エピローグ:親許身請
半七老人の話が、権田原の闇の底で途切れたように見えたとき、僕は知らず身を乗り出していた。縁側の猫が、こちらの膝へ顎をのせ、喉を鳴らしている。庭の槙の葉が、五月の風にかすかに擦れた。赤坂の場末にも、梅雨の気配がまだ薄く、陽は明るいのに、どこか空気に湿りがある。
「取押えましたか」
僕が問うと、老人は煙草盆の灰を小さくならし、にやりとした。
「捕り損じちゃあ事こわしです。先生、ご安心ください」
老人は、あの晩の穴の底で、相手の肘を外へ折るように巻き、土と草にまみれたまま手縄をかけたと言った。相手は刀を捨てて組み付いたが、手捕りの場へ引き込まれた時点で勝負が決した。結局、そいつは野口武助という浪人ごろつきで、六道の辻で「伊沢千右衛門」を名乗った仇討の正体である。
「自分の親の仇討なんぞじゃありません。先生、ああいうのは講釈です」
武助の口から出た真相は、盗みの仲間割れの恨みであった。金蔵の金を抜いて国を出たあげく、仲間に金を持ち逃げされ、江戸へ出てからは追剥や強請で糊口をしのいでいた。六道の辻で斬られた若党は、昔の仲間で、いまは旗本屋敷へ潜り込んでいたが、懐に二両近い金を持っていた。給金取りの若党がそんな金を持つのは妙で、つまりは悪銭が身に着いていたのだろう、と老人は淡々と言った。死人に口なしで、そこはもう詮議のしようがない。
しかし、佐倉の百姓一行の方は、武助ひとりで片が付く話ではない。僕がそう言いかけるより早く、老人の眼が細くなった。
「先生には、まだ判りませんかな。権田原で取押えたのが野口武助です。武助だって酔狂に抜身を振り廻したんじゃない。千駄ヶ谷谷町の米屋――下総屋の茂兵衛と、糸を引き合っていたんです」
老人の言う茂兵衛は、女房に死に別れた独り身で、当時は新宿へ昼遊びに出て、そこで武助と知り合った。夜は家を空けないので近所も気づかず、悪い者同士が妙に折り合って、しまいには茂兵衛が総大将格になった。内には店の若い者の銀八、外には浪人の武助。その二人を両手のように使い、ゆすりだの拐しだの、手を汚したという。
僕は、化物屋敷と赤い櫛を思い出した。老人は頷いて、あの夜の踏み込みを、いかにも当たり前のことのように言った。
「先生、糠の匂いがいたしましてね。米屋の息が、あそこに沁み込んでいたんです。あたしは、匂いで行き先を決めました」
半七老人の話では、その場で銀八を取り押さえ、押入れの奥からおさんとお種を引きずり出した。娘たちは泣く声さえ枯れていて、赤い櫛だけが妙に新しく見えたという。
「二人とも、口を利けば殺すと脅されていたらしい。ですから、途中で逢っても、声が出なかった。……ああいう悪党は、女の喉を先に縛ります」
老人は煙草盆の灰をならし、淡々と続けた。
「下総屋の茂兵衛は、逃げようとしても逃げられません。番所の手を借りて、あとは袋の鼠です」
そこまで聞くと、あとは、捕り物の場面が目に見えるようであった。老人の口ぶりはあくまで平らだが、踏み込む時の気合や、縄の締まる音が、行間からこちらへ来る。
茂兵衛と銀八は早く召し捕られた。金右衛門は浅手で癒え、為吉の傷も一時は危ぶまれたが、二月ほどで全快した。国許から迎えが来て、四人は揃って帰ったという。もし茂兵衛らがもう少し野放しなら、金右衛門は「二度目の仇討」で命を取られていたかもしれない。老人は、そのあたりをさらりと言って、茶をすすった。
僕はふと、権田原の榛の木の下で出逢った道行の二人を思い出して、笑いながら訊いた。
「それから、あの道行はどうなりました」
老人も笑った。皺の間から、若い頃の悪戯っ気がのぞく。
「この方は、なんと云っても芝居がかりの粋事です。男も女も、借金と云ったところで知れたものですから、わたしが口を利いて、甲州屋の方は親許身請ということにして、お若のからだを抜いてやりましたよ」
親許身請というのは、遊女屋へ親元が身請金を払って娘を引き取る建前である。親など居ない場合でも、世間の顔を立てるために、そういう形にして内済にすることがある。老人は、乗りかかった船だと言って、半七の腹切り――つまり自分の持ち出しで幾らかの金を工面したのだそうだ。
「先生、わたしだって、人を縛るばかりが能じゃありません。時にはこういう立役にもなります。ははははは」
老人の笑い声に釣られて、猫が伸びをして縁側を渡った。障子越しの光が、白い髭の端をうすく照らす。新富座の宗吾で泣き、江戸の仇討で笑う――この老人の胸の中には、芝居と人間の暗がりが、いつも並んで住んでいるのだろう。
僕は手帳を閉じた。外の風が、遠い電線をかすかに鳴らし、明治の東京が、音だけはもう江戸ではないことを告げていた。




