表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
384/427

第三章:すすきの一叢

 堀江の村へ着いて、宇兵衛という百姓の家をたずねあてる前に、半七と善八は、まず近所の口をたたいた。こういう土地では、よそ者の足音がすぐに噂になる。干潟へ潮が引けば、貝掘りや小魚を追う人がちらほら出るだけで、旅人の出入りは多くない。まして冬枯れの田のあいだを、江戸者らしい身なりがぶらぶら歩けば、犬も吠えずに首をかしげて見送る。


 聞き合わせの答えは、案の定であった。お熊という娘は九月のはじめに一度帰って来たが、半月ほどするとまた出て行ったという。行く先は兄がはっきり言わず、船橋のほうだの、八幡のほうだのと、口々に噂が割れる。武家奉公ではなく、茶屋奉公に出たらしい――そうなると、娘の行く先を表だって言いたがらぬ兄の気持ちも、田舎の者には察しがつくのである。


 それよりも、半七の耳を引いたのは「江戸から男が来た」という話だった。十月の初めに二人づれが来て、つづいて中ほどに一人が来て宇兵衛の家に泊まった。顔つきや身なりをたずねると、初めの二人は四谷の常陸屋の子分らしい。後のひとりは――どうやら伝蔵その人であるらしい、という。


「ともかく、宇兵衛の家へ行ってみるがいい」


 半七はそう言って、先に立った。冬枯れの田のあいだに、ちいさな百姓家が見える。門口に、刈り残した枯れすすきが一叢、立ち枯れのまま黒ずんでいる。海のほうから来る風が、そのすすきを鳴らしもしないで、ただ冷たく通り抜けた。


 すすきの蔭から覗くと、家は小づくりだが、ひどく貧しい所帯にも見えない。形ばかりの垣の内に、空地がゆったり取ってある。葉を落とした猫柳の下に井戸があり、二十四、五の女房らしい女が、井戸端で洗い物をしていた。水の音が、冬の空気の中で硬く響く。


 半七と善八が声をかけると、女房は濡れ手を着物の端でぬぐいながら出て来た。眼の奥に、見知らぬ者を量る色がある。半七は、ここへ来るまでにきめて来た通りの顔で、低く頭を下げた。


「宇兵衛さんはお内でございますか。あっしらは江戸の者で、成田さまへ参詣いたしまして、その帰り道にちょいとおたずね申しました。これは、ほんの土産のしるしで……」


 善八が風呂敷をほどく。中から羊羹が二本、ぬらりと黒い艶を見せた。昨日、行徳の宿で遠州屋才兵衛が「成田みやげ」と言って差し出したものである。女房は、その羊羹を受け取ってよいものかどうか、手を出しかねた。田舎の者は疑い深いというより、よそ者の親切を、まず怖がる。


「宇兵衛さんは――」


 半七が重ねて言いかけた時、裏の畑から土大根を二、三本ぶらさげた男が姿をあらわした。二十八、九。日に焼けた頬の皺が若いのに、眼が正直である。女房が駆け寄って何か囁くと、男は井戸端に大根を置いて、門口へ出て来た。


「宇兵衛は、私だが……おまえさん方は江戸から来なすったのかね」


「ええ。成田さま帰りで、番町のお屋敷に奉公していたお辰さんに頼まれまして。お熊さんのことを、様子だけでも聞いて来てくれ、と」


 お辰という名を出すと、宇兵衛の顔がふっとやわらいだ。妹の朋輩で、福田の屋敷が潰れたあと、四谷のお城坊主の家へ奉公替えした女――その名は、宇兵衛の耳にも入っていたのである。


「ああ、そうでしたか。番町では妹がいろいろ厄介になりましたそうで……。まあ、どうぞ、こちらへ」


 宇兵衛は内へ招こうとしたが、半七は入口の上り框に腰をおろした。あっしらは急ぎだと言って、わざと中へ入らぬ。中へ上がれば、囲炉裏の火にあたらされ、茶の一杯も出される。そうなれば、話は長くなる。半七は、ここで聞くべき骨だけ聞いて立つつもりである。


