第一章:柳橋の凶報
その、花火の上がらぬ川開きの日、慶応元年五月二十八日の昼過ぎであった。
例年ならば、子分の者どもを引き連れ、両国界隈の雑踏を警戒して回らねばならぬ日だ。それが、今年は花火も「お触れ」により見合わせとあって、半七は神田三河町の自宅で、いわば「お役御免」の楽を決め込んでいた。
「こりゃあ、たまには骨休めといくか」
女房のお仙が用意した、冷たくひやした麦湯をすすり、ごろんと畳に寝転んだ。初夏の風が格子戸を抜け、昼寝にはまこと、いい塩梅であった。
そこへ、表口から転がり込むように駆けてきた者がある。
「お仙さん! お仙さんはいらっしゃいますか!」
女の甲高い、切羽詰まった声だ。
お仙が慌てて土間に応対に出る。何か、泣きながら窮状を訴えている様子であったが、やがて、お仙に促されて座敷へといざり込んできた。
半七が寝ぼけ眼で起き直ると、それは柳橋の芸妓・お照の妹分で、名を「お浪」という十八になる小綺麗な女であった。
柳橋といえば、隅田川の河口近く、江戸でも指折りの花街である。船宿と粋な料亭が軒を連ね、旦那衆の遊び場として知られていた。
「よう、浦島太郎が昼寝を決め込むところへ、乙姫様のおな~り、か」
半七は目をこすりながら軽口を叩いた。
「今年は花火もなしだそうで、どうも不景気なこった。だが、まあ日取りは日取りだ。茶屋や船宿は、ちっとは忙しかろう」
言いながら、お浪の姿を改めて見る。
島田は職人のごとく美しく結い上げられているが、顔には白粉の跡もない、いわゆる「素顔」である。その目が、泣き腫らされているのが分かった。
川開きという「書き入れ」の物日に、ふだん着の浴衣のまま、家を飛び出してきた。尋常なことではない。
「どうした。姉さん(お照)と喧嘩でもしたか。近頃、いい旦那でもできたという評判だから、それで姉さんと揉めたか? そいつは辻番違いだぜ」
半七がからかうように覗き込むと、お浪はかぶりを振るばかりだ。
「お前さん、そんなどころじゃないんですよ!」 お仙が、顔をしかめて割って入った。 「なんでも、姉さん(お照)が今、番屋に止められた、と。ねぇ、お浪ちゃん」
「姉さんが、番屋に?」 半七も、団扇の手を止めた。 「客のことで、何か揉め事か?」
「親分さんは、まだ何も……」お浪は、涙をこらえきれぬ様子だ。「お聞きになってないんですか」
「ああ、何も知らねえ。おめえんとこ(お照の家)で、何かあったのか」
「お父あんが……。けさ、殺されたんですよ!」




