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17/17

17.罰

  1.


 あれから5年――


「英雄オズ!」

「首刈りの勇者オズ!」


 街を歓声が包み込んでいる。

 今頃は人々で埋め尽くされた表通りを、オズがちょっとはにかんだ微笑を浮かべながら歩んでいるのだろう。


 (ちり)ひとつなく掃き清められた家の中で、オルテンシアは少し多めにミルクと肉を入れたスープをかき混ぜながら彼の帰りを待っていた。


 本当は外へ飛んで行って一刻も早くオズの顔を見たかったが、彼はそれを求めてはいないだろう。それよりも、家を温かくして、彼の大好きな食事を冷まさないようにする方が大切だった。


 嵐のような5年だった。

 フォーチュンテラーの正体は街の人たちを震撼させたが、なぜ彼女が殺戮を行ったのか、その真相は闇に葬られた。彼女は、悪魔に憑りつかれた殺人鬼として人々の記憶に刻まれた。


 彼女の遺体がどのように処理されたかは誰も知らないが、とある酔っ払いが墓地から棺を運び出す怪しげな一団を目撃している。彼らは黒いローブで変装していたが、その1人の袖口からちらりと王家の紋章の刺繍が見えたというが、結局は酔っ払いの見間違いとして忘れ去られた。


 雪解けと共にオズは再び冒険を始めた。

 魔王配下の魔物たちがひしめく霧の森に挑み、名の知れた強大な魔物たちの首を次々に刈り取っていった。


 その名はやがて王都にも響き渡り、ついに彼は王妃ミネルヴァより直々に魔王討伐の命令を受けるに至った。


 そのころにはもう、誰もがオズを『英雄』と呼び『勇者』と呼んでいた。


「では、行ってきます」


 曇りひとつない空色の瞳がオルテンシアに微笑みかけたのが3年前。その後も月に1度は様々な手段でオルテンシアの元には彼からの手紙と高価なアイテムや宝石が送られてきた。


 オルテンシアはそれらの『仕送り』には一切手を付けず、必死に覚えた裁縫の内職と家事手伝いで食いつないでいた。


 そしてついに、オズが魔王を討伐したとの知らせが国中を駆け巡った。

 魔王の首を刈ったオズは王都に凱旋した時は盛大なパレードが催されたという。


 ……オルテンシアは思う。

 母を苦しめ、自分と母の間に深い溝を作った実の父親の首を、彼はどんな気持ちで刈ったのだろう? その首と共に、彼はどんな気持ちで王都を練り歩いたのだろう?


 そのおぞましく絡んだ運命の糸を知っている者は、もうこの世で2人しかいない。


 家の前が騒がしくなってきた。オズが近づいて来ているのだ。

 オルテンシアは暖炉の側に置いて温めていたいつもよりちょっとだけ上等なパンをバスケットに盛り、スープを深皿によそった。


 ドアが開いた。


「ただいま、()()()()

「おかえりなさい」


 大きな荷物を降ろすや否や、オズは小さな身体を躍らせてオルテンシアの胸に飛び込んできた。


「会いたかった……ずっと……」

「ええ。私も……」


 雛を守る親鳥のように、両手で少年の身体を包み込む。オズの身体に流れる温かな血を感じながら、オルテンシアは愛する者が無事に帰って来た安堵感に包まれた。


 同時に、身体が奈落の底へ引きずりこまれるような絶望感に襲われた。


 3年。彼が旅立ってから3年も経つ。10代の育ちざかりの少年が、前人未到の秘境を探索し、誰にも為しえなかった偉業を達成したと言うのに――!

 

 少年の身体は、あどけなさを残した小さな身体のままだった。

 「行ってきます」と言って家を出てから、寸分違わぬ姿で彼は帰って来た。


 彼は、何も感じなかったのだ。広い世界も、命を賭した戦いも、因縁の敵との決着すら、彼の心を動かすに値しなかったのだ――!


 胸に顔を摺り寄せて甘える少年を抱きながら、彼女は()いた。


 5年前のあの時から、オズの心は壊れたままだった。身体は成長を止め、心は空虚なまま顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。


 人はそんな彼に神秘性を見出しているらしいが、彼女は知っている。ここにいるのは、残酷な現実に圧殺され原型も留めぬほどに崩壊した亡骸(なきがら)のような魂なのだ。


 そして、彼にその残酷な現実を突きつけたのは他の誰でもない――


「お母さん?」


 不安げな少年の声に、オルテンシアははっと我に返った。


「どうして泣いてるの?」

「……どうしてかしら? きっと、あなたが無事に帰って来てほっとしたのね」


 2人で温かな食卓を囲む。


「懐かしいな。ずっと食べたかったんだ。お母さんの作ったごはん」

「そう言ってくれると思って、いっぱい作ったからね」


 満面の笑みで肉入りのスープを頬張るオズの顔を見ながら、オルテンシアはささやかな幸せを感じていた。


(何だったんだろう? さっきの、言いようのない悲しみは……?)


「おかわり」

「ええ。待ってて」


 どうでもいい。彼女はそう思い直した。愛しい()()()が元気に笑っている。これ以上の幸福なんてありはしない。


 冬を越えたらオズはまた旅に出るだろう。そしてオルテンシアは彼の帰りを待つ。それでいい。他には何も望まない。生きてさえいてくれれば、いつかきっと――



  2.


