第五章:消えた才蔵、殺された猫
午飯を食って、二人がこれから出掛けようとするところへ、もう一人の手先・善八が、ぼんやりした顔でやって来た。 「どうも、親分。面白い見付け物はありません」
善八が調べた万歳の線である。 「御存知の通り、麹町の『三河屋』は、屋敷万歳の定宿で、毎年、五、六人はきっと巣を作っていますから、念のために其処へも行ってみると、案の定、そこにもう五人ばかり来ていました。そのなかで、市丸太夫という男の才蔵が、まだ揃わない。太夫は心配して、朝から探しに出たそうです」
この頃の万歳は、昔のように日本橋の四日市に「才蔵市」が開かれて、三河から出てくる万歳どもが其の市へあつまって、思い思いに自分の才蔵を択ぶ、という仕組みではなくなっていた。 天保以後はそれがもう廃れて、万歳と才蔵とは「来年も頼む」と約束して別れる。 そうして、その年の暮に万歳が江戸へ下ると、主に安房、上総、下総といった房総方面から出て来る才蔵は、約束の通りその定宿へたずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。それが例となっていた。
遠国同士の約束は甚だ不安のようではあるが、義理の固い才蔵は、万一自分に病気その他の差し支えがある場合には、差紙(紹介状)を持たせて、必ず代人を上せることになっている。大抵は、それで間違いも無しに済んでいた。 その才蔵が、約束通りにたずねて来ない。又その代人もよこさない。 これでは、万歳の市丸太夫が当惑するのも無理はなかった。 いくら立派な出入り屋敷をたくさん持っていても、鼓を打つ才蔵を連れない万歳は、武家屋敷の門松をくぐる訳にはゆかないのである。
「その才蔵は、なんという名で、どこの奴だ」と、半七は訊いた。 「下総の古河の奴で、松若というんだそうです」 「松若……。洒落た名だな」と、亀吉は横から口を挟んだ。「すると、親分。その松若が、くだんの詮議者(=行き倒れ)ですかい」
「で、その市丸太夫というのには、逢わねえんだな」と、半七は善八に念を押した。 「逢いません」と、善八は答えた。「なんでも、五十二、三の大柄の男で、酒を飲むとむやみに陽気に騒ぎ散らすと、宿の女中が話していました。ふだんはまじめな面をしているが、なかなか道楽者らしい男で、酔うと三味線なんぞを、ぽつんぽつん弾くということです」
「そうか。それじゃあ善八、おめえはもう一度その『三河屋』へ行って、市丸太夫の帰るのを待っていろ。その才蔵の松若というのはどんな奴か、年恰好はどうか。又、その鬼っ児に何か心あたりはねえか、よく調べてくれ」
善八を再び麹町へ出してやって、半七と亀吉のふたりは、下谷の稲荷町へ足を向けた。 朝からの空っ風が、白い砂けむりを吹き巻いている。 上野の山下を抜け、広徳寺の前をうろついて、ようように香具師の富蔵の家を探しあてた。 鉤の手に曲がっている薄暗い路地の奥で、隣の空地には、小さな稲荷の社が祀られていた。
近所で訊いてみようと四辺を見まわすと、三十格好の女房が、真っ赤な手をしながら井戸端で大束の冬菜を洗っていて、そのそばに七つ八つの男の児が、鼻を垂らして立っていた。
「もし、おかみさんえ」 半七は近寄って、馴れ馴れしく声をかけた。 「あすこの富蔵さんは、お留守ですかえ」
「富さんかい。今はいませんよ」と、女房は素気なく答えた。
「きょうは、薬研堀の方へでも行ったかも知れませんね」 富蔵は独身者で、香具師とはいうものの、自分が興行をしているのではない。どこかの観世物小屋に雇われて、木戸番を勤めているらしいことは、亀吉の報告でわかっていた。 半七は、声を潜めてまた訊いた。
「あの富さんの家に、猫が飼ってありましたか」
「猫ですか。……ああ、あの猫じゃあ……」 云いかけて、女房はぴたりと口を噤んでしまった。
「その猫が、どうかしましたかえ」 女房は、自分のうしろをちょっと見かえって、やはり黙っていた。
素直には云いそうもない。半七はふところに手を入れ、にやりと笑った。 「ここにいるのは、おかみさんの子供かえ。おとなしそうな児だ。小父さんが、御歳暮に紙鳶でも買ってやろうじゃねえか。ここへ来ねえ」
紙入れから一朱銀を一つつまみ出してやると、裏店の男の児は、おどろいたように半七の顔をみあげていた。 女房は、慌てて前垂れで濡れ手をふきながら、礼を云った。
「どうも、済みませんねえ。こんなものをいただいちゃあ……。こら、坊主。よくお辞儀をおしなさいよ」
「なに、お礼にゃあ及ばねえ。そこでおかみさん、しつこく訊くようだが、その猫がどうしたのかえ。その猫が、逃げたんじゃあねえか」
「逃げたのなら、まだいいんですけど……」 一朱銀の効き目はてきめんで、女房は小声で云った。
「殺されたんですよ」
「誰に殺された」
「それが、おかしいんですよ。富さんのいない留守に、『化け猫』と間違って殺されてしまったんですがね。そりゃあ、無理もありません。だって、あの猫は……」 女房は、声をいっそう低くした。
踊るんですもの」
「それじゃあ、商売物だね」
「まあ、そうです。これからだんだん仕込もうというところを、化け猫だと思って殺されてしまったんですよ。富さんも、そりゃあ大変に怒りましてねえ」 女房は、その日の出来事をぺらぺらとしゃべり出した。




