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第21話 山に潜む牙

ウー一族の屋敷から西牙山までは、歩いてほんの一時間ほどの距離しかなかった。


山の名は、ザン市の西側に位置していることに由来している。


ちなみに、東牙山は街の反対側にあり、馬車でも数時間はかかるらしい。


幸いなことに、メイインによれば、俺たちが向かうべきなのは西牙山のほうだという。


東牙山のほうには、人限境に達した強力な魔獣が棲んでいるらしいからだ。


近くで見ると、西牙山は「牙」というより、歪んだ形の巨大なピラミッドに見えた。


鋭い稜線と切り立った崖。


どれほどの大きさなのか見当もつかないが、少なくともウー一族の屋敷など比べものにならないほどだった。


まるで、古代の文献や物語に出てくる巨獣のように、夜空の下でそびえ立っている。


山全体が雪に覆われ、白く染まった木々が頂上から麓までぎっしりと生えている。


こんな場所で本当に目的の天材地宝――自然の霊薬を見つけられるのだろうか?


その不安を、俺はつい口にしてしまった。


「大丈夫。ここで必ず見つかるわ」


メイインは微笑みながら断言した。


彼女の言葉を、俺はいつだって信じる。


疑念なんて、胸の奥に押し込めるだけだ。


迷いの入る余地なんて、俺にはない。


俺たちは山の奥へと続く細い道を進み始めた。


それが自然にできたものなのか、人が踏み固めたものなのかは分からない。


ただ、俺はメイインの背中を追って歩き続けた。


同じような木々が並ぶ中を抜け、冷たい夜風が頬を刺す。


吐く息が白く曇り、マントの内側で腕が小刻みに震えた。


時折、視界の端に動く影が見える。


ウサギやキツネのような小動物だろうか。


けれど、こちらが顔を向けると、彼らは一瞬で茂みの中へと姿を消した。


月明かりだけが闇を照らしていた。


木々の間からわずかに差し込む光は、風に揺れる枝葉に合わせてちらちらと形を変える。


足元では、雪を踏みしめる音がかすかに響き、そのたびに冷たい空気が頬を刺した。


「ハックション!」


思わずくしゃみをすると、その音が森の中に反響した。


「ねぇ、自然ってすごいと思わない?」


前を歩いていたメイインが、そんなことを言い出した。


「自然? どういう意味?」


「ほら、見てよ。この雪も、葉を落とした木々も、全部自然の力が生み出したものよ」


メイインは周囲をぐるりと指し示す。


「自然があるからこそ寒くて、動物たちは冬眠して、後ろをつけてるあのキツネは白い毛になって、森のすべてが雪に包まれてるの。


人間の中には、自然そのものを操れる人もいるって言うけど――そんな力を手に入れるには、何千年もの修行が必要なんだって。


この世でその境地に達した人なんて、たぶん一人もいないわ」


「じゃあ、誰も成し遂げたことがないのに、どうして自然を操れる人がいるって分かるんだ?」


「それは……」


メイインは立ち止まり、眉を寄せた。


「うーん……確かに、言われてみればそうね」


「もしかしたら、この世界じゃなくて――別の世界の誰かが、そういう力を手に入れたのかもな」


「……うん、そう。たぶん、それが言いたかったのよ」


そう答えた彼女の声は、どこか頼りなく、少し震えていた。


けれど、俺はそのことには触れなかった。


メイインを不安にさせたくなかったから。


「そう言われてみると、確かに自然ってすごい力を持ってるな」


俺は素直にそう認めてから、にっと笑った。


「いつか俺も、自然を操れるくらい強くなりたい」


「ふふっ、ジエンならできるわ。努力すれば、きっとね」


メイインは優しく微笑み、指を山の上の方へ向けた。


「それより、目的の宝を探しましょう。きっと、もう少し登ったところにあるはずよ」


二人は再び、凍てつく夜の森を進み始めた。


木々の間からわずかに漏れる月明かりだけが道を照らす。


ほとんど何も見えない暗闇の中で、俺は完全に方向感覚を失っていた。


それでもメイインは迷いなく歩いていく。


彼女はいったい、どうやって道を分かっているんだろう。


「なぁ、メイイン。俺たち、そもそも何を探してるんだ?」


寒さが骨にまで染みてきて、思わず体を震わせながら尋ねた。


「見れば分かるわ」


吐く息が白く霧のように立ちのぼる。


彼女も寒いはずなのに、まったく平気そうな顔をしていた。


俺なんて歯がガチガチ鳴っているのに。


