第1話 包丁しか作れないおっさん、工房を追放される
コォン、コォン、と硬質な金属音が作業場に響く。
俺は頭に手拭いを巻き、真っ赤に熱した鉄の塊を平ハシで挟み直した。手鎚を振り下ろすたびに火花が飛び散り、鉄の表面から余分な酸化皮膜が剥がれ落ちていく。
冷めぬうちに再び炉の奥へ押し込み、フイゴを吹く。皮膚を灼くような熱気の中で炎の温度を見極め、引き出す。手鎚の角度と力加減に一切のブレはない。
成形を終え、水槽へ叩き込む。ジュゥゥッと激しい水蒸気が立ち上り、白い煙が目の前を覆った。
水から揚げた刃身を外の光にかざす。歪みはない。
砥石に水を打ち、一定の角度で刃を滑らせる。シャリ、シャリと研ぎ汁が黒く濁っていく。荒砥から仕上げ砥へと変え、最後に研ぎ角を親指の腹で確かめた。
銀色の刃先が、窓から差し込む日光を受けて細い光の筋を描く。肉や野菜の繊維を押し潰さず、吸い付くように断ち切る厚みと角度。
「……こんなもんだな」
ぬぐい板で刀身の水気を拭き取り、柄を仕込んで目釘を打ち込む。手元に出来上がったのは、飾りのない無骨な三徳包丁だった。包丁作りに特別な仕掛けなんてない。丁寧に鉄を叩き、正しく研ぐ。職人なら当たり前の作業だ。
昼刻。俺は作業台の端を片付け、丸椅子に腰を下ろした。
腰袋から取り出したのは、硬く焼き固められた丸パンと塩漬け肉の塊。
先ほど打ったばかりの包丁を手に取り、塩漬け肉の表面に刃先を当てて手首をひねる。
ト、と板を叩く音がひとつ。硬い肉が抵抗なく滑り落ち、薄切りになって倒れた。パンもまた、生地を潰すことなく等分に切り分ける。
切り分けた肉をパンに挟み、噛みしめた。断面が潰れていない肉は、硬い塩漬けでも口当たりが良い。
「……そういえば昔は、料理人になりたかったんだよな」
ぽつりと漏れた言葉は、自分でも意外なほど自然だった。
幼い頃、自分で作った煮込み料理を誰かに食べてもらい、美味いと笑われた記憶。
鍛冶工房に入り、包丁作りに夢中になって三十年が過ぎたが、あの感覚は消えていなかった。
「まあ、今となっては昔の話だが」
パンを飲み込み、水筒の水で流し込んだ。
「ガルド。またそんなものを叩いていたのか」
低い声が背後からかかった。振り返ると、腕を組んだレオンが立っていた。
俺より一回り以上若い鍛冶師。この工房の弟子の一人であり、最近は【刀鍛冶】としての腕を伸ばしている男だ。
レオンの視線は、俺の手にある包丁へ冷ややかに向けられていた。
「包丁なんて、切れれば十分だろ。鉄くずを延ばして研ぐだけの作業に、何を毎日時間をかけているんだ」
「刃物は用途に合わせて研ぎ分けるものだ。肉を捌く刃と、野菜を切る刃じゃ角度が違う」
「はっ、角だの研ぎだの、料理人が使う道具の違いなんてどうでもいいんだよ」
レオンは鼻で笑い、自分の作業台に置いてある打ちかけの長剣を引き寄せて研ぎ始めた。
「俺たちが叩くべきなのは、魔物を倒す剣だ。騎士様や冒険者が命を託す武器だろ。何年やってても、包丁しか作れないようじゃ鍛冶師として終わりだな」
「包丁も刃物だ。切れる刃がなけりゃ料理人は困る」
「だから、その程度の仕事だと言っているんだ。刀を作れる俺たちと、包丁しか作れないお前じゃ、職人としての格が違う」
レオンは腰の長剣を抜き、作業台の端に置かれた試し斬り用の太い木杭を指さした。
「ほら、見ろよ」
レオンが長剣を振り下ろす。フッ、と風を切り、木杭に二寸ほどの深さで刃が突き刺さった。
「これが【刀鍛冶】の力だ。分厚い木でも一撃で断ち切る構造になっている」
俺は刺さった剣を見つめ、それから手元の包丁に目を落とした。
「なら、それを使ってみるかい」
包丁を持ち、倒れていた別の木杭の前に立った。構えも取らず、ただ刃先を木肌に触れさせ、すっと斜め下に滑らせた。
コッ。
乾いた音がして、腕ほどもある太さの木杭の上部が、滑り落ちるように床へ転がった。
切断面は滑らかで、木目の繊維が一切荒れていない。力で叩き割ったのではなく、ただ刃が通り抜けた結果だ。
レオンの研ぎの手が止まった。
刺さった長剣の手元と、床に転がった断面を交互に見比べる。喉が微かに動き、息の詰まる音が漏れた。
