1-6・詫び代わり
陽は完全に落ち、空には無数の星が瞬いている。
ニアは思いがけず神殿を空けすぎた事に思い至り、慌てて海に飛び込もうとして、鯨の背であった事を思い出す。縄梯子を降ろすと、乗組員が悲鳴じみた声で近寄ってきた。
「お待ちをっ。海巫女様がおいでにならねぇと、あっしら海の藻屑でさぁ!」
「え? いや、あたしちょっと……」
「海巫女様がっ、キリル様、海巫女様が海にお帰りになっちまいますっ」
「いや、海にって……、あたしは神殿に……」
(大変な事になっちゃった……ドーラ婆の言う通りだ)
海を自由に泳ぐことができるだけでなく、海の生物と意思の疎通が可能なニアに、ドーラはよく注意を促していた。そういったことは陸に住む人間にはできないことだからあまり見られないようにしなさいと。まさかこのような形で真実だと分かるとは皮肉なものだと、ニアはため息をついた。
(やっぱ神殿のみんなは単に慣れただけなのね……)
いつの間にか、乗組員たちはニアを海巫女と言い、天使か何かのように表現するのだ。鯨には頼んでいるから大丈夫だと、どれほどニアが言おうとも誰も分かってはくれなかった。ただ一人、キリルだけは胡乱な目でニアを見て、嘘を吐いた事にキレていた。
さすがにニアも言い返したが――更に彼はキレたのだ。
何だか分からないが実際、災厄に見舞われているのだ。確かに嘘を吐いた事は悪いとは思っているが、あながち外れてもいない。
(最初に神殿の批判したの向こうだし、おまけにすっごい質問攻めにされたし! ……でも、なんとか誤魔化せてるといいけど……)
ニアはため息をつく。
魚と同じ早さかと問われればニアは固まる。厳密にはノーだ。魚類の早さには哺乳類は叶わない。だが、鯨と同じ早さかと言われればイエスと言うしかない。疲れないのかと言われたら、陸を歩くよりはと言うしかない。
もしキリルが魚の言葉が分かるのかと聞いていれば、ニアは何となくと答えるだろう。だが鯨の言葉が分かるのかと聞かれていれば、素直に分かると言えただろう。
だが、いかんせん、聞き方が悪かった。今になってみると、彼の聞きたかったことがニアは分かっている。あの時は分からなかったのだ。
(鯨は人間の言葉なんて分かんない。でもあたしは分かる……って、言えば良かったんだよね。でも……)
もしその理由を聞かれたなら、やはりニアは口を噤むしかないのだ。
海底王国のことを抜きに話すには難しすぎた。陸ではもう、海の王国は伝説なのだから――。
「どうした?」
キリルの登場にニアは頬を膨らませる。この男とは第一印象が悪かった上に、嘘を巡っての言い争いを経て、短い期間ではあるが冷戦に突入した所だった。
キリルは乗組員の話を聞いてニアに向き直った。
「岸までどれくらいだ?」
「……泳いでってこと? 船は分かんない」
「泳いで、は?」
「多く見積もって三十分くらい?」
キリルは海を見つめる。三百六十度を見回して、嘆息づく。
「岸は全く見えないが?」
「でもホントだもん」
「……魚と話すのか?」
キリルは今度こそ単刀直入に聞いてきた。ニアは眉を寄せる。
「悪い?」
「寒くないのか?」
「へ?」
質問の意味が分からず、ニアは聞き返した。キリルのつり目がニアを見つめている。
(あ、クラミス借りたままだっけ?)
「寒い? 返す?」
「そうじゃない。……二十分も水に浸かっていてふやけないのか? 寒くないのか? そういう意味だ」
「あ、あーあ! ……んー、考えた事なかった。でも……あったかいよ?」
苛立ち紛れに言うキリルに、ニアも合点がいく。どうやら心配してくれたようだ。
「お前、本当に水棲人類なのか?」
「……そういう聞かれ方、初めて……。だけど海は大好きだし、泳ぐのも得意。あ、何度も言うけどバシレイオス神殿の……」
「巫女だろ? 分かってる」
言いかけた言葉を引き継ぎ、キリルは鯨を見下ろした。
「嘘をついた詫び代わりに後少し付き合って貰う。この異常事態だ、船員が不安がるからな。俺にはとてもそう思えないが、神の使いだと思ってるらしい。人を救うのが仕事だと言うなら、そこにいて、皆を安心させろ」
「うー……わかったわよ……。その代わり、陸についたら、ドーラ婆にこの善行を手紙か何か書いてくれない? あたし、嘘のお仕置きくらった所だったんだから」
引き換え条件のように口にするも、相手は冷淡に切って捨てる。
「誰だ? 知るか。それはこちらには関係ない」
「ひどっ、……ズルすぎっ」
「お前……自分の立場が分かっているのか」
「そっちこそ! 船の人達、言ってたわ。捧げ物を買い忘れたってっ。あたしの嘘は二人の問題だけど、そっちの沈没騒ぎは罰が当たったのよ、きっと」
「狂信者は皆そう言う」
「はぁっ? あたしのどこが狂信者なの!」
「巫女だろ」
ニアは愕然とした。この世に、ここまで神を愚弄する人間がいようとは思いもよらなかった。何より巫女と狂信者を一括りにしたことにも驚愕とする。
「日々の生活で、神の存在を感じないの?」
「ない」
「……例えば、すっごくイイ事があった時、神様ありがとっとか思わないの?」
「お前、巫女の癖に神への礼がぞんざいだな」
ニアはムッとする。
「今そこは関係ないでしょっ」
キリルは少し考えてから頷いた。
「良いことと感じる時は、俺の努力の成果が報われた瞬間であり、神は関係ない」
「か、神様の恩恵……全然感じないの?」
「あぁ、ない。狂信者はいつもいつも幸せそうだな」
「……」
(最悪! いつの間にか、あたし狂信者決定になってる!)
キリルは言うだけ言って去っていった。
仕方なく、船縁に背をあて床に沈み込む。
ドーラに大目玉を食らうのは決定だから、人助けでもあるし一晩くらいならと思わないでもない。だが巫女が外泊など聞いたこともない。何よりネストルにまで呆れられないかがニアは心配だった。
キリルのことはもう考えたくもない。
膝を抱え込み、目を閉じる。
いつの間にか、ニアは夢の世界へと旅立っていた。
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【次話公開 → 本日 21:25 予定】
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