「つまり、俺は何の役にも立たないってことか……」


「何か言った?」


「い、いや、何も」


二人は黙々と歩き続け、雪の上に二筋の足跡を刻んでいく。


やがてメイインがふいに立ち止まり、片手を上げた。


俺も慌てて足を止める。


何かあったのかと思った瞬間、彼女は振り向いてにっこり笑った。


「ねぇ、上を見て」


言われた通り空を仰ぐと、最初は何も見えなかった。


けれど次の瞬間、俺の視界にそれは入った。


――銀色に輝く何かが、頭上の枝の向こうで淡く光っている。


それが何なのかは分からなかった。


ただ、暗闇の中でひときわ際立つその光は、まるで嵐の雲を割って差し込む一筋の陽光のようだった。


「何だろう、あれ?」


俺が尋ねると、メイインは口元に笑みを浮かべて答えた。


「――あれが、私たちが探していた宝よ」


「ほんとか? えっと、それで……どうやって取るんだ?」


「登るのよ。もちろん」


「……だよな。うん、そりゃそうだ」


俺は苦笑してから一歩前へ出た。


「ここは任せてくれ」


メイインが眉を上げる。


その視線を感じながら、俺は両手を擦り合わせ、体をほぐすように軽く伸びをした。


図書館で借りた武術書に書かれていた準備運動の手順を頭の中で思い出しながら。


「本当に大丈夫?」


「大丈夫だ。ここに来たのは俺が強くなるためだろ? 何でも君に頼ってたら、意味がない。


宝を見つけたのはメイインだから、取るのは俺の役目だ」


自分でも驚くほど真剣な声が出た。


メイインはそんな俺を見つめ、やがて優しく微笑んだ。


「……分かったわ。じゃあ、お願いね」


深く息を吸い、吐く。


俺は雪を踏みしめながら一歩、また一歩と崖の方へ進んだ。


靴がずぶりと沈むほど、思った以上に雪は深い。


目標の天材地宝は、崖の中腹にある小さな岩棚の上で淡く光っている。


高さは分からないが、落ちたらただでは済まないことだけは確かだった。


下手をすれば、家に戻るどころか――命を落とすかもしれない。


それでも俺は、足を止めなかった。


崖の割れ目に片手をかけ、体を引き上げる。


次に、もう一方の手を少し上の岩の突起へ伸ばす。


指先が触れた瞬間、氷のような冷たさが手のひらから腕を伝い、脳まで突き抜けた。


反射的に手を離しそうになったが、歯を食いしばって耐えた。


登ることだけに意識を集中する。


時間の感覚が薄れていく。


腕はすでに悲鳴を上げ、脚は氷のように強張っていた。


寒さと疲労で感覚が麻痺しても、俺は登り続けた。


――そして、ついにメイインが指さした“宝”のもとへたどり着いた。


息をのむほど、美しかった。


それは蓮の花に似ていた。


けれど、普通の蓮が淡い桃色や白をしているのに対し、これは純銀の光を放っている。


近づいてみると、光っているのは花弁ではなく中心部――米粒ほどの小さな種が、蛍のように淡く輝きながら冷たい風に揺れていた。


「これを、取ればいいんだよな……?」


腕が震える。


それでも、俺は片手を崖から離し、慎重に花へと伸ばした。


――その瞬間。


「ジエン!!」


メイインの悲鳴と同時に、何か巨大なものが俺のすぐ隣の岩壁に叩きつけられた。


ドンッ!!!


爆音とともに雪と岩片が四方に飛び散る。


衝撃で体が跳ね上がり、指が岩から外れそうになる。


必死にしがみつき、息を止めて嵐のような破片が落ち着くのを待った。


そして――ゆっくりと下を見た。


一体、何が起こったのか確かめるために。


見なければよかった――そう思った。


最初に目に入ったのは、俺の頭ほどもある巨大な前脚だった。


分厚く硬い肉球から、刃のように鋭い爪が四本、月光を反射して光っている。


視線を上げる。


雪のように白い毛に覆われた逞しい脚、その先――


唸り声とともに、わずか数寸先に恐ろしい顔があった。


鬣は豪奢で、顔立ちは獣とは思えぬほど威厳に満ちている。


しかし、その金色がかった瞳には怒りと殺意しかなく、俺を獲物としか見ていなかった。


息が止まる。


全身が凍りつく。


――知っている。


本で読んだことがある。


雪の降る土地に棲む魔獣の一種。


その特徴、白い体毛、筋肉質な体躯、そして額の黒い斑点。


間違いない。


これは――


「斑雪獅」


スノーライオンだ。

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