第一章:六所明神の闇祭り
おととしの五月、武蔵の府中にある六所明神の闇祭りを見物に来た、江戸の二人連れがあった。
四谷塩町の呉服屋、和泉屋の息子・清七と、その手代の幾次郎である。年は二十二、三。いずれもまだ顔に青みの残る若い衆で、旅に出る口実が立つと、羽が生えたように町を出たがる年ごろでもあった。
闇祭りというのは、今で言えば夜祭りの大がかりなもので、昼間から人が集まって来るくせに、肝心の山車や神輿が動き出すのは日が落ちてからである。昔は「闇」の名の通り、提灯の火まで消して練った時代もあったと聞く。闇の中で人波がうねり、太鼓と鉦の音だけが胸へ響く。見物の者も、いつの間にか息をひそめるようになる――そういう祭りで、江戸の者には、芝居の暗闇の場面を見るような気味と、妙な浮き立ちがあったろう。
二人は柏屋という宿に泊まったが、祭りはほとんど夜明かしで、朝までろくろく眠れない。ようやく夜が白むころになって寝床へもぐり込み、起きたのは午過ぎであった。これでは明るいうちに江戸へ入りにくい。八ツ過ぎに宿を出て、調布でもう一泊することにした。
若い者同士が、ただの宿へ泊まるのはつまらない。甲州街道筋の甲州屋という女郎屋へ、ふらりと入り込んだ。
ここは、府中の友蔵という男の娘が奉公している店で、その娘のお国が清七の相方に出た。幾次郎にはお浅という女がついた。お国は二十歳で、店でも売れっ妓といわれる部類だったが、見すみす一夜泊まりと分かっている江戸の若い客に、ずいぶん手厚くしたらしい。明くる朝、清七とお国とは互いに名残りを惜しみ、門口で立ち尽くして別れたという。
江戸には遊び場所がいくらもある。目の前には新宿も控えている。それでも清七は、お国のことを忘れかねた。店へはどう言い繕ったか知らないが、その後はふた月に一度ぐらい、甲州屋へ通ったのである。
甲州街道の里程は、口で言うほど楽ではない。新宿から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里二十四丁。合わせて四里あまりの道を、季節のいい時は鼻歌で来られても、雨や風の日は足が重い。そこをわざわざ通って来るのだから、迎えるお国のほうも、いよいよ嬉しくなったのだろう。こうして一年あまりが過ぎ、二人の間には身請けの相談が出た。
そうなると親にも打ち明けねばならない。お国が父の友蔵を呼んで話すと、友蔵はよろこんで承知した。
「江戸の客が身請けをするとなりゃ、主人も足もとを見て高いことを言い出すに違いねえ。おれが直々に掛け合って、親許身請けってことにしてやる。十五両か二十両に値切ってやらあ。ともかく、その清七って男に二十両ばかり持たせて来い」
清七はその言葉を信じ、二十五両ほどを懐へ入れて、府中の友蔵を訪ねて行った。
ところが友蔵は、見るからにおとなしい清七を相手に、手練手管で金をまき上げてしまった挙げ句、
「十五両や二十両の端下金で、大事の娘を渡せるものか。娘がほしけりゃ、別に百両の養育料を持って来い」
と、そらうそぶいたのである。
約束が違うと清七が争っても、相手は友蔵だ。清七の敵ではない。果てはさんざんに撲られて、表へ突き出された。
くやし涙に暮れながら甲州屋へ戻った清七が、お国とどんな相談を遂げたのかは分からない。ただ、その夜のうちに二人は店を抜け出し、多摩川の河原へ出た。水が浅いので死ねないと思ったのだろうか。お国が持ち出した剃刀で、男は女の喉を突き、つづいて自分の喉を突いた。それでもすぐには死に切れず、血みどろの二人が抱き合ったまま浅瀬へすべり込み、倒れているのを、明くる朝になって見付けた。
書き置きらしいものは残っていなかったが、合意の心中であることは疑うまでもなかった。
それは去年の八月、河原の蘆の穂が白らみ、昼の暑さのあとに川風だけが冷たくなるころの出来事である。若い男女をむごたらしい死の淵へ追いやったのが友蔵の悪法だということは、自然に世間へ知れ渡った。だが相手が相手で、甲州屋でも表向きの掛け合いはしなかった。それをいいことにして、友蔵は平気で遊び暮らしていた。
