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回復魔法が万能な異世界で、俺だけ治さない理由がある 〜触ると悪化するので、何もしない治療師やってます〜  作者: 夜凪レン


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第2話 触れて、押して、待つ

 治療所の空気は、まだ張りつめたままだった。


 担ぎ込まれた男は、簡易寝台の上で浅い寝息を立てている。さっきまで死の縁に片足を突っ込んでいたとは思えないほど、呼吸は落ち着いていた。だが、それが逆に周囲の困惑を強めている。


「……本当に、助かったのか?」


 誰かが小さく呟いた。


「治療魔法を、使っていないのに……」


 その言葉に、治癒師がぴくりと肩を震わせた。彼は男の顔を覗き込み、脈を取り、胸に耳を当てる。何度も、何度も。


「……生きている。だが、こんなことが……」


 納得できない、というより、受け入れたくない表情だった。


 無理もない。この世界では、治療魔法は“正解”だ。それを使わずに人が助かるなど、前提からして間違っている。


 俺は男の腹に置いた手を離さず、じっと待っていた。


「何をしている」


 治癒師が低い声で言う。


「もう峠は越えた。あとは休ませれば——」


「違う」


 俺は首を横に振った。


「まだだ。今は一番、不安定なところだ」


「……それで、何を?」


「触れて、押して、待つ」


 治癒師は言葉を失ったように俺を見る。周囲の村人たちも同じだ。誰かが耐えきれずに言った。


「それが……治療なのか?」


「少なくとも、今はそれしかない」


 男の腹部に、まだわずかな硬さが残っている。流れは戻り始めているが、完全じゃない。ここで放置すれば、また詰まる。


 俺は指先の位置を少しだけずらし、今度はさらに弱い圧をかけた。押す、というより、重さを預ける感覚だ。


 男の眉がわずかに動く。


「……う」


「大丈夫だ。痛みはすぐ引く」


 そう声をかけながら、呼吸を観察する。吸う息は浅く、吐く息はまだ短い。


「吐け。ゆっくり。吐く方を長く」


 言葉に合わせるように、男の呼吸がわずかに変わる。完全に理解しているわけじゃない。だが、身体は正直だ。


 治癒師が、苛立ちを抑えきれない様子で言った。


「なぜ、魔法を使わない。今なら、治療魔法で完全に——」


「今使ったら、逆に悪くなる」


「そんな馬鹿な!」


「じゃあ聞くけど」


 俺は視線を上げ、治癒師を見た。


「治療魔法で、さっきの状態を“なぜ”治せなかった?」


 言葉が詰まる。


「それは……傷が深かったからだ」


「違う。深い傷なら、光は反応する」


 俺は男の胸元を軽く叩いた。


「問題は、ここじゃない。中だ。巡ってない。流れてない。だから、いくら塞いでも意味がない」


 治癒師は唇を噛み、何も言い返せなかった。


 沈黙の中で、男の呼吸がまた少し整う。脈も、さっきより力を持ち始めている。


「……すごい」


 ぽつりと、誰かが言った。


 その言葉に、俺は内心でため息をついた。


(やめてくれ。そういう目で見るな)


 すごいわけじゃない。特別でもない。ただ、そういう“状態”だっただけだ。だが、この世界では、結果だけが独り歩きする。


 治癒師が、低く尋ねた。


「……それは、どこの流派だ」


「流派じゃない」


「では、誰に教わった」


 俺は一瞬、答えに詰まった。


 正確には、教わったと言えば教わった。だが、この世界の言葉では説明できない。


「……昔の話だ」


 曖昧にそう返すと、治癒師はそれ以上追及しなかった。いや、できなかったのだろう。


 外が、にわかに騒がしくなる。鎧の音、荒い足音、怒鳴り声。


「英雄様が戻られた!」

「負傷者が多いぞ!」


 俺の背中に、嫌な予感が走った。


 担架がいくつも運び込まれ、治療所は一気に戦場の後方拠点と化す。血の匂いが濃くなり、悲鳴と呻きが重なる。


 治癒師は即座に指示を飛ばし、治療魔法を展開し始めた。正しい判断だ。今は数が多すぎる。


 俺は一歩下がり、状況を見渡す。


 ……いるな。


 治療魔法が効いている者。効いていない者。そして、効いているように見えて、実は危ない者。


「おい」


 俺は近くの兵士を指さした。


「そいつ、後回しにするな。今すぐだ」


「は? 見ての通り、軽傷——」


「軽傷に見えるだけだ。中が詰まってる」


 兵士は怪訝そうな顔をしたが、俺の目を見て言葉を飲み込んだ。


 さっきの男を救った、その“結果”が、もう影響を及ぼしている。


 良くない兆候だ。


 俺は小さく息を吐き、覚悟を決めた。


 触れて、押して、待つ。


 それしかできないし、それでいい。


 たとえ、それがこの世界で「間違い」だとされようとも。


 英雄の帰還を告げる鐘の音が、まだ耳に残っていた。

 嫌な予感は、確実に現実へと近づいている。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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