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タラッサの歌姫―巫女ですが偽装結婚しました―  作者: ムツキ
第八章・嘆きの叫びと歓喜の響き
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8-7・託宣の意味


 ニアの歌は、風さえ巻き起こしギガースへとぶつかっていく。同時に百八十度の位置でも同じ光景が繰り広げられていた。

 ゼノとニアの音がギガースに逃げ場を与えぬよう、ぶつかり反響し合う。

 水夫たちの縄がギガースに巻き付き、縄で動きに制限を与えていく。

 ギガースの頭部がガクンと前に倒れ込んだ。


 ニアの目の前にある顔――彼女の頭ほどもある赤い目が睥睨(へいげい)する。目から灰色の滴が盛り上がり、ポタリと落ちる。

 大きな灰色の水溜まりは甲板に落ち、ドロリと床を這う。

 思わずニアは歌を止めた。


(これって……夢の……っ)


 瞬時に、ニアはあの神殿で見た夢が夢占(ゆめうら)にも等しいものだったのだと気付く。だとするなら、間はない。


「スキアーよっ」


 彼女は大きな声で叫んだ。


「……邪魔スルナ……」

「邪魔サセナイ……」

「……人間、サガレ」


 スキアーたちのざわめき声。


「ニアっ」


 キリルがニアを押しのける。間一髪ニアの立っていた場所を、灰色の液体から伸びた触手が粉砕していた。


「……っっ」


 更に伸びる触手をキリルが抜き身の剣を突き立て阻止する。


「ニアっ、お前は歌えっっ」

「う、うんっ」


 次々に瞳から(しずく)を振り蒔いているギガース。滴の数滴は海に、数滴は水柱に立つ兵士ごと海に沈む。また数滴は、船の甲板に落ちていく。

 ニアは舳先(へさき)に立ち、口を開いた。


「ア……ッッ」


 声を発する事はできなかった。ニアの口を押さえ、正面に立つ男にニアは衝撃を受ける。


(スキアーっっ!)


 黒装束のスキアーは懐から真っ赤に光る刀身を抜き放つ。


「歌ウナ」


 ニアはふいにドーラの顔を思い出す。


(婆様っっ)


 ドーラは幼いニアによく言ったものだった。

 人はみな死ぬのだと、みな平等なのだと。人はより良き死のために必死に生きるのだと。それは可笑しいと小さなニアは言った。だが今のニアは、より良き死が欲しかった。


(いやっ、嫌だっっ、こんな……っ)


 ニアの喉に冷たい刃が触れる。ニアは目を閉じることもできなかった。その瞳の前に、灰色の液体にまみれた白刃が突き出た。

 それはスキアーの喉から突出している。

 眉間に触れる寸前で止まった刃に呆然とするニアを余所に、スキアーの手が外れる。だが同時に、スキアーの身体は彼女ごと海に突入しようとしていた。

 ニアはどうすることもできず、体が後ろに傾ぐ。体勢を崩している彼女の視界に大きな白い尾が船体の下に見えた。


(……これは……っ)


 ニアは咄嗟(とっさ)に首を巡らす。巨人の足は蛇のようにうねっていて、先に魚の(ひれ)のようなものがついている。倒されたスキアーは溶けるように巨人の足や腕に同化してはまた涙から産まれている。


「……そっか……」


 ニアは急に合点がいく。


(ドーラ婆……『アンゲロス』様を見つけたよ……、全部……分かっちゃった……)


 目を閉じかけたニアは急にガクンと自身の体の重みを体感する。


「……っっ!」


 上にいたはずのスキアーの体が横を滑り落ちていく。

 右腕が痛くて顔をあげると、そこには舳先の横から身を乗り出してニアの手を掴むキリルがいた。

 その頬は灰色に汚れていて、それに混じって赤いものもある。


「……キリル……?」

「くっ……」

「な、何で……っ」


 ニアは思わず叫ぶ。

 ニアは海の者だ。だから海に落ちたとて、泳げなかったり溺れたりすることはないのだ。いくらギガースの暴れる海でも、溺死の確率は低いと言える。それをキリルもよく知っているはずなのだ。

 彼は顔を思いっきり(しか)めた。


「……妻、だからなっ」


 ぶっきらぼうな言葉に、ニアは目を見開く。


「一人で死のうとするな! 嘘のツケを俺だけに払わせるなっ」


 怒鳴りとも叫びともとれる大音量に、ポカンと口を開ける。


「お前が死んだら、俺は結婚もしていないのに、……お前の葬式についてミルティアデスと話さねばならんだろうがっ」

「な……何で……」

「馬鹿かっ。神を信じなくとも、神話くらい知っているっ……天使だなどと……っ」


 キリルの言葉にニアは言葉を失う。

 探して紡いだ言葉も間の抜けたものだ。


「よ、読んだの……っ?」


 横を大きな白い蛇足が通り過ぎる。同時に船体が大きく揺れる。ニアの体は振られ、キリルの腕が(きし)む。


「文句は後だっ。俺は、……寡夫になる気はないからなっっ!」

「……キリル、そ、そのことなんだけどね……」


 ニアは言いにくそうに、言葉を濁す。

 人が船からこぼれ落ちていく。キリルも辛そうに顔を顰めている。

 ニアは声を張り上げた。


「キリル……っ、一緒に落ちてっっ!」


 キリルは驚いた顔でニアを見る。


「……普通、手を離して、だろっっ!」

「いいからっっ、早く、……一緒に落ちようっっ」


 ニアはもう片方の手を、彼に向かって伸ばす。


「予言も、神も……! 信じなくてもいい……からっ、あたしを信じてっ」


 キリルが舌打ちする。

 掴まれていた手が緩み、解放される。体が落下を始め、彼は床を両手と両足で弾みをつけて、頭から飛び込んだ。

 ニアは両手を広げる――キリルを受け止めるように。


 キリルが彼女の手を掴むより早くニアは海に落ち、遅れて彼も着水する。

 二人の水柱は他に比べれば小さなもので、誰も気に止めなかった。


 海に落ちた二人は少しの間、ギガースの起こす水流で思うように動けずにいたが、やっとのことで海面に顔を出す。

 大きく息を吸うニアと咳き込むキリル。


「ど、どうする、気だっ……」

「アンゲロス様の力を借りるの」


 ニアは笑い、キリルは顔を引きつらせた。



読んでくださってありがとうございます。

【次話公開 → 本日 20:20 予告】

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