元・悪童王子は、夜会で口説いても教育成果として処理される
アルベルト・フォン・アスラニアは、その夜、人生で最も真剣に夜会へ臨んでいた。
戦でもなく、政務でもなく、外交交渉でもない。
ただ一人の女性に、自分を男として見てもらうためである。
「殿下。本日の装いは完璧です。えぇ、本当に文句のつけようもありません」
「そこは我らが保証いたします」
控えていた侍従が、深々と頭を下げた。
「髪型、礼服、勲章の位置、すべて申し分ございません。これならばセシリア様も、きっと……」
そこで侍従は言葉を切った。
言い切る勇気がなかったのだ。
セシリア・フォン・グロース。
かつて悪童王子だったアルベルトを更生させた辣腕公爵令嬢にして、現在アルベルトが全力で恋をしている相手。
そして、彼の渾身の告白を聞いてなお、
『本当に立派な弟になりましたね』
と、満面の笑みで頭を撫でた女性である。
「……今夜こそだ」
アルベルトは鏡の中の自分を見つめ、低く呟いた。
「今夜こそ、私はセシリア様に男として見られる。必ず、一歩でも近づいてみせる」
侍従たちは沈黙した。
励ましたい。
心から励ましたい。
だが相手は、あのセシリアである。
王族の威厳も、完璧な礼法も、熱烈な愛の言葉も、すべて『教育の成果』として処理してしまう鉄壁の公爵令嬢だ。
侍従の一人が、そっと目頭を押さえた。
「殿下……どうか、お心を強く」
「なぜ出陣前の将軍みたいな顔をしている」
「いえ、何でもございません」
「殿下は素敵でございます」
やがて、セシリアが現れた。
淡い銀青のドレスをまとい、背筋を伸ばして歩く姿は、夜会の光の中でもひときわ凛としていた。
アルベルトは一瞬、息を忘れる。
美しい。
何度見ても、そう思う。
けれど今夜は、ただ見惚れているだけでは終われない。
彼は一歩進み、静かに手を差し出した。
「セシリア様。今夜は、私があなたをエスコートいたします」
声は落ち着いていた。
視線も逸らさなかった。
手の角度も、距離も、完璧だった。
少なくともアルベルト本人は、人生最高の出来だと思っていた。
セシリアはその手を見つめ、次いでアルベルトを見上げた。
そして、花が咲くように微笑んだ。
「まあ……」
アルベルトの胸が高鳴る。
「手の差し出し方、姿勢、声量、歩幅への配慮。どれも完璧です。立派になりましたね、アルベルト」
――違う。
アルベルトの胸に、見えない矢が刺さった。
「ありがとうございます……」
「本当に、社交実技の完成度が上がりました」
――社交実技。
二本目の矢が刺さった。
「今夜のあなたなら、どなたをエスコートしても恥ずかしくありません」
――どなたでもいいわけではない。
三本目の矢が刺さった。
背後で、侍従たちがそっと目を伏せた。
王子としての完璧なエスコートは、恋する女性に届く前に、教育係によって優秀な成績表へと変換されたのである。
◇
その様子を、少し離れた場所から王妃が眺めていた。
扇で口元を隠しているが、その目は明らかに笑っている。
「まあ、あのアルベルトが。ふ、ふふふ」
隣に控える侍女が、そっと尋ねた。
「王妃様。お助けにならなくてもよろしいのですか?」
「助ける?」
王妃は楽しそうに首を傾げた。
「どうして? あの子が自分の力で誰かに振り向いてもらおうと必死になるなんて、昔では考えられなかったことよ。それに、誰かに手助けされる子どもではなくなったわ」
「ですが、少々お気の毒では……」
「ええ。とても」
王妃はにっこり微笑んだ。
「だからこそ、もう少し見守りましょう」
「王妃様」
「大丈夫よ。セシリアも、完全に何も感じていないわけではなさそうだもの」
王妃は扇の陰で、楽しげに目を細めた。
「ただ、あの子は恋心まで報告書にまとめようとするだけで」
そして、どこか確信したように微笑む。
「でもね、嫌いな相手には、あそこまで手を尽くさないわ」
◇
その後も、アルベルトの苦難は続いた。
「いやはや、殿下は本当に見違えましたな」
「セシリア嬢の教育は素晴らしい」
「我が家の息子も一度預けたいくらいです」
「まさに教育成功例ですわね」
行く先々で、そんな言葉が飛んでくる。
アルベルトは笑顔で応じた。
王子として、礼儀正しく。
男として、セシリアの隣にふさわしく。
だが、そのたびにセシリアは誇らしげに頷くのだ。
「ええ。アルベルト殿下は本当によく努力しました。更生計画は想定以上の成果を上げています」
更生計画。
アルベルトの胸に、四本目の矢が刺さった。
「……セシリア様。私は計画書ではありません」
「あら、もちろんです。あなたは計画書ではありません」
「分かっていただけて――」
「計画の成果です」
「なお悪いです」
「ふふふ。アルベルト殿下、自信をお持ちください。あなたは十分、立派な成果です」
「成果と言われると、やはり少し傷つきます」
セシリアは励ましているつもりなのだろう。
だがその励ましは、アルベルトの心に五本目の矢を丁寧に追加しただけだった。
◇
夜会が終わる頃には、アルベルトの精神はすっかり削られていた。
「セシリア様。私は、教育成果ではありません」
夜会の帰り際、アルベルトはついにそう言った。
セシリアが瞬きをする。
「では、何ですの?」
アルベルトは真っ直ぐに彼女を見つめた。
「貴女を愛している、一人の男です」
セシリアは言葉を失った。
ほんのわずかに、頬が赤く染まる。
アルベルトはそれを見逃さなかった。
今度こそ。
今度こそ、届いた。
そう思った直後、セシリアは小さく息を整え、真剣な顔で頷いた。
「……自己主張まで、立派になりましたね」
「だから!!」
アルベルトの叫びが、夜の王宮に響いた。
だが、その帰り道。
馬車の中で、セシリアはそっと自分の頬に手を当てていた。
どうしてだろう。
先ほどから、胸の奥が落ち着かない。
アルベルトの言葉が、何度も何度も蘇ってくる。
『貴女を愛している、一人の男です』
「……本当に、困った成長ですわ。可愛い弟でしたのに」
そう呟いたはずなのに、胸の奥はなぜか、少しも納得してくれなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
前回に引き続き、アルベルトは全力で頑張っているのに、セシリアにはなぜか教育成果として処理されてしまいました。
でも、セシリアの方も少しずつ揺れている……はずです。
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