その以来、もとから評判の悪かった友蔵は、いよいよ土地の憎まれ者になった。お国と清七の幽霊が恨みを言いに出るという噂まで立った。昼間は平気な顔をしていても、夜になると血だらけの幽霊ふたりに責められて唸るのだ――などと、誠しやかに言い触らす者もある。
半七がこの話を聞いたのは、宿屋の女中らの口からであった。
「なるほど、ひどい野郎だな」
半七も子分もそう言ったが、合意の心中である以上、表向きには友蔵をどうすることも出来ないのは分かっている。そこで、その上の詮索もしなかった。
翌朝、宿を立って宿場のはずれへ来かかると、きのうの男の児が、二、三人の友達と往来で遊んでいる。半七の子分の幸次郎が声をかけた。
「おい、おい。お化けの出る家ってのは、どこだえ」
「あすこだよ」
男の児が指さしたのは、七、八軒さきの小さい茅葺の田舎家で、強い風には吹き倒されそうに傾きかかっている。その軒先には大きい槐の樹が立っていた。
どうせ通り道である。三人は家の前を行き過ぎながら横眼で覗くと、槐の股に一羽の大きい鵜がつないであり、その足に「うりもの」と書いた紙片が結び付けてある。
それを見て、善八が妙な気を起こした。
「もし、この鳥ァ売り物ですかえ」
うす暗い奥には、衾をかぶって転がっている男がいたが、眼は醒めていたとみえて、すぐ半身を起こした。
「むむ、売り物だよ」
「幾らで」
「三歩だ」
「高けえね」
「なに、高けえことがあるものか」
言いながら起きて来た男は、四十二、三の、赭黒い肌をした大男で、頬ひげが濃い。人相のよくない眼で三人をじろじろ睨み、にわかに声を荒くした。
「え、ひやかしちゃいけねえ。おめえ達はその鳥を知ってるのか。鵜だよ、荒鵜だよ。おめえ達みてえな人間の買う物じゃねえぜ」
「鵜は知ってるが、値を訊いてみただけだ」
善八が言い返すと、男はますます腹を立てた。
「それだからひやかしだって言うのだ。江戸の人間が鵜を買って行ってどうする。――この頃の江戸じゃ、鵜を煮て喰うのが流行るのか。朝っぱらから、ばかばかしい。帰れ、帰れ」
半七が、黙って引き下がるのも癪で、口を挟んだ。
「まあ、堪忍してくんな。まったくおめえの言う通り、鵜を買っても土産にならねえ。話の種に値を訊いただけだ。だが、その鵜はどこで捕った」
「四、五日前にどこからか飛び込んで来たのよ。おおかた明神の森へ帰る奴が、戸惑いをしたんだろう。森にいる奴を捕るのはやかましいが、おれの家へ舞い込んで来たのを捕るのは、おれの勝手だ。そいつァ荒鵜のなかでも荒い。うっかり寄って喰いつかれても知らねえぞ。馴れてる俺でさえ怪我をした」
男はそう云い捨てて、奥へ引っ込んだ。もう相手にならないという風である。
半七は軽く会釈して、その家を離れた。
「あいつが友蔵か。なるほど、可愛くねえ奴らしいな」
幸次郎が歩きながら言うと、半七は笑って、
「善八が、つまらねえひやかしをするから、あんな奴に頭を下げる羽目になった」
善八は口を尖らせたが、半七は続けて言った。
「本当に幽霊が出るか出ねえかは知らねえが、あんな野郎のところへ出たら災難だ。幽霊に肩を揉ませるか、飯を炊かせるか、どっちにしろ碌なことにならねえ」
三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯を食い、汗の引くまで一休みしてから、大木戸を越して四谷通りへかかる。塩町の中ほどで、幸次郎が急に半七の袖を引いた。
「もし、親分。和泉屋ってのは、そこですよ」
暖簾をかけた呉服屋が見えた。四間間口、奉公人も何人か使っている。ここらでは相当の旧家であろう。半七は店先をそっと覗き込み、胸のうちで舌を鳴らした。
これだけの店の息子が、二十両や三十両のことで命を捨てるにも及ぶまい。そこには、まだ口に出せない仔細があるのではないか――半七は、そう考えたのである。




