第5話 英雄の帰還
夜明け前、治療所の外が騒がしくなった。
鎧が擦れる音。荒い足音。疲労と昂揚が入り混じった声。
その中心に――彼はいた。
「英雄様だ……」
誰かが、畏れるように呟く。
男は背が高く、肩幅が広い。鎧は砕け、刃こぼれした大剣を引きずるように歩いていた。全身が血と泥にまみれているが、その歩みは止まらない。目だけが異様に冴えていた。
この村の英雄。
魔法剣士。
戦えば必ず勝ち、戻ってくる男。
「怪我人は全員収容したか!」
怒鳴る声に、治癒師たちが一斉に動く。
「英雄様、こちらです!」
「すぐに治療を――」
英雄は頷き、治療所へ足を踏み入れた。その瞬間、空気が変わる。希望と安心が、目に見えない形で広がっていく。
――だが。
俺は、彼を見た瞬間に背筋が冷えた。
(……ひどい)
外傷の数じゃない。魔力の量でもない。
“中”だ。
流れが、ぐちゃぐちゃだ。
詰まり、ねじれ、逆流し、無理やり押し広げた痕跡だらけ。まるで、壊れかけの水路にさらに水を流し込んだみたいな状態。
英雄は寝台に腰を下ろすと、肩で息をしながら笑った。
「はは……今回も、派手だったな」
「動かないでください!」
治癒師が慌てて鎧を外し、すぐに詠唱を始める。淡い光が英雄の身体を包み込んだ。
光は、よく効いた。
裂けた皮膚が塞がり、折れていた骨が正しい位置へ戻る。血の匂いが薄れ、村人たちが安堵の息を吐く。
「さすが英雄様だ……」
「これで安心だ」
その光景を、俺は黙って見ていた。
治っているように見える。
だが――
「……なあ」
英雄が、不意に俺を見た。
「さっきから、変な顔してるな」
周囲がざわつく。
「お前、治癒師か?」
「違う」
「じゃあ何だ?」
答えに詰まる。説明できる言葉を、俺はまだ持っていない。
「……通りすがりだ」
英雄は一瞬きょとんとした後、豪快に笑った。
「はは! 通りすがりが治療所で突っ立ってるのか。変わってんな」
笑いながらも、彼は俺から目を離さなかった。
「さっき、兵が言ってた。魔法を使わずに治した奴がいるってな」
治癒師が慌てて口を挟む。
「英雄様、あれは……偶然で――」
「へえ」
英雄は興味深そうに俺を見る。
「で? お前から見て、俺はどうだ」
――聞くな。
喉まで出かかった言葉を、無理やり飲み込む。
だが、英雄は本気だった。
自分の身体の状態を、知りたがっている目だ。
「……今日は、もう戦うな」
場が凍りつく。
「なんだと?」
「動けば、取り返しがつかなくなる」
治癒師が声を荒げる。
「何を根拠にそんなことを!」
英雄は、しばらく俺を見つめていた。やがて、ゆっくりと口角を上げる。
「面白いこと言うな」
そう言って、立ち上がった。
「だがな。俺が止まったら、次に死ぬのは誰だ?」
その言葉に、誰も反論できなかった。
英雄は大剣を肩に担ぎ、出口へ向かう。
「安心しろ。治療魔法も受けた。身体は軽い」
――軽いわけがない。
軽く感じているだけだ。感覚が、もう壊れている。
俺は拳を握りしめた。
「……無理をするな」
英雄は、扉の前で振り返った。
「忠告、ありがとな」
そう言って笑う。
「だが、英雄は――倒れるまで戦うもんだ」
扉が閉まり、外の喧騒が遠ざかる。
治療所に、重い沈黙が落ちた。
誰もが、英雄が無事であることを疑っていない。
疑っているのは、俺だけだ。
(……間に合わないかもしれない)
その予感は、嫌になるほど確かだった。
英雄の背中を思い浮かべながら、俺は静かに息を吐いた。
吐く方を、長く。
それが、今できる唯一の祈りだった。
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