第57話 ザグラムの闇夜②
剣についた血を忌々しく拭き取りながら、男は机に置いてあるベルを鳴らした。
数秒後、執務室の扉が開き、黒衣の侍女が入ってくる。
侍女は機械のような表情で、床に転がるそれを目にした。
だがそれでも、侍女は無機質に尋ねる。
「何かご用でしょうか、ガロード卿……」
「見ての通りだ。片付けろ」
「承知いたしました」
手慣れた様子で作業を始める侍女を横目に、その男、騎士ガロードは再び皮張りの椅子に腰かける。
そして椅子に身を沈めると、深くため息を吐いた。
「やれやれ、どうやら直接行かねばならないようだな……魔女めは一体何をしているのだ……」
「失礼ながら、その御言葉は私を通して聞こえていらっしゃるかと」
「分かっている。だから口に出しているのだ。貴様の主人は、己が縄張りの管理も碌に出来ない無能だとな」
侍女の暗い瞳は何も言わない。
ただガロードの不遜な表情を映し返すだけである。
だがその時、ランプの灯が激しく揺らめいた。
魔女の返答だ。
『ーーッハ! よく言うわ。貴様こそ己の部下の管理すら出来ぬ無能ではないか?』
どこからか不穏な女の声が嘲笑う。
「覗き見がそんなに好きか? 相変わらず悪趣味な奴だ」
『趣味ではなく、ライフワークと言え馬鹿者。この世の全てを見通すために魔女になったのだ。貴様如きは千年先までお見通しさ』
「ふん、なら知っているだろう。今日、学園で何が起きた?」
『…………』
ガロードの問いに応えはなく、問い掛けた言葉だけが宙に浮く。
声だけで表情が見えないため、魔女の意図が掴めない。
無言の時間が嵩むほど、ガロードの頭に血が上っていく。
『眉間にシワが寄っておるぞ』
「うるさい!!! 早く応えろ!!!」
彼の怒鳴り声が執務室の窓を叩いた。
だがどんなに大声を出そうと、怖じけるのは階下で警備をしている彼の部下だけ。
当の魔女は全く動じない。
それどころか、ガロードの反応に声に色を帯びていく。
『な〜に、貴様にとっては喜ばしい事だよ。よかったなあ、凡。お前の無念は晴らせそうだぞ』
「何の事だ」
『元勇者だよ。お前が苦渋を舐めさせられ、二度も仕留め損なった』
ガロードは咄嗟に立ち上がっていた。
そして、皮張りの椅子が激しい音を立てて転がった。
「それは確かか……? 私の耳には何の情報も届いてないぞ」
『言ったであろう? ワシは全てを見通すために魔女になったのだと。であればザグラム内程度は感知できるさ』
「居たのか……奴が……?」
『いや?』
ガロードはゆっくりと鞘から剣を引き抜いた。
「貴様……戯が過ぎるとどうなるか、今ここで教えてやろうか……?」
切っ先は鈍く光り、床の血痕を拭き取っている侍女に向けられた。
だが侍女は怯える様子が全くない。その刃をチラリと見ただけで、視線を戻して作業を続けていた。
響くのは、魔女の大笑いだけであった。
『あははははは!! 分かった!! 分かったよ、凡。ちゃんと説明しよう!』
舌打ちを一つ。そして、ガロードは剣を収めた。
『魔法学士のサリーは知っているな?』
「当たり前だ。魔王討伐メンバーで、今も奴の同行者。確か最後に目撃されたのは、商業都市だったか」
『そのサリーだが、恐らくは学園に侵入している』
その情報に、ガロードは眉根を寄せた。
「確証はあるのか? 姿を見た訳ではないのだろう」
『ここ二日程の外魔力の変動を見ていれば分かるさ。明らかに感知出来ない存在が魔法を行使しておる。このワシの目を誤魔化すような芸当、国中を探してもあの魔法学士しかおるまい』
胸の内から狂喜が込み上げてくる。
それを喉の奥で塞き止めるも、漏れ出た声が少し弾んだ。
「と言うことは……奴が、あの元勇者がここに来ているのだな……」
『ああ、そうだろうよ。なんじゃ……やはり嬉しいか、凡』
ガロードに刻まれた屈辱の記憶。
闘技場でレンに喰らった数々の拳、頭突き、踏みつけ。
幾度となく思い出す度、周囲に当たり散らした。
何度部下を痛めつけ、何度椅子や机を破壊したのか。
それでも心が晴れることなどなかった。
だが、今は違う。
ガロードは口が裂けるような不気味な笑みを浮かべている。
そして両手を握りしめ、机を強く叩いた。
ーーバン!!!!!!
木製の机はメキメキと音を立て、木目に逆らった不自然なヒビが入る。
「ははっ! そうか、そうか……!」
そしてガロードは窓の外に見える魔法学園の灯を睨んだ。
「待っていろ元勇者……必ず見つけ出し、そして……」
窓に反射したガロードの瞳が、夜のザグラムにドス黒い月を浮かべた。
「殺してやる」
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