第4話 半死の少女
夜になっても、治療所の明かりは消えなかった。
英雄の隊が持ち帰った傷は深く、数も多い。治療魔法の光が何度も瞬き、そのたびに誰かが助かり、誰かが運ばれ、誰かが静かに息を引き取った。
俺は、治療所の隅で壁にもたれていた。
もう手を出すな、という空気がはっきりと流れている。露骨に言われたわけじゃない。だが、視線と沈黙がそれを語っていた。
(……まあ、そうなるよな)
理解できる。自分でも、同じ立場なら同じ判断をするかもしれない。
そんな時だった。
「……お願い、です」
か細い声が、喧騒の中で不意に届いた。
振り向くと、年老いた女が立っていた。震える手で、俺の袖を掴んでいる。
「この子を……見てください」
女の後ろには、布に包まれた小さな体があった。担架ですらない。抱えられるほど軽い。
「治療魔法は、もう……」
言葉の続きを、女は飲み込んだ。
俺は一瞬、治癒師たちの方を見た。忙しなく動く背中。こちらを見る者はいない。
「……いいのか」
「え?」
「俺は、さっき問題になった“あれ”だ」
女は一度だけ瞬きをし、強く頷いた。
「それでも……この子は、もう……」
覚悟を決めた顔だった。
俺は、ため息を一つ吐いて、少女の前に膝をついた。
布をめくると、顔色は土気色で、呼吸はほとんど感じられない。胸も腹も、ほとんど動いていなかった。
――半死。
生きているとも、死んでいるとも言い切れない状態。
「……魔力暴走だな」
独り言のように呟く。体内の流れが、完全に壊れている。あちこちで詰まり、逆流し、滞留している。
治療魔法が効かないのも、当然だった。
「戻れるか……?」
俺は少女の首筋に指を当て、微かな脈を探す。あった。細く、弱く、それでも確かに。
「……まだ、戻れる」
女が息を呑む。
「本当、ですか……?」
「保証はできない。でも、何もしなければ、確実に終わる」
選択肢は、それだけだ。
俺は少女の身体をゆっくりと横にし、まず呼吸を整えるところから始めた。だが、意識はない。指示は通らない。
(なら、外からだ)
腹部に手を置く。冷たい。いや、冷たさすら感じにくい。流れが、ほとんど止まっている。
いきなり動かすのは危険だ。
俺は、自分の呼吸を意識した。吸って、吐く。吐く方を、長く。
それに合わせるように、手を置くだけで、圧はかけない。ただ、待つ。
時間が、妙に長く感じられた。
「……何をしている」
低い声が背後から聞こえた。
振り向かなくても分かる。中年の治癒師だ。
「治療だ」
「触っているだけじゃないか」
「今は、それでいい」
「……正気か?」
答えず、再び少女に意識を戻す。
やがて、指先にわずかな変化が伝わった。ほんの一瞬、脈が強く打った。
(今だ)
俺は、最初の一点にだけ、極めて弱い圧をかけた。
少女の喉が、かすかに鳴る。
「……っ」
女が、口を押さえる。
呼吸が、ほんの一瞬だけ戻った。
そこからは、ひたすら地味な作業だった。押して、緩めて、待つ。場所を変え、また待つ。
派手さはない。光もない。奇跡のような演出もない。
あるのは、時間と、集中だけだ。
どれくらい経ったか分からない。
少女の胸が、はっきりと上下した。
「……息、してる……」
女の声が震える。
俺は、まだ手を離さなかった。ここで油断すれば、すべてが逆戻りだ。
「水を。さっきと同じだ。喉を濡らす程度で」
女は何度も頷き、慌てて器を持ってくる。
数滴の水が、少女の唇に落ちる。
そして――
「……おば、あ……」
掠れた声が、確かに聞こえた。
その瞬間、女が泣き崩れた。
治療所の一角が、静まり返る。
治癒師たちも、さすがに無視できなくなっていた。数人がこちらを見て、言葉を失っている。
俺は、ゆっくりと手を離した。
「……今日は、ここまでだ。無理に動かすな。絶対に」
女は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
俺は、首を横に振った。
「感謝は、いらない」
本音だった。感謝されるほどのことはしていない。ただ、間に合っただけだ。
だが――
背中に、嫌な視線が集まっているのを感じる。
救ってしまった。
それが、この村で何を意味するのか。
俺はもう、分かり始めていた。
夜は、まだ終わらない。
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