第3話 治ったのに、信用されない
治療所は、完全に混乱していた。
英雄の隊が戻ったことで、負傷者は一気に増えた。血の匂い、汗の匂い、焦りと恐怖が混ざり合い、空気が重く淀む。治癒師たちは光を絶やさず、詠唱の声が途切れることはない。
――それでも。
「……おかしい」
治癒師の一人が、声を潜めて呟いた。
「治療は終わっているはずなのに、顔色が戻らない」
寝台に横たわる兵士は、傷そのものは塞がっている。血も止まり、外見上は“治った”状態だ。だが呼吸は浅く、腹がほとんど動いていない。
俺は、その様子を見て小さく舌打ちした。
「だから言っただろ……」
誰に聞かせるでもない独り言だったが、近くにいた若い治癒師が反応した。
「何か言いましたか?」
「いや。ただの愚痴だ」
本当は違う。これは愚痴じゃない。結果だ。
治療魔法は傷を塞ぐ。だが、塞ぐだけだ。流れを無視して閉じれば、行き場を失ったものは内側で暴れる。
「……お前」
さっきから俺を警戒していた中年の治癒師が、鋭い視線を向けてきた。
「また、触るつもりか」
「触らないと、こいつは数刻ももたない」
「外傷は治っている!」
「外が問題じゃない」
俺は兵士の腹に手を当てた。冷たい。さっき助けた男とは違う冷たさだ。流れが途中で止まり、戻る力すら残っていない。
「……もう、遅いかもしれない」
治癒師たちの顔色が変わる。
「どういう意味だ」
「今すぐ調整すれば、助かる可能性はある。でも――」
俺は言葉を切った。
「この状態を作ったのは、治療魔法だ」
その瞬間、空気が凍りついた。
「……今、何と言った」
「聞こえた通りだ」
治癒師の一人が声を荒げる。
「治療魔法を侮辱する気か!? 神殿が築き上げた——」
「侮辱してない。ただ、向いてない場面があるって言ってるだけだ」
だが、その言葉が届く前に、兵士が大きく息を吸い、苦しそうに身をよじった。
「ぐ……っ」
「来た……!」
俺は即座に圧をかける位置を探った。だが、遅い。流れはすでに内側で暴れ始めている。
「押さえろ!」
数人が兵士を押さえつける。俺は腹部と胸部に同時に手を置き、必死に“戻そう”とした。
……だめだ。
詰まりが固すぎる。塞がれてから時間が経ちすぎている。
「やめろ!」
治癒師が俺の肩を掴んだ。
「お前のせいで悪化している!」
「違う!」
「黙れ! 治療魔法を使わず、妙な真似をするから——」
その言葉の途中で、兵士の身体が大きく跳ね、そして――動かなくなった。
沈黙。
誰かが、息を呑む音がした。
治癒師が、ゆっくりと兵士の首に手を当てる。数秒後、首を横に振った。
「……死亡」
空気が、冷たくなった。
視線が一斉に俺へと向けられる。さっきまでの困惑ではない。はっきりとした、敵意を含んだ視線だ。
「やはり、そういうことか」
「さっき助かったのは、偶然だったんだ」
「魔法を使わない治療など、危険すぎる」
俺は何も言わなかった。
言い返しても、意味がない。ここでは結果しか見られない。そして今、目の前には“死”という結果がある。
だが――
「……違う」
小さな声がした。
治療所の隅で、さっき助けた男が上体を起こしていた。まだ青白いが、目ははっきりとこちらを見ている。
「俺は……この人に、助けられた」
「静かにしていろ!」
「違うんだ!」
男は咳き込みながらも、必死に声を張った。
「さっき死んだそいつ……最初から、呼吸がおかしかった。俺と同じだ。でも、治療魔法をかけられた時、俺は……もっと苦しくなった」
治療所が、静まり返る。
「この人が触って、押して……それで、楽になった」
治癒師たちは言葉を失った。だが、それでも空気は変わらない。
「結果は一つだ」
中年の治癒師が、冷たく言った。
「一人は生き、一人は死んだ。それだけだ」
正しい。ここでは、それが正義だ。
俺は静かに手を下ろした。
「……もういい」
これ以上、ここにいても意味はない。理解されるには、あまりにも早すぎる。
だが、背中に突き刺さる視線の中に、違うものが混じっているのも感じていた。
恐怖。
疑念。
そして、ほんのわずかな――期待。
それが、この世界では一番厄介だ。
治ったのに、信用されない。
助けたのに、疑われる。
俺はその場を離れながら、確信していた。
この村で、俺はもう“異物”だ。
そして――このままでは、必ず誰かが死ぬ。
嫌な予感は、もう予感ですらなかった。
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