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第50話 人明流 牡丹返し


 戦国の世に生まれ、幾つもの戦場を渡り歩いた初代人明流。

 彼がその生涯を通じて得た知見や経験は膨大な量にわたる。

 それらを一冊の巻物に纏めたもの、それが人明流兵法書である。


 そこには、初代の出自である風魔忍者の戦略と経験によって育まれた実践的な技法の数々が記してある。


 その殆どは、平和な現代では決して使ってはならない危険なもの。

 戦国の世でしか通用し得ない野蛮なものばかりだ。


 ある項にこんな記述がある。


 ”ーー最も留意すべきは、眼。時に景色、時に己、時に敵の眼を操るべし”


 敵の眼。


 つまりは、相対する者の視線を誘導する。

 レンが行ったのはまさにその戦略である。


 エルゴーは見事に術中にハマり、レンの接近を許してしまった。


 だがそれでも、エルゴーは騎士。


 王国の中でも特に優秀な魔力と戦闘力を誇り、前線では一騎当千の働きをする存在だ。

 背後の不覚を取られたとはいえ、それだけで終わるような人材ではない。


 「死ねええええええーーーー!!!!」

 

 口から火を吐くように、エルゴーは剣を真上から振り下ろした。

 しかし、その刀身がレンに触れることはない。

 

 先を読み、半身になって躱したレンは、少し体勢を低く構え直しながら呟いた。


 「……やっぱり、貴方は嫌いだ。命の重みを、何一つ分かっちゃいない……」


 エルゴーの剣が地面から真横へ翻り、レンを襲う。

 レンはそれに構わず、前に出て刀身の間合いを潰しきる。


 その姿勢、まさにタックル。

 騎士の腰目掛けた、見事な不意打ちである。


 しかしそれでも、姿勢を崩すまいと騎士は踏ん張った。

 彼の灼熱の皮膚に苦悶しつつ、レンも踏ん張る。


 仮にこれがレスリングのような競技であるばレンの方が有利な体勢だ。

 だが、これは実践。言い換えれば殺し合い。


 エルゴーには見えていた。

 眼下にあるレンの無防備な背を。そして、自身の片手にある剣を。


 「バカが……!!! 死ね!!!!!」


 叫び、エルゴーは剣を逆手に持ち替える。

 事が起きたのは、その背に刃を突き立てようとした、その刹那だった。



 何度も言うが、人明流兵法書には戦国時代を生き抜いた技の数々が収録されている。


 刀、槍、弓、鎧、男、汗、血、炎……そこは、死を招く狂乱の戦場。

 そんな場所で生き残る術とは、護身などという生優しいものではない。


 人の命が湯水の如く消費されていたかの時代。身を守る、生き残るとは即ち、敵対者を殺す事。



 怒りに燃えるエルゴーの凶刃がレンの背に迫る。

 爆ぜるように赤く染まった眼には、レンの姿しか写っていない。


 一方で、レンの思考は酷く澄み切っていた。

 

 「この技を使う時が来るとはね」


 静かに燃える怒りを胸に、レンは悲しそうに呟いた。

 刹那、レンの掌底が、騎士の睾丸を撃ち抜いた。


 切っ先が止まり、エルゴーの体が縮み上がる。

 今まさに、彼の胃の腑にその衝撃と痛みが遅れて到来しようとしていた。


 だが、それだけでレンは止まらない。


 レンはの低い姿勢のまま、掌底を放った手でそのまま睾丸を硬く握し締めた。

 そして騎士の腰に回していた右腕を解くと、エルゴーの襟首をがっしり掴む。


 掴んだまま、レンはぶら下がるように脱力。

 一方、睾丸も掴んだまま、肩車でもするかのように踏ん張り、持ち上げる。


 刹那、エルゴーの視界が逆さにひっくり返る。


 「な……」


 空中で綺麗な円を作ったエルゴーの体。

 あまりにも呆気なく、あまりにも軽々しく、彼の天地が逆さに落ちる。


 硬い地面が眼前に迫り、やがて、鈍い音が中庭に響き渡った。

 

 これこそは戦国の世、甲冑を着込んで闘う武士達が、戦場で生きるべく編み出した”鎧組み討ち術”。

 初代人明流はこの技をこう名付けた。


 「人明流、牡丹返し」


 意識を失った騎士をよそに、レンはそっと呟いた。


ご拝読ありがとうございます!


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