を見せてクールに笑うリザヴトと、ニコニコとした顔のタウロスの姿があった。
「タウロス。我と共に遊ぶべし」
「僕……遊ぶっ!」
「是。漆黒の饗宴、開演!」
「やったぁ!」
リザヴトは子供の機嫌を取るのが上手すぎるな。天性の才能を感じるよ。
というか、漆黒の饗宴が万能ワードすぎないか?
俺も漆黒の饗宴だけ言っていればリザヴトのように子供に人気が出たりするのだろうか。
……。
「……し、漆黒の、饗宴……」
……駄目だ。これ滅茶苦茶恥ずかしい。
「まーおうーさまぁー?」
「……おう、どうしたアリス」
アリスが嫌な笑みを携えながら俺に近づいてくる。
聞かれたか? 聞かれてないよな? 頼む聞かれてないでくれ――
「いえ、ただ『……し、漆黒の、饗宴……』という声が聞こえたので、からかおうと思いまして」
「ぐっ!?」
俺の願いは誰にも届かず泡沫となって消えていった。
まさかアリスに聞かれてしまうとは。
不覚中の不覚だ。この世に神はいないのか。
「中途半端に恥ずかしがっているところが非常にいたたまれなかったですね。顔を赤くしながら言われても笑ったらいいのかどうかさえわかりませんし。そういう発言をするならもっと振りきれないと――」
「も、もうそれ以上言わないでくれ……!」
なんだコイツ、悪魔か!? 傷を的確にえぐり過ぎだろ!
今度は俺が泣くぞ!? 千歳超えてるのに俺が泣くぞ!?
俺の懇願を聞いたアリスは一度口を閉じ、そしてゆっくり再度口を開く。
「でもまあ、誰にでも好かれようと努力する魔王様は嫌いじゃないですよ?」
さきほどまで俺をからかっていたアリスは、一転俺をフォローしてくれる。
これはなんだ、罠か? それとも本心なのか?
俺にはさっぱりわからない。
「あ、ありがとうアリス」
だけど、とりあえずお礼を言っておこう。
それを聞いたアリスは「にひっ」っと笑い、くるりと踵を返して俺に背中を向けた。
「さあ魔王様。遊んでないでタウロスさんの話を聞きましょう。もっとテキパキ動いてください」
「お前はいつもこの上なく理不尽だな」
自分が今の今まで泣いてたのを忘れたのか?
本当に無茶苦茶な……。
「……フッ」
今度は誰にも見られないよう俺は笑って、タウロスの話を聞くことにした。
「なるほどな」
話を聞き終えた俺は組んでいた腕を片方持ち上げ、顎に手を置く。
「朝起きたらいつも握りながら寝ている斧が無くなっていた、と……。タウロスは魔王城に住み込みだったよな?」
たしか引っ越すとかで、先月から一時的に魔王城に住んでいるはずだ。
幸いこの城には部屋だけはあるからな。
「住み込み……?」
ああ、住み込みじゃ意味が分からないのか。知能も見た目相応に戻ってしまうことを失念していた。
首をひねらせるタウロスに、リザヴトが俺の言葉をわかりやすく言い直してくれる。
こういうところはさすが保育園の園長といったところだな。
「汝は魔王城という根城に寄留しているか否か」
「ああ、そういうことか! なら、僕住み込みしてる!」
リザヴトのおかげでタウロスにも理解できたようだ。タウロスはブンブンと首が取れそうな勢いで頷く。
「むしろ寄留の方が明らかに難しくないか?」という疑問は胸の中にしまっておくことにしよう。
「アリス、俺の今日の予定は?」
「特にありません」
「よし、ならやることは決まったな。タウロスの斧探しだ」
タウロスの斧、俺が一つ見つけてやるとしよう。




