第一章:猪番小屋の惨劇
事件の起こりは、寛延元年(一七四八年)九月十三日の夜。
場所は下総国新石下村。利根川と鬼怒川に挟まれた、水利は良いが水害にも泣かされる、そんな土地柄である。
この村の庄屋、茂右衛門が持つ畑の一角に、猪番小屋があった。
猪番小屋といえば、普通は寝起きもままならぬ粗末なものだが、ここの小屋はいくらかマシで、下男の七助という十九の若い男が寝泊まりしていた。七助は、昼間は庄屋の畑仕事を手伝い、夜はこの小屋で猪の番をするのが役目である。
年頃の男が一人で寝起きする小屋だ。自然と、村の若い衆の溜まり場となる。
この夜も、七助の他に六人の男が集まっていた。佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門、甚太郎、権十。いずれも二十歳前後の、血気盛んな連中である。
折しも、今夜は十三夜。後の月見である。
「猪なんぞ、今夜は出やしねえよ」
「それより月見だ、月見!」
誰かが濁り酒の入った徳利を運び込み、別の者が、近くの沼で獲ったという鮒の甘露煮や、ありあわせの香の物を肴に持ち込んだ。
狭い小屋の中、土間の筵の上で車座になり、酒盛りが始まった。
「おい、七助、お前も飲め」
「番はどうでもいい。猪の奴、こっちの騒ぎに恐れをなして、出てくるもんか」
若い連中の馬鹿話と笑い声は、亥の刻(いのこく。午後十時頃)過ぎまで、秋の夜のしじまを破っていたという。村の者が、畑の向こうから聞こえるその騒ぎ声を、寝床で聞いていた。
やがて、酒が尽き、話も途切れ、七人は酔いに任せてごろごろと折り重なるように寝入ってしまった。
夜が明けた。
いつもなら、鶏鳴と共に起き出す七助が、その日は小屋から出てこない。不審に思った庄屋茂右衛E門の家の者が、様子を見にやった。
小屋は、雨戸がぴしゃりと閉め切られている。
「七助、七助! 朝だぞ!」
戸を叩くが、返事はない。不審に思い、戸の隙間から中を覗こうとした男は、ひ、と息をのんだ。
隙間から、何やら煙が漏れ出ている。それも、ただの煙ではない。目と鼻を刺す、異様な匂いがした。
「こりゃあいけねえ!」
男は、無理やり戸を引き開けた。
途端、ごぼりと音を立てるかのように、薄黒い煙が小屋の中から溢れ出した。男は、たまらず咳き込み、二、三歩後ずさった。
煙が少しおさまったところで中を覗くと、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
ただでさえ狭い小屋の中に、大の男が七人、折り重なって倒れている。足の踏み場もない。
「おい、しっかりしろ!」
一人一人揺り起こすが、反応がおかしい。
かろうじて、「うう……」とかすかな呻き声を漏らしたのは、甚太郎と権十の二人だけ。
番人の七助、それに佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人は、すでに体が冷たくなり、息が絶えていた。
庄屋茂右衛門が駆けつけ、村中が大騒ぎとなった。生き残った甚太郎と権十も、半死半生といった有様だ。
必死の介抱で、二人はどうにか正気を取り戻した。だが、五人はついに生き返らなかった。
生き残った二人の話は、要領を得なかった。
「酒を飲んで、酔っぱらって、そのまま寝ちまった。何も覚えちゃいねえ……」
「ただ、なんだか夢うつつで、ひどく息苦しくなって……。でも、体が金縛りにあったみてえに動けなかっただ……」
はじめは、持ち込んだ酒か肴にあたったのではないか、食中毒か、という話も出た。
だが、現場を詳しく調べると、奇妙なことがわかった。
小屋の中央にある炉の中に、松葉を焚いたらしい灰が、うず高く積もっている。焼け残った青い松葉も、あたりに散らばっていた。
「夜寒をしのぐために、火を焚いたのか」
「それにしちゃあ、松葉なんぞを。煙くてかなわんだろう」
そう思ったが、生き残った二人は、首を横に振る。
「火なんぞ、焚いちゃいねえ。雨戸を閉めたのは覚えているが、炉に火は入れてねえだ」
「大体、この小屋に、そんな青い松葉なんぞ積んでおいた覚えはねえ」
しかし、証拠は歴然としている。おびただしい量の松葉が炉にくべられたのは、その灰の山を見れば明らかだった。
さらに検分を進めると、灰の中から、焼け焦げた青唐辛子のかけらがいくつも見つかった。
七人の男が、正体もなく寝入っている。その隙を狙い、何者かが小屋に忍び込んだ。そして、炉に青松葉と青唐辛子を大量に放り込み、彼らを燻し殺そうとしたのではないか。
松葉燻し。
狐憑きの病人から狐を追い出すと称して、この松葉燻しを行い、あやまって病人を殺してしまうというむごたらしい事件は、江戸でも田舎でも、時折耳にする。
だが、これは病人ではない。酔いつぶれた七人の若者を、まとめて燻し殺そうとしたのだ。その残忍さに、人々は慄然とし、顔を見合わせた。
盗みの形跡はない。番小屋に盗るべきものなど、ありはしない。
では、怨恨か。
しかし、七人まとめて、となると話が厄介だ。中には、何の恨みも買っていない者が、巻き添え(傍杖・そばづえ)を食った可能性もある。
庄屋茂右衛門が中心となり、色々と調べたが、これという手がかりは何も浮かんでこなかった。
そうこうするうちに、村人の誰からともなく、ある噂が囁かれ始めた。
「ありゃあ、小女郎狐様の仕業だ……」
この土地には、古くから「小女郎狐」という古狐が棲みつき、様々な神通力を見せると言い伝えられていた。
美しい女に化けて男を化かす。美少年に化ける。大入道にも化ける。ある時は、きらびやかな大名行列を見せ、またある時は、源平屋島の合戦を目の前に再現して見せたともいう。
それゆえ、土地の者はこの狐を「小女郎さん」と呼び、畏れ敬い、決して危害を加えようとはしなかった。
ところが。
この事件の五、六日ほど前のことである。
畑に猪を誘い込むために掘ってあった陥穽に、一匹の小狐が落ちて出られなくなっているのを、男たちが見つけた。
それが、あろうことか、今夜死んだ五人――七助、佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門――であった。
五人は、いたずら半分にその小狐を生け捕りにすると、寄ってたかって松葉で燻し、面白がって責め殺してしまったという。
「あの小狐は、小女郎様の眷属に違いねえ」
「その仇討ちだ。だから、五人は松葉燻しで殺されたんだ」
その証拠に、直接手を下した五人は死に、その場にいなかった甚太郎と権十の二人は、命拾いをした。
事情が事情である。人間の仕業とは、到底思えない。これは狐の祟りに相違ない、という説が、日増しに強くなっていった。
役人の検視も一通り済み、五人の亡骸は、村の高巌寺に葬られた。
このあたりの葬式は、夜に行われる。その宵、無数の狐火が、高巌寺の裏山に乱れ飛ぶのを、多くの村人が目撃したという。




