第四章:床下の薄雲
「三太。ちょいと、万力甚五郎のことを訊きてえ」
半七がそう言うと、三太は一瞬、顔の血を引かせた。境内の片隅へ連れて行く。鳩が羽を打ち、遠くで太鼓の試し打ちが、乾いた響きを返した。
「親分さん。あっしぁ余計なことは……」
「余計じゃねえ。人の首が飛んでる。おめえの口を借りるだけだ。万力は近ごろ、具合が悪いって話を聞いたが」
三太は唇を舐めてから、低い声で言った。
「万力は、伊勢屋の旦那の贔屓で……。このところ、気が荒かったようで。冬場所も負け越しで、機嫌が悪い。あと、あの人には黒松って取的がついていやす」
「黒松……。どこの者だ」
「遠州掛川だと。名も知られねえ小者でさ」
半七は、うなずいた。取的一人なら、夜の仕事も手伝わせられる。さらに半七は、柳橋で徳次から聞いた話を、わざと別の角度からぶつけた。
「花見のとき、万力の刀を取り上げた若い武家がいたそうだな」
三太は、ここで腹を決めたらしかった。目を細め、鼻で笑うように言う。
「銀之助さまでしょう。小栗さまの次男で、深川の旗本へ養子に行ったって……。それがまた、平井善九郎さまとつるんで、遊びが派手で。万力に両手をつかせたって、吹聴して歩いてましたよ」
半七の胸の底で、砂が落ちるように何かが定まった。銀之助の放蕩、伊勢屋の妾宅、お俊、万力の屈辱。どれも一本には見えぬが、糸を束ねれば、首を碁盤へ載せる理屈が出る。
「お俊のところへ、銀之助が出入りしていたって噂は?」
「それは……」三太は首をすくめた。「あっしらの耳へは、はっきりは。けれど、あの手合いは、表じゃあ人を笑わせ、裏で肝心を隠しますから」
「それで十分だ」
半七は金貨を、三太の掌へ滑らせた。三太は受け取らず、手を引っ込める。
「親分さん、これは……」
「今夜、鉦を叩く手の油代だ。黙って取れ」
三太は苦い顔をして、ようやく袖へしまった。
木枯らしが一晩じゅう江戸の町を舐めまわして、明け方の瓦も板塀も白く凍った。神田三河町の半七の家でも、井戸端の桶の水が薄く張っている。
五ツ半(午前九時)ごろ、子分の松吉が駆け込んで来た。息が白い。
「親分。やっぱり……深川六間堀の柘榴伊勢屋でさ」
松吉の持ち帰った話は、半七の胸で組み上げていた筋に、きれいに噛み合った。薄雲の碁盤という因縁物が伊勢屋の蔵にあること。その碁盤を置くと鼠が出ねえという噂が、深川の同業者のあいだでも立っていること。――半七は煙管を膳の縁へ置き、短くうなずいた。
「よし。八丁堀へ行くぞ」
八丁堀同心の熊谷八十八へ、半七は手短に筋を通した。女の首を碁盤に載せて武家門前へ晒すなど、町方の噂は放っておけば毒になる。しかも相手は力士である。証拠が要る。熊谷が目配せをすると、話は早かった。
同じ日のうちに、深川北六間堀の伊勢屋由兵衛は番屋へ呼ばれた。暖簾に染め出した柘榴が、冬の空に渋い。伊勢屋は、顔色こそ動かさぬが、眼の奥が濁った。半七は言い逃れの道を先に塞ぎ、碁盤の出入りと、お俊という女のことだけを押さえた。
その足で、本所回向院門前の万力甚五郎の長屋を改めにかかった。ところが家の中は、湯呑も茶碗もそのまま、火の気だけが抜けている。取的の姿もない。半七が台所の板を二、三枚はがさせると、土の匂いがむっと立った。
次の瞬間、土の下から出たものを見て、松吉は唇を噛んだ。
首のない女の死骸であった。
金貨:一朱金(250文くらい)、当時、酒屋で量り売りしてもらって、日本酒一升200文前後。ちょっとしたお店で飲み食いできるくらいの金額。




