第88話 伸ばしかけた手(第三部・完)
道を下りる。
遠くに、次の街が見えた。
規模も、制度も、これまでと大差はないだろう。回復魔法があり、神殿があり、壊れるまで頑張る人間がいる。
紙も、そのうち届く。どちらの紙かは、分からない。
たぶん、触るな、の方だ。
あれは、軽い。軽いものの方が、遠くまで行く。
俺が行けば、また同じことが起きる。起きないかもしれない。
それでも、いい。
前に、二度、同じことを思った。
一度目は、何も残さなかった。
二度目は、失敗を残した。
三度目は、他人に残させた。
悪くなっている気も、する。
少しだけ、ましになった気も、する。
どちらかは、分からない。
分からないまま、歩いている。
道端で、誰かが立ち止まっていた。
倒れては、いない。
走っても、いない。
ただ、深く息をしている。
俺は、足を止めた。
手が、出かけた。肩の、下のあたりへ。
出かけて――
止めた。
この人は、戻る。
触らなくても、戻る。
触れば、早い。
早くする理由が、ない。
俺は、手を下ろした。
何も、言わない。
名前も、つけない。
ただ、同じように息を吐く。
吐く方を、長く。
その人が、こちらを見た。見て、同じように吐いた。
教えたわけでは、ない。
俺は、歩き出した。
流れは、今日も動いている。世界は、何も変わらない。
変えられるとも、もう思っていない。
その外側で、俺は、歩き続ける。
名もない仕事を、
名乗らないまま。
この指が、まだ読めるうちは。
第三部まで読んでくださり、ありがとうございました。
第一部は、
「止まることを選べるか」を書いた物語でした。
第二部は、
「止まることを、正解にしないでいられるか」でした。
第三部で書きたかったのは、
「やらないことを、正解にしないでいられるか」です。
主人公は、第二部で自分の失敗を差し出しました。
自分を正解から降ろすために、そうしました。
その紙が、残りました。
紙は、書いた人の事情を運びません。
残るのは、いちばん短い一行だけです。
見分けを誤った、が、
触ると死ぬ、になりました。
こうして、彼がいちばん壊したかったもの――
「触れてよいのは、決められた者だけだ」が、
彼自身の署名で戻ってきます。
今回、彼がしたことは一つだけです。
自分では書かず、書ける人に名前を入れさせました。
それは解決ではなく、押し付けでした。
本人も、そう認めています。
世界は、やはり変わりません。
「触るな」も、消えません。
ただ、絶対ではなくなりました。
名前のある紙が、一束あるだけです。
止まった手を、もう一度動かせるのは、
たぶん、名前を出して引き受ける人だけなのだと思います。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
――第三部は、ここまでです。
主人公は、まだ名乗っていません。
指のことも、四度目のことも、そのままにして次の街へ下ります。
その先を書くときは、この二つから始めます。