「お構いなく。早速でございますが、お熊さんはどうしました。お辰さんが心配しておりましてね」


 宇兵衛は丁寧に頭を下げ、声を落とした。


「ご親切にありがとうございます。……それでは、お前さんも大抵はご承知でしょうが、お熊の奴め、飛んでもねえ心得違いを致しまして、なんとも申し訳ございません」


「若い者のすることは、間違いもある。だが、その後いろいろ出来したそうで――」


 宇兵衛は、九月に妹が帰って来た時の話を、まるで土を掘り返すように、ぽつぽつ語った。初めは隠していたが、様子がおかしいので詮議すると、屋敷を暇になったわけを白状した。相手は中間で、先の見込みはない。女房も宇兵衛も、よくよく意見をした。お熊も眼が醒めたようで、男のことは思い切ると言った。


 だが、田舎にいても仕方がない。もう一度江戸へ奉公に出してくれと頼む。宇兵衛夫婦は不安だったが、強く頼まれて、とうとう出してやった。お熊は出際に、もし伝蔵がたずねて来ても行く先を教えるなと、念を押して行ったという。


「今度は、江戸のどこへ奉公に?」


「下谷の……遠州屋という道具屋さんで……」


 その瞬間、半七と善八の眼が合った。行徳の宿で顔を合わせ、道連れになるのを厭うように横道へ切れ、干潟で何かを探っていた――あの遠州屋才兵衛の店に、お熊が奉公している。因縁というより、胸の奥に細い棘が立つ。


 宇兵衛はさらに言った。十月十日頃、江戸から御用聞きが二人来て、お熊はどうした、伝蔵は来ているかと詮議した。話を聞けば聞くほど、伝蔵という男の悪さがわかり、妹に早く思い切らせて良かったとつくづく思った――そう言った五、六日の後、その伝蔵がふらりと来たので、夫婦はぎょっとした。


 伝蔵は、近所で探って来たらしく、お熊がいないことを知っていた。どこへ行ったとしつこく訊く。だが夫婦は知らぬと突っぱねた。お熊は断りなしに家出をして、いまどこにいるかわからぬ、と、強情を張り通した。伝蔵は、今夜だけ泊めてくれと言い、ひと晩泊まり、翌朝には路用の金を貸せと迫った。


「うちに金なんぞある筈もありません。それでも幾らか出せとゆすりますので……銭三百ほど、かき集めてやりました」


「それで、おとなしく立ち去りましたかえ」


「お尋ねの身の上だから、うかうかしていられない、と、自分でも言っていました。……その晩は、度胸がいいのか、高鼾たかいびきで寝ておりました」


 宇兵衛夫婦は、村役人へ訴え出るべきだったと、口では言う。だが、伝蔵が恐ろしくて、どうにもならなかった――それが本音である。正直者の弱さが、言葉の端ににじむ。


 その時だった。


 門口の枯れすすきの蔭から、内を覗く影がある。半七がふっと眼を上げると、そこに遠州屋才兵衛が立っていた。さっきの道連れが、いつの間に先回りをして、この家の門口に貼りついていたのである。半七らと顔を合わせた才兵衛は、笑うにも笑えぬ顔をした。半七らのほうも困った。お辰の使いだと名乗って来た化けの皮が、いま剥げかけている。


 だが、聞くべき骨は聞いた。半七はすっと立ち上がった。


「どうやら、お客があるようだ。あっしらは、これで失礼いたします」


「どうも、お構い申さず……。お辰さんに、よろしく」


 宇兵衛夫婦に送られて門口へ出ると、逃げるわけにもいかぬ才兵衛が、そこに突っ立っていた。


「やあ、お前さんも来ていたのかえ」


 半七は、それだけ言い捨てて、田圃道をすたすた歩いた。善八も無言でつづく。七、八間ほど行ってから、善八が振り返り、低く言った。


「親分。あの遠州屋、変な奴でございますね」


「自分のくれた成田の羊羹が、あすこに置いてあるのを見て驚いたろうさ」


 半七は笑ったが、笑いの底は冷えていた。遠州屋がここへ寄り道した理由は、まだ言葉にならぬ。お熊は遠州屋に奉公している。常陸屋の子分が詮議に来た。伝蔵が一泊した。遠州屋が、すすきの蔭から覗いていた――。


 冬の田の匂いに、海の潮がかすかに混じっている。半七は足を止めず、胸の内でその匂いを嗅ぎ分けるようにして、次の一手を考えはじめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