ending
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演技を終え、ブースを開けて、一紗は審査員とは別に評価を付けるために従順についてくるつぐみを、体育館端のパイプ椅子に座らせた。
評価は間違いなく満点だ。けれど、満たされてしまうと成長の余地が減る、と、一紗は考えていた。
(とはいえ、減点は難しい)
なにせ、つぐみは徹頭徹尾一紗の指示どおりの演技をしたのだから。指示の外をとやかく言うには、一紗の中に“熱”が残されすぎている。
「いい演技でした。減点箇所は……箇所、は」
どうしようか。一紗はうんうんと唸って、やがて、膝を落としてつぐみと視線を合わせた。そうして、一紗はなにも思い浮かばないと告げることはせず、とりあえず、取り繕ってつぐみに向き合って。
「どうしたの? 『お母さん』」
つぐみの言葉に、固まった。
ぴしりと、なんて擬音が聞こえてきそうなほどに、見事な硬直だった。
「んんんー?」
「ふふ、いいよ。いつもみたいに、叩いて?」
「人聞きが悪いっ! というか、あなた、まさか」
すさまじい演技だった。
一紗が見た『妖精の匣』の放映よりも、『トッキー』のCMよりも、合同演芸会のときよりも、一歩踏み込んだ“深み”のある演技だった。
(メ、メソッド……それも、抜けないタイプの!)
まさか今のつぐみが、己の中の魂と完全同調した姿であるなどと知る由もない一紗は、開けてしまったパンドラの箱に気が付いて――痛み始めた胃を、そっと抑えた。
――/――
――後日・ウィンターバード俳優育成学校・レッスンルーム
肩に置かれた手。
揺れる身体に、目を開ける。
「――おお、おきた」
「はぇ……りんちゃん?」
「うん。つぐみ、あとちょっとで私とキスするところだったよ」
「へ? き、きす?」
「そ。魚じゃないよ」
鏡張りの壁と、磨き上げたフローリング。ライトアップ可能な設備を兼ね揃えたレッスンルームは、ウィンターバード俳優育成学校のビルの高層階に相応しい、技術の粋によってできた部屋だ。
わたしは演技テストのあと、ちょっとだけ変化した自身の演技を見てもらうために、担任の一紗先生とウィンターバードで講師経験のある越坂部先生のすすめで、桜架さんに演技を見てもらいに来ていた、のだけれど。
(どうしてこうなったんだっけ?)
そう、確か、幼なじみの女の子に恋をしてしまった役をやろうとして。
『わたし、凛のことがすき、好きなの』
『だめだよ、つぐみ、私たちは女の子同士なんだよ?』
『なら、思い出だけでもちょうだい。おねがいよ――凛』
『わかった、いいよ』
いや、凛ちゃんも頷いちゃってない???
それはともかく。トラウマを克服したことで、鶫と同じ意思で演技をするときに限って完全同調――ユニゾンができるようになったわたしと鶫は、どうもそうすると深く入り込みすぎて、演技が抜けなくなってしまうようだ。
きっと、トラウマを抱えていたころでは、鶫と同調なんてできなかった。一つになって混じり合えたとき、わたしは本当の意味で、鶫と道を共にして、未知を踏破できると思えた。傷があっても良い。辛いことを忘れられなくてもいい。でも、向き合うことができないと、きっと、鶫と歩むことは難しかったんだろうなぁ。
「つぐみちゃんも凛も、いい演技だったわ」
「おうかさん……」