「……切れるな」
レオンの口から漏れたのは、それだけだった。
動揺を隠すように、レオンはすぐに顔を歪めた。
「……だが、だから何だ?」
「ん?」
「どれだけ切れようが、それは包丁だ。戦場で魔物の甲冑を叩き割ることもできなきゃ、騎士様の帯剣にもならない。そんなものをどれだけ極めたところで、刀を作れる俺には敵わないんだよ」
レオンは胸を張り、言葉を吐き捨てた。
「包丁は武器じゃない。どれだけ上手く作れたところで、鍛冶屋の価値にはならねえんだ」
落ちた木片を拾い上げ、ゴミ箱へ捨てた。
「そうかい」
「それに……もう決めたんだ」
レオンが腕を組み、俺を直視した。
「ガルド、お前には工房を出て行ってもらう」
作業台の上の砥石を拭く手を止める。
「出て行ってもらう、か」
「そうだ。先代が倒れてから、この工房の切り盛りは俺がやっている。病床のヴァルター師匠に代わって、俺がこの工房を立て直す」
工房の奥にある小さな部屋には、病で床に伏せたまま意識の戻らない先代工房主、ヴァルター師匠が眠っている。本来なら工房の全権を握るべき師匠の不在。それが、レオンの判断の根拠になっていた。
「これからは武器専門の工房にする。王都の騎士団やギルドから大きな依頼を引き受けて、工房をデカくするんだ。武器を作れない職人を置いておく余裕はない」
レオンは顎をしゃくり、工房の隅に並べられた俺の工具類を指した。
「包丁しか作れないお前は、もうこの工房には必要ない。今までここにいられたことの方が不思議だったくらいだ」
長年、この工房の炉を守り、包丁を作り続けてきた。
それを、たった一言で切り捨てられた。
俺は一度、炉のほうへ目をやった。
赤々と燃える炎。その前で手鎚を振った三十年が、頭の中をよぎる。
「……そうか」
短く答え、棚から使い古した革の道具箱を取り出した。
砥石、手鎚、平ハシ、やすり。三十年かけて手元に馴染ませてきた道具を、一つひとつ丁寧に箱へ収めていく。金具の留め具をパチンと閉めた。
「今まで世話になったな」
道具箱を抱え、私物の入った袋を肩に担ぐ。
レオンは冷めた目で見下ろしながら、フンと鼻を鳴らした。
「ガルド、お前は包丁しか作れないんだ。これから先も、それ以上にはなれないだろうな。 せいぜい、どこかの街で包丁でも研いで暮らすんだな」
返事はせず、工房の木枠の扉を押した。
外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
振り返り、小さな工房の屋根を見上げる。炉から上る煙が、空へ溶けていく。
三十年通った場所だ。胸の奥に、ほんの少し引っかかるものがある。
それでも、手元には長年かけて培った技術がある。使い慣れた道具もある。
失ったのは、炉と作業台が置かれた場所だけだ。
「さて……これからどうするかね」
街道へ続く土の道を歩きながらつぶやく。
腰袋に手を入れると、わずかな貯えの金貨が入った革袋の重みを感じる。当面の生活に困るほどではない。
ふと、昼間に思い出した幼い頃の記憶が頭をよぎった。
自分で作った料理を出し、食べた客が笑顔になる。
足を止め、空を見上げた。
工房に縛られる理由はもうない。包丁を作るためだけに朝から晩まで炉の前に立つ必要もなくなった。
「追放、か。……まあ、ちょうどいい機会かもしれないな」
せっかく得た自由だ。昔やりたかったことを、試してみるのも悪くない。
「自分の包丁で、美味いもんを作って出す……うん、面白そうだ」
うなずき、王都へ向かって歩き出した。
人が集まる場所なら、小さな店を開くにも都合がいい。
◇
数日後。
俺は王都の外れにある、古い一角に立っていた。
中心街のような華やかさはない。石畳はところどころ割れ、建物の壁には薄く苔が生えている。
路地の奥で見つけたのは、一軒の空き物件だった。
木造二階建ての小さな建物。看板は外され、扉の木枠は少し歪んでいる。
ガラスの割れた窓から中を覗き込んだ。
ホコリの積もった床。狭い客席スペース。
狭いが、一人で店をやるには悪くなさそうだ。
道具箱の革紐を握り直し、息を吐いた。
「……ここなら食堂でも始められそうだな」