 暗闇の中に切り取られたような墓地の一画が浮かんでいる。

 そこに、かつて悪逆令嬢と呼ばれた1人の女がいた。


 身を斬るような冷たい空気の中、彼女は一糸まとわぬ姿でただ(ひと)り跪いて祈りを捧げていた。


 深い傷を負いながら生きざるを得ない者たちの幸福を。

 心身を追い詰められ理不尽に死した者たちに冥福を。


 冷え切った身体には無数の傷が刻まれていた。棘のついた鞭で強打されたような、肌が裂け肉が爆ぜる容赦のない傷だった。


 普通ならとっくに死んでいてもおかしくない傷を負いながら、彼女は一心に祈り続けていた。


「ッ――」


 またひとつ、彼女の身体に深い傷が刻まれる。

 またひとつ、彼女が己の罪を思い出した証拠だった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 思わず天を仰ぐ彼女の遥か頭上から、穏やかで温かな団欒(だんらん)の声が聞こえて来た。


 ――オズが旅先で見聞きしたことを話し、オルテンシアが静かに聞いている。


 彼女の顔にかすかな微笑みが浮かんだその刹那、全身の傷が一斉に激痛を発した。


「……わかってる。わかっているわ」


 彼女は己の足もとに視線を戻した。そこには、生首が1つ転がっていた。まぶたの無い真っ赤な眼球が彼女を睨みつけている。呪怨そのもののようなその首を、彼女はそっと抱きしめた。


 氷のように凝り固まっているその首に、彼女は愛しささえこめて頬を摺り寄せる。


「ええ。そうね。私にはもう幸せを感じる権利なんてない。わかっているのよ」


 今、『外の世界』でオズが母と呼び、団欒するオルテンシアは彼女であって彼女ではなかった。


 あの日、崩壊してしまったオズの心を救うために彼女は1つの嘘をついた。

 すべては夢だったのだと。

 オズの母は、フォーチュンテラーの魔の手を逃れて今もこうして生きていると。


 そんな、都合のよい荒唐無稽な嘘をオズが受け入れた時、かつて悪逆令嬢と呼ばれ、奴隷紋の絆を結んだオルテンシアは彼の前から消えた。彼女は、消えなければならなかった。


 彼の前にいるのは、彼を産み、育てて来た『母親としてのオルテンシア』でなければならなかった。


 彼女は演じた。オズの一挙手一投足から彼の記憶を探り、彼の中にある母親を死に物狂いで演じた。


 少年が自分を守る嘘に一点の疑いも持たぬよう、彼女は自分自身さえも騙して彼の母になり切ろうとした。


 悪逆令嬢オルテンシアはそれができる女だった。


 まるで自分自身を人形とした傀儡師(くぐつし)のように、舞台の上で相手の望む彼女を演じることができるのだ。


 今までと違うのは、その人形がやがて確固とした人格を得、本当にオズの母としてふるまい始めたことだった。そしてそれこそがかつて悪逆令嬢と呼ばれた女の望みだった。


 愛する人と共にいる幸せを嚙みしめるのは自分であってはならない。

 いつの日か彼の心の傷が癒えた時、その喜びを分かち合うのは自分であってはならない。

 彼女の人格は無意識の領域に沈み、現世における一切の幸福を手放した。


 それがある姉弟の人生を踏みにじり、ある母子の人生を狂わせ、まだまだ深層の記憶野に埋没させられている数多の嘆き哀しみに対する彼女の償いだった。


 欺瞞、逃避、自己満足。彼女を見つめる赤い眼がそう罵っている。


 本当に罪を償いたいのなら、彼女が傷つけて来た者たちを訪ね歩いて謝罪をして回るか、公の場で罪を告白して裁きを受けるべきだろう。


 だが、それをしてしまうと今度こそオズの心は死んでしまう。


 つまるところ、それが彼女の最大の罪だった。

 盗んだものは返せるかも知れない。壊したものは弁済できるかも知れない。

 だが、踏みにじられ狂わされた人生は、罪人が己のくだらない人生を投げ出したところで到底元には戻らない。


 もはや、彼女ごときが何をしたところで、誰も彼女を許すことなどできないのだ。


「あぁッ……」


 そんな彼女の身体に、またひとつ傷が増えた。

 真っ暗な孤独の中で、彼女は今まで他者に追わせてきた傷を負いながら祈り続けるしかなかった。


 どうか、生きざるを得ない者たちに幸福を。

 どうか、死ぬしかなかった者たちに冥福を。


 やがて、永い月日が経った。

 暗闇の墓地にはもう母子(おやこ)の声も届かなくなっていた。跪いているモノはもう人の形をしていなかった。


 すべての罪を思い出し、悔いた魂はついに力尽き倒れ伏した。その様子を、赤い眼球が静かに見つめていた。

 そこに(ゆる)しは存在しない。


 魂に刻まれた傷が決して癒えないように。


 怒りも、憎しみも、ただ暗い闇の中に消えていくだけだ。

本作を最後までお読みいただきありがとうございました。

まぁ、暗いです。救いがない。何だこれ。


視点が基本的にオルテンシアなので作中で語ることができませんでしたが、

いちおうフォローしておきますと、オズ君はこの後立ち直ります。

冒険とか魔王との闘いとか関係なく、ささやかな日常の中のちょっとしたきっかけから

現実に向かい合うことになるでしょう。


オズとフォーチュンテラーにはもっと魔法剣を使ったトンデモバトルをさせてあげたかったなぁ……


今後はまたネタが思いつくまで次元転争の連載を再開させるつもりですので、

よろしければそちらも見てやっていただければ幸いです。

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