「その場にいるだけで、視界も心も演技の中に持って行かれる。そうね、鶫さん度九十点はくだらないでしょうね」
聞いたことのない単位に、わたしの中の鶫が首を傾げた。
「スイッチの入れ方は?」
「目をつぶればすぐに!」
「そう。では切り方は?」
「えーと……わかりません」
同じ“抜けにくい”タイプのメソッド技法を扱う凛ちゃんは、自己暗示によって抜けられるようになってきたそうだ。
一方で、スイッチの入れ方は簡単で、鶫と目的と情熱が一致したら即入れられるのに、二人とも演技に没頭しているようになってしまうからか、演技状態がどーんと増幅されてしまい、抜けられないわたし。情熱二乗の合体モードに、解散スイッチが見当たらない。
「りんちゃんは、どうやってるの?」
「カチンコの音をスイッチにしてる。ないときは、いなほさんに指を弾いて貰って、その音をトリガーにしてるよ」
「なるほど」
うんうんと唸っても、同じ方法ができるような気がしなかった。だって、とんでもなく大きな感情が爆発してスイッチが入っている、みたいなことだから、演技以外の音なんて耳に入らない。
「いくつか検証してみましょう」
と桜架さんに言われて、わたしは凛ちゃん協力の下、検証をすることになった。
「まずは、そうね、桐王鶫の名作“祈り”より――」
「おししょー?」
「――こほん。せっかく二人のキャストがいるのだもの。つぐみちゃん、ロミオとジュリエットはわかるかしら?」
「はいっ」
凛ちゃんは桜架さんと練習したことがあるのだろう。自信満々に頷いた。
「つぐみちゃんは、どちらをやりたい?」
「ロミオ、でもいいですか?」
「なら、私は床でしんでおくね。うっ、ばたんきゅー!」
凛ちゃんはそう宣言すると、床に横たわる。意図的に薄くした呼吸。音もなく眠る凛ちゃんの姿はまさしく、仮死薬で眠るジュリエットそのものだった。
わたしは胸を指で叩いて、ロミオに成り代わっていく。さぁ、鶫、ぶちかまそう。かつての鶫の友達に、“ここまで来た”って見せてあげよう。
長年いがみ合ってきた二つの家。
モンタギュー家のロミオは、こっそり忍び込んだ仮面舞踏会で、敵対関係にあるキャピュレット家の娘と恋に落ちる。駆け落ちのために仮死状態になる薬を飲んだジュリエットの元へやってきたロミオは、連絡の行き違いでそのことを知らずに毒を呷ってしまうのだ。
輪郭が重なり合い、二人で一つの目標に進む。
わたしたちは、とうの昔に演技の虜で、心中してしまいたいくらいに、演技の世界にのめり込んでいるんだ。
そう。同じ方向を向いて、同じ目的があって、同じ情熱に燃え上がるとき、わたしと鶫は、ひとつの、演技の化身になって。
「――ああ、ジュリエット。ほんとうに、死んでしまったの?」
優しい声/もう聞こえない。
暖かい瞳/もう見えない。
君の歌も/奏でることは叶わず。
「なぜ、死に急いでしまったんだい。どうして僕を待てなかったんだ。君を失ったら、僕はどうすればいいんだ。ああ、神様。どうして、ああ、どうして」
小さな、柔らかい手に縋り付く。堪えた涙がこぼれ落ちて、ジュリエットの頬を濡らした。これが君の涙であればよかったのに。触れた頬は冷たくて、二度と、僕に微笑んでくれない事実を突きつけられた。
僕を庇って死んだ親友のマキューシオも、君の側に居るんだろうか。僕の来訪を知ったら、きっと君は怒るんだろうな。でも、怒鳴り声でもキミたちの声を聞きたいと思うのは、我が儘かい?
引きつるような自嘲の口角が、涙の轍を歪めて落ちる。もう、君に会えないという現実に、瞼が震えた。君の側に居ることだけが、ぼくのきぼうだった。ならば、ぼくは、ぼくは。
「もう、生きるための希望は一つもない。だから僕も、君の元へ行くよ。どうか、そこで待っていて――ジュリエット」
毒を呷って、ジュリエットに重なるように眠りにつく。きっと死を選んだ君に比べれば、毒の痛みほどいかほどのものでもない。もう、目が覚めることはない。
そうして眠りにつく僕の身体の下で、ジュリエットは、ジュリエットの亡骸は、起き上がった。きっと、光が降り注ぎ、天に召されていくのだろう。
「つぐみ、終わったよ」
「うーん、起きないわね。つぐみちゃん、空星つぐみ、起きなさい」
「だめっぽい。ぎゅーってする!」
「ええ、どうぞ」
愛しいジュリエットが、ぼくの身体を抱きしめる。既に魂は抜けてしまったはずなのに、なんて温かい身体だろうか。僕は、ぼくは、このまま天に召されるべきだというのに。
「カチンコの音を再生するわ。はい」
――音が鳴る。同時に、ぼくに、わたしに、抱きつく影。
「起きた? つぐみ」
「ぇ、あ、ぅん?」
わたしは目を開けて、演技の高揚感から抜け出した。凛ちゃんの柔らかい頬に、なんでかとっても安心する。
一方で、桜架さんはちょっと難しそうな顔をしていた。顎に手を当ててうんうんと唸る姿は、見ていてちょっと珍しい。
「演技前にカチンコの音を気にさせて一段階。フルネームを呼んで二段階。さらに揺らしたり抱きしめたり、身体へのアプローチをすることで、ようやく解除……かしらね」
「めんぼくないです」
「私はヤクトクだった」
「いいえ、いいわ。けれど、そうなると、そうね」
胸を張る凛ちゃんと、少し考え込む桜架さん。こんなこと初めてだったから、わたしも鶫も首を傾げるばかりだ。
「つぐみちゃん」
「はいっ」
「あなたのその、“奥義”なのだけれど」
ゲーム風にわかりやすく言ってくれる桜架さんに、わたしは「はい」と相槌を打つ。
「周囲に私をはじめとした、状況をよく理解した大人の人が居るとき以外は、使用禁止とします」
「ええっ!?」
言われた言葉に、愕然とする。
いや、でも、当たり前のことと言われれば、それはそれで否定できない。
でも、せっかく確立した新しい演技で、しかもスイッチの入り方も緩すぎるのに、禁止なんて――わ、わたしはいったい、どうしたら!?
「は、はい」
頷きながら、項垂れる。
制御なんて、本当に身につくのだろうか――と。
――/――
青空の下、苔むした廃墟のアスファルトで、鶫はうんうんと唸っていた。心の傷を乗り越えたことで、鶫はつぐみと同調が可能になった。共に、まるで血の繋がった姉妹のように、あるいは共に辛酸をなめて艱難辛苦を乗り越えてきた親友のように演技ができるのは、鶫にとっても胸が躍る瞬間だった。
「とはいえ、制御のできない演技なんて、高級食材を使って味が濃いだけの料理を作るようなものだしなぁ。止めてくれたさくらちゃんにも、感謝しないと」
つぐみが逃避から、逃げ道として演技をしているのなら鶫は止められた。
つぐみが疼痛から、傷を舐めるための演技をしているのなら、鶫は同調しなかった。
「でも、傷と痛みを乗り越えたつぐみの演技には、痛みを知る優しさがある。傷だらけの演技の中で、人の機微を覚えていった私と同じように……ううん、それ以上に、強さがある」
鶫は深く、深くため息を吐く。
鶫は長年つぐみの内部で彼女を見守ってきたが、なにも魂の専門家という訳ではない。鶫の知る限り、同じケースも知らない。なにもかも手探りだ。
「でも、以前のようにつぐみ人格を侵すわけでもないし……臨機応変でいくしかないよね!」
とはいえ鶫もぶっちぎりの演技バカだ。メソッド演技そのものの、役柄に成り切りすぎてしまうことへの弊害と制御の問題さえ解決できれば、この演技はつぐみを次のステージに持ち上げることだろう。
かつて鶫が師事した世捨て人、無道もまた、師事していた鶫が新しい技術を覚えると喜んでいた。鶫にとってつぐみは、大事な半身で、また弟子のようでもある。ステップアップしていくことが、嫌なはずがなかった。
「さ、明日も一緒に頑張ろうね、つぐみ」
微睡みの中、鶫の意識が眠るつぐみに触れる。
ベッドで眠るつぐみは、ふにゃふにゃと口元を緩めて、微笑んだ。
――Let's Move on to the Next Theater――
では、また次のTheaterでお目にかかれましたら